私の節約奮闘記。最終章~持て余す時間の余白を埋め尽くすように~
https://note.com/yukiyamasiro/n/n76e434f36040#6fZrf
前回記事の続きです。
自粛にともなう自粛奮闘記の最終章となります。
~これまでのあらすじ~
無職生活を乗り切るために
節約する日々の計画を立てはじめる。
たばこをやめて外食を控えて自炊
そして不要な食事を控えて
断食によるダイエットを慣行。
生活基盤が着々と出来上がりつつある中で
最後に立ちはだかった大きな壁とは
自粛、巣籠りと共に過ごさなくてはならない
膨大な時間との闘いであった。
暇つぶしを極める。
とある日
いつものように瞑想をしながら
目を閉じて、よく考えていたのは
「暇とは何か?」という事だった。
おそらくほとんどの人は
全く暇な状況というのを避けるような
本能が備わっている気がしている。
やりたい事があるので
忙しい中であえて暇を作るのとはわけが違う。
そもそも毎日、24時間暇なのである。
これがまだコロナ禍の影響も無く
自由に人と会える状況であったならともかく
外出もどこか不自由さを感じざる負えない状況で
散歩にと外に出た時にマスクを忘れた時には
家まで戻ってマスクを着けていたほどだ。
なんともいえない窮屈さである。
その上仕事が無く無職なので
やはり自宅で過ごす時間も増えるが
瞑想とウォーキングだけでは
当然、一日の時間が大量に余ってしまう。
その間に何をすべきなのか
私は何がしたいのか
ずっと目を閉じて考え続けていたのである。
私でなくとも
きっと、夢中になって時間を忘れられるほど
楽しいひと時を過ごせるなら
誰だってそうしたいはずだ。
楽しい時間を不快に感じる事は稀だろう。
この自宅待機の中でどうやって楽しい時間を過ごせばいいのか?
という漠然とした課題が生まれたが
答えはすぐにでた。
夢中になれる物が無ければ作ればいい。
趣味の創成
動画視聴やらネットサーフィン
PCゲームをしているだけでは持て余してしまう時間を
趣味によって使い果たすくらいの気持ちで
過ごすには自らの趣味のコンテンツを増やすしかない。
そして趣味の中には勉強も含ませれば
自分にとって今後も役に立つ知識や知恵を身に着けられるだろうと
勉強、学習といった物も趣味リストに加えていった。
元来やっていた趣味と新しく始める趣味
そして、これまで知らなかった事を学習していく勉強の時間。
これらを全てリストアップし
全てを毎日行う事にした。
小学生以来やめていた画を描く事や
英語を覚えて話してみたいという願望。
世の中、経済を学ぶ意味での株式、投資信託
集中力を高める瞑想から
なまった体を鍛えるための筋トレからウォーキング。
何か作業を行う前の
脳のトレーニングとしての詰将棋を一日10問。
興味を持った分野の読書。
そしてその日常で感じた事を書き綴るこのnote
私がこれらを実践している最中に書いた記事が
私のnoteの固定記事にもしてある
一日、一つだけ昨日とは違う事を。https://note.com/yukiyamasiro/n/ne8489ebf9c69
に繋がっていく。
退屈や暇、飽きたという感覚は
どのようなときに訪れるのか。
それは
「成長を実感できなくなった時」
私が尊敬してやまないプロ格闘ゲーマである
梅原大吾氏の大学講演で発した言葉。
私の中でずっと忘れずに残っている至言である。
飽きは停滞を招き
そこで進化は止まってしまう。
絶えず小さな変化を繰り返していくその過程の中に進化がある。
私はおよそ100日に及ぶ退屈な時間
とにかくあがいてきた。
やりたいと思える事はなんでもチャレンジした。
それは自粛以前では想像すらしていなかった事
自分がそれをやるなど想像もつかなかった事もある。
色々と制限された環境下の中であっても
試行錯誤はできるという結論に至った。
例えどのような環境下、状況下であっても
人は変われる。
成長できる。
それを知る事が出来ただけでも
私にとってのこの100日間は
無意味なものではなかったと
今は言える。
その後の話し
仕事が無事に決まり
今はなんとか安定して仕事に入る事ができてはいるが
覚える事も多く、割と大変な日々を過ごしている。
その中で自粛中にやっていた趣味のいくつかは
おざなりになってしまっている。
英語発音の練習やイラスト
noteにブログを書く事などもそうだが
そんな中でも
瞑想とウォーキングはだいたい毎日やっている。
新しく始めた趣味の中で
自粛生活から持ってくる事ができた大事な趣味だが
仕事もようやく落ち着き始めたため
少しずつ、残りの趣味を復活させていこうと思っている。
中でも株式、投資信託というのはとても面白い。
私は自分の資産の1/4を投資に回してみたのだが
そうすると不思議なもので
株も投信も自分の持ち物であるかの様な
妙な感覚が芽生える。
自宅の庭に植えて育てている植物を
ネット越しに見て、水を上げて育てているかの様な気分だ。
否が応でも日本経済の景気や世界情勢
要人発言など、チャートや数値が変動する可能性のある事は
気になってくる。
つまり
もっと世の中を事を知りたいと思えてくる。
日々生き物のように目まぐるしく変わるニュース欄も
以前とは違った感覚でニュースを見るようにもなった。
もちろんこういった物事にはリスクもつくため
破滅はしない程度に楽しみたいところではあるが
人生勉強にはとても役立つと実感してるので
投資はこれからもずっとやっていきたい。
そして最も気がかりなのはイラスト
鉛筆画だ。
描きたいものはこまめに
画像保存してきたが
仕事を開始してからというものの
ペンを持つ事をためらっていた。
家に帰ってきて疲れた状態で
ペンを持つができなかったが
それに対して、毎日少しでも
自粛時のように練習しておけばよかったと
少し後悔している。
なので復活していこうと思う。
また人物画やデッサンを定期的に発信して
オリジナルの鉛筆画をいつか発表したいと思う。
まだコロナが終息したわけではないが
街も以前に増して
にわかに活気づいてきたとは思うので
定期的に行ってきたイベントも
タイミングを見て復活させたい。
「一日一つだけ小さな変化」
自分の人生を生きる上での
最も確かな暇つぶし行為だ。
自分が何においても
停滞を感じた時には
常に思い出しながら
物事に取り組んでいきたい。
終わり。