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アルバム制作に関して

今日のお話はあくまでもYUKIYA個人の考えと思って読んで欲しいのですが…

YUKIYAは昔からアルバムを制作するにあたって「コンセプトアルバム」か「ベスト盤的なアルバム」以外はあまり制作する意味がないと言うか

自分としては作りたいと言う気持ちがあまり湧かないなというのが正直なところです。


まず基本的な考え方として私の好みが「シングル志向」と言いますか…1曲1曲の楽曲単体で大事にしていきたい、という想いが強いです。

できればジャケットなどのアートワークのデザインも1曲ごとに作りたいくらいです。


これは私が偏った考え方をしてるだけかもですが

メジャーのレコード会社と契約してる時に会社側が作りたいと考えてる「アルバム」ってただ商業的な理由だけで目玉になるシングルが2曲くらい収録されてれば

あとはそれなりの曲で埋めて計10曲くらいになれば…みたいな感じに思えましたね。


まあやはり私には向いてなかったのでしょうね…笑



何故自分がそうなったのか分析してみると

おそらくYUKIYAの場合は「音楽」をやりたいという前に、まず「表現」がしたい、「表現者でありたい。」という気持ちが強くあると思います。

なので中学生や高校生の頃もコピーバンドの経験はほとんどなくて、ギターを買ったその日から「自分だけの曲が作りたい。」と思っていました。(むしろ大人になってaieさんやKazuさんと仲良く遊ぶようになってから布袋ナイトとか氷室ナイトしていますね…笑)

自分だけの表現、自分じゃなければ作れないものを行きてるうちにこの世に残したいという気持ちが非常に強いわけです。



ですので基本的には「アルバムを作りたい」とかの気持ちは根本的にはないわけです。笑

まずは「シングル志向」と言うとなんかカッコイイですが、まあとにかく1曲作りたいというだけですね。

D≒SIREの頃まではまだ作曲することがそんなに得意じゃなくて、まずは作詞からでしたね。

いえ、最初はそれが曲になることも想定せずただ自分を表現できることとして書いていただけでしたから単なる「詩」でしたね。

10代の頃にやっていたバンドのメンバーやD≒SIREで出会った聖詩の影響で、「詩」が「曲」となり、表現できる世界が大きく拡がることを知ったと思います。そこは本当に感謝していますね。


自分に音楽の才能があるのかないのかは、よくわからないままでしたが

仲間に恵まれたことと皆さんの応援のおかげで「音楽活動」や「バンド活動」で生きていけるようになっただけで

おそらく根本的には「表現者」で在ることができるればそれでよかったのだと思います。

自分の感覚の中では、むしろ音楽でお金を稼げるようになってから、責任感が芽生えたというか、より本格的に音楽や作曲が好きになっていったという感覚です。


おかげさまでたくさんの曲を作り発表する機会に恵まれる中で、曲ごとの個性や方向性などにも目を向けるようになっていき、

例えば「この曲とこの曲は世界観が近いな…」とか

あるいは逆に、とある感情を起点に曲を作ってみたけれど、その1曲では感情を昇華しきれずに2曲になってしまった…とか、

この曲は以前に書いた曲と近いテーマだけど今回は視点が違うな…とか、

そんな関連性があることなんかにも気がついていきます。


こういうことも、音楽制作が人生の中心となり、長い間たくさんの曲を作れたから気付いたのだと思います。皆さんのおかげです。ありがとうございます。



そして、そういう曲同士なら2曲とか3曲でカップリングにして、1つの商品として発売してもよりその世界観を表現しやすくなるのでは…という考えに行き着きます。

こんな感じでYUKIYAは基本的には「シングル志向」になっていったのだと思います。(自分で分析するに)


関連のある曲や意味のあるカップリングなら数曲入りのシングルでもいいんですが、1曲で商品価値や世界観が保てるなら、1曲入りでその曲のためだけにアートワークなんかも制作して発表したいというのは基本変わっていません。



YUKIYAの場合はこのような考え方の延長線上に「アルバム制作」があるので、とにかくまずテーマとかコンセプトが大事と言いますか、

それだけの曲数を使って表現し得る壮大なテーマが根底にないと、ただ出来た曲を適当な順番に並べてアルバム作ってなんか意味あるの?となってしまうわけです。


それとは別に、たとえば長い期間の活動の中で制作されてきた曲たちを、何かの節目でまとめて発表する…とかなら理解はできますので「ベスト盤的なアルバム」なら

理解できる…という感じです。(商業的な意味でも)



