昔、自分が書いてたブログを覗いてみた
清廉潔白ではない。やや黒歴史。
学生の頃から数年、ほぼ毎日つけてた、はてなブログ。
最初の投稿の書き出しはなんだったかな。
サービスの機能でまるっとDLしてみればわかると思うけど、そうするまでもない。まあせいぜい…
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タイトル:ブログ
本文 :はじめてみました。
いや始まっちゃったねえ。うん。よろしく。
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誰によろしくしてるんだか意味が分からない。
片田舎の国道海岸沿いで一人で砂浜を歩いてるところを、通りすがりの車から見られても無いのにカンチガイしてしまうような、自意識過剰気味の青臭い羞恥心のような気持ちが、独り言のような問いかけのような、いささか胡散臭い雰囲気を醸し出す事になってしまったんだろ思う。
新しめの記事数件やコメントのやりとり内容を見返してみて、これは人に見せられるもんじゃない…と少し背筋がうすら寒くなった。
黒歴史にするにはインパクト弱すぎではあるけども、4~5年は続けてただろうか。
意外とコメントがついてて皆優しいというか根気強いなと感心するくらい。
自分の返信コメントはことごとく返信になってない。
ひどすぎる。やさしい皆さんには付き合ってくれて有難うという感謝の気持ちしかないです。
ありがとう、ありがとう。
思えば当時のネットって
広大無辺な、なんでも出来る可能性のあるフロンティア。今言葉にすると、そんな実感あったんだと思う。
バンドメンバーを募集したり、知らないバンドを見つけたり、会場で録音された音楽漁ったり、ネットラジオ(ポッドキャスト??)とか。
Youtubeも今ほど色々アップされてなかったから、海外のファンサイトでアップされてるMV見たり。
あと8Tracksみたいなプレイリストも沢山作った。
用途は音楽に傾向していたとはいえ、始まりはブログであったと言っても過言ではないかもしれない。
ほかにはどんなことを調べたりしたかなあ。
中古楽器はよく調べた。とくにエフェクター。
オカルトサイトでロシアの某電波のとか、廃墟の情報とか。
サイトのクォリティも玉石混交で、開いた瞬間音楽再生が始まってやたら重いし文字が動いたりピカピカしたりするくせに一部リンク切れしてるようなチープなWEBページは海外では多くて、ブラウザ自体が重いから、戻るボタンも効きが悪くて辟易した記憶はある。
ブログをやめてから
何もないことが不幸だったよ、みたいなことに悩むクサいポエマーみたいな学生生活だったけど、今考えたら少しはあったじゃん。
他人にしたら、吹けば飛ぶようなクズ程の出来事かもしれないけど。
とにかく、卒業してから、大きなターニングポイントが定期的にいくつも来てしまったわけで、大きく人生観変わったわけで。
一人になると、世俗にまみれながら、まみれたいと渇望しながら、物に溢れた部屋の中に居ながらも、精神的にひもじい生活のなか、社会と自分の関わりってなんだろうとか、物の実在を証明することって何?とか、そんなことばかり考えていた。
とはいえブログをやめたのは、本意ではなかった。
とある、いざこざがあって、ブログをやり玉にあげられた羞恥からだ。
羞恥で始まって羞恥でやめた。
誰かにアピールするにしてもしないにしても
何か形に残す事って大事だなと。
いた、残す必要もないんだけど、誰かに認知してもらうにはなにか動きが必要なわけで、一番わかり易いのが、ものを残すこと。
いつどこで役に立つかわからないけど、かさばらないで残せるならば残しておくのがいい。
好きこそものの上手なれ。
なんていうけど、継続できることって、本人がそれに対してストレスをあまり感じてない結果から生まれるもののような気がする。
好きでもしんどくて継続出来ないし何も人生に生かせないなら、本人にとっては好きで大事かもしれないけど、他人にとっては興味の対象ではありこそすれ、無価値ってこと。
他人本位で。ということでないし、何かをすることは必ず蓄積されるんだけど、自分は他人の関わりあいが薄い気がするので、たまには社会性を発揮するという意味でなにかを残したいなあと思ったわけです。
なので、好きなこと。ストレスを感じないこと。
それを更に押し広げるのが羞恥心を捨てること。
いつでもどこでも、自由に思うさまやること。
恥はかき捨て。だ。
そういう意味では自分本位になって自分とみんなに甘えよう。
君のことなