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無秩序が面白いツイッターのタイムライン観察。

私がnoteに張っているツイッターアカウントのリンクは
サブアカウントの方で

メインアカウントの方は一時期相互フォローをしていた
期間があったため
相互フォローをさせていただいているユーザー数が6千人以上いる。
そこには人種も国籍も性別も一切の隔たりが無い。

タイムライン(TL)はありとあらゆる 
投稿が流れ続けてる状況が何年も続いている。

アラブの人が空の写真を投稿して
名言っぽい事を言っていたり
可愛い動物の日常の動画が流れたり
聞いたことない異国の音楽であったり
可愛いペンタブのイラストであったり
完全に無秩序である。


そんなTLの有様ではあるが
特別その状況が嫌だとも思っていない。

好きなフォロワーさんの投稿が見づらい部分もあるが
それは個別に登録しておいてTL内で見なければ良いと
割り切っている。


むしろそんな無秩序に面白さすら感じるようになっている。


というのも 

私の活動の根幹でもある映像コンテンツを作る事や
リアルイベントをするにあたって
何度もネタやアイデアにつまってきたわけだが

アイデアに困った時は、参考がてら
似たような活動をされている方
近しい方の詳細を調べようとする事は
誰でもやる事かもしれない。

その参考にするという行為も
有効に感じられなくなってしまった。

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近しいジャンルを参考にすれば
私の場合は
観察の視点がミクロになってしまう。
なまじそれを知っているがために
把握できている
分かっていると感じる部分を凝視しようとせず

ものすごくマニアックで些細な部分から
肝要だと思える物事を抽出してしまいがちになってしまう。

結果大きな収穫を得られた実感が湧かなくなってしまった。

つまりは
周りから見ればほとんど差のないような事に
変化や違いばかりを探す事に躍起になってしまい
出来上がったものも
ごくごく小さなマイナーチェンジにしかならなかった。

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だが

無秩序なツイッターのTLは参考にすべき物事とは違い
何も考えずただぼけーっと眺められる。

流れてくるソレに全く興味が無いがゆえに
ただ無心になって見つめていると
それを凝視しないため全体を眺められる。

そこに私から見る面白さが生まれたり
意味不明な事に
「なぜ?」という疑問や自分なりの答えが
内から出てくるような感覚になれる。


気が付けばそれらの投稿を保存している。

全くわからない分野からの刺激。

モノづくりに困った時
アイデアが枯渇した時
何をすべきかがわからない時

手助けになってくれていると
実感する今日この頃である。

そして今日も無秩序にして
時にナンセンスな
TLを無心で眺めるわけだが 

突き詰めれば 
非日常的な空間を提供する者としては
日常と非日常の差異に敏感である必要があると思える。

それには平凡でありきたりで
退屈な日常という時間を精一杯
体と心で受け止めて
活きることができるのか
観察することができるかどうかではないかというのが
現時点での私の結論である。




終わり。




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