YUKIYAのこれまでの音楽活動… D≒SIRE、JILS、Kαinを通して

『終末の情景』『TRUE SONGS』『YOUR SONGS』『-paradiselost-』は非常に純度の高いコンセプトアルバムだと自負しています。

『想刻』と『断章』はコンセプトアルバムでありベストアルバムでもあるという感じでしょうか…


おそらく、今までの音楽人生でも「コンセプトアルバム」か「ベスト盤的なアルバム」しか作ってきていないのではないかと思います。


ちなみにこれは余談ですが、Kαinのファーストアルバムである『-paradiselost-』は、もうYUKIYAの人生でこれ以上のモノは作れないだろうなというくらい

コンセプトアルバムらしい「コンセプトアルバム」でして、いまだに制作時期のことを思い出すと鬱になります。メンバーは「音楽とかアルバムを作っているというよりは世界を作っているようだ」と言ってました。何名か身体も壊しましたしね…
コンセプトアルバムって作るたびにメンバーが辞めたり誰かが精神や身体を壊したりしますよね…え?私だけですか?

Kαinに関してはファーストでこれ以上の「コンセプトアルバム」はもう作れないだろうから、次こそは「普通のアルバム」を作ってみよう!と思ったまま、14年経ってもまだセカンドアルバムが作れないままでいます。笑


まあ、結成から15年でまだ次のテーマに取り掛かろうと思えないくらい壮大なテーマなので(旧約聖書を題材に人類の存在意義や原罪等について考えたアルバム。ちなみにバンド名もそのコンセプトから名付けました)

それはそれですごい幸せなことだなと思っていますが…


そういえば作家にとって「何を書くべきか?」「どれくらい現実とリンクしているべきか?」は非常に難しい問題ですが、近年は良いことなのか悪いことなのか… ここ数年で世界が大きく変わり、また新たに取り掛かりたくなるようなテーマが次々と見つかりそうなのもなんだか皮肉なものですね。




話は戻りまして先日、Twitterで「D≒SIREの新曲は聴きたいですか?」という質問をしました。

皆さんに質問をするくらいですから今だに自分の中に迷いはありまして、「果たしてD≒SIREに新曲は必要なのかな?」という想いもあるわけです。


D≒SIREが世に残した(発表済みの)曲はちょうど、ワンマンライブで演奏できるかできないかくらいの曲数でして…

これでちょうどいいんじゃないか? とかも思ったりします。


もし、万が一いつかもう一度、D≒SIREのライブを出来るとして…

それを見に来る皆さんはやはり「あの頃の曲」を聴きたくて来るのだと思いますし…


2015年でしたか… 大晦日に代々木体育館でD≒SIRE名義のライブをした時もそこは聖詩と深く話し合いましたね。

聖詩は私とは違い、生粋のクリエーターでありソングライターですから、

あのときは俺やファンのみなさんのためにああいう選曲で納得してくれましたが、聖詩という人間性や根本的な考え方としては

新たなものを創造しないということは彼にはあり得ないんだと思います。


あのときはイベントの一環であり、大晦日のお祭り的な側面もありましたので、出演者だけでなくイベントを運営する側でもあったYUKIYAとしてはああいう判断になりましたが、

しかしいま現在もう一度D≒SIREを動かすのであれば、私自身もそれは創造性を伴ったものでありたいという気持ちには大いに同意できます。


でも同時に、もう一度『終末の情景』を作ることは不可能ですし、例えば描きたいテーマやコンセプトもないままで、技術や知識だけで形だけのコンセプトアルバムっぽいモノを

作ったところで、『終末の情景パート2』にさえなれないと思うので…

そんな悲惨なことにはなりたくないしなぁ…と思う自分もいます。



もしもう一度、D≒SIREとして聖詩とクリエイティブな制作をするのであれば本当に原点回帰して「楽曲至上主義」と言いますか、

『終末の情景』を作った頃よりもさらに昔… D≒SIREを結成するために曲作りをしていた初期の頃のような… とにかく「良い曲」を1曲1曲作っていくというスタイルじゃないと

上手くいかないかもな…と考えたりもしています。




さて、ここからはYUKIYAの個人的な状況というか、

ここ1年ほど取り組んでみての愚痴的な話にもなりますので、どうか閲覧注意でお願いいたします。笑



まずはすぐに「これはやばいぞ!」と感じたのが、D≒SIREの初期以降、YUKIYAはほとんど「自分自身で作ったメロディ」以外を歌ったことがないのだということに

あらためて気づいたことです。

D≒SIREの2期以降は、楽曲制作する際にもある程度作曲者の元曲のメロディを踏襲することはあっても、基本的には自分の癖で歌いやすいように変えてしまっていたので

純粋に自作じゃないメロディを歌うのがD≒SIREの初期以来なんだと改めて思ったのですが

それはもう約30年ぶりということなので、さすがになかなか身体に馴染まなくて苦労しています。笑

しかもJILS以降YUKIYAは数度の喉の手術を受けており、さらにここ数年は耳の病気にも悩まされていますので、

どうしても自分の癖に頼りがちといいますか、積み重ねてきた経験でどうにかしようと自然と身体がしてしまいまして、なかなか意識や身体をリセットできず

苦しんでおります。


次に困っているのが、この30年間の間に自分の意識がかなり変わってしまったのか、自作のメロディではないメロディに歌詞をつけることがなかなかできなくて

困っています。

現在ではもうほとんどの場合メロディと歌詩が同時一体となってアタマの中で鳴るようになってしまっていて、純粋に誰かの作ったメロディに作詞のみをする機会はそういえばほぼゼロだったので(D≒SIRE初期もほぼすべての曲が詩先だったので)

ここもかなりリハビリが必要そうでして…

内容的にも今現在Kαinで歌っていることがやはり現在の素の自分が言いたいこと、表現したいこと、でもあるので

D≒SIRE用の作詞作業を進めていてもいつしか自分が「D≒SIREの幸也」を演じているような気分になってしまい、とくにその部分はいま相当苦労しています。

これはもう聖詩にも作詞をしてもらうか、作詞家を雇おうかと思うほどに苦しんでいます。笑(でもちゃんとやるのでご安心を)


あとはやはり身体の問題ですね。とくに現在は耳の三半規管の状態がかなり良くなくて、

強引にでもリハビリをしたいと思ったのと、コロナ禍で2020年、2021年はほとんどライブ活動ができなかったこともあり、

2022年は毎月ステージに立つということに挑戦しているのですが、これが想定を遥かに超えて大変で…笑

昔の元気で健康な頃なら月に1度のライブなんて全然平気でしたが

現在の俺の年齢と身体の状況では毎月のようにライブをやるたびに寝込み、身体が限界まで落ち込んでどうにかして次のライブまでに回復する…というのを繰り返しており

こんな生活はもう二度と無理やな…と痛感しています。

これは断じて言い訳ではないですがライブのための準備以外何もできない生活です!笑 でも最近のライブを見てくれてる方はわかると思いますがTwitterで一部映像を公開した8月末のライブなんかはもうかなりライブの感覚を取り戻せてきたなという感じで良い部分もあるんです。でも身体はボロボロ…みたいな。笑


さて、なんだかネガティブなことを色々と言っていますが… ここであらためて考えていただきたいのは今現在それだけ真剣に向き合っているんだなということです。

2022年に私と聖詩がD≒SIREという存在に正面から向き合い、一緒に音楽制作をしようとしている… これが事実だというだけでもヤバくないですか?笑


もうすでに相当数の楽曲が生まれてきていますが… 果たしてこの中から「D≒SIREの楽曲」として世に出てみなさんに聴いていただくことが出来る楽曲があるのか…

そして幸也や聖詩や他の仲間が「D≒SIRE」としてステージに立つ日は来るのか…


ここはね、もう私たちだけの問題でもないというか… ぶっちゃけ、幸也と聖詩が一緒に曲を作ること自体にはもう何にも問題はないわけで、

でもそれを「D≒SIREの楽曲」として世に出すとなるとそれはやはり望まれているのかどうか、ハッキリ言って需要があるのかどうか、そこもすごく重要だと思うんです。

誰も望んでいない、必要としていないのに2023年にD≒SIREの楽曲を発表する意味ってあるのかな、というのはすごく考えてしまいますね。


何だかファンの皆さんに責任転嫁してるみたいでアレですけど(笑)私たちが身内だけで趣味でやるならいいんですけど、

D≒SIREの看板掲げて動くとなると、どうしても最後は皆さんの力で背中を押して欲しい。そう思いますね。


D≒SIREはそもそも、業界の人や事務所には全然推されなくて… マスコミにもほとんど取り上げてもらえないまま、

ファンの皆さんの草の根運動的な支持だけでいつの間にかインディーズのトップまで行っていたバンドでしたから、



私が現在この年齢とキャリアになって、いまもう一度D≒SIREとして動く理由があるのだとしたら

これはもう綺麗事でもなんでもなく、それで喜んでくださる方がいるのかどうか… それだけしかないですよ。


30年間ありがとうという恩返し… ただそれだけなので必要ないならわざわざそんな精神的にも肉体的にもプレッシャーかかること

いまさらもうやらないですよ。笑



これ、マジ。

そんなわけでここで何か買ってくださいな。笑


あと今夜はコレを見てくださいね。

https://youtu.be/tgZdA-_e1jA

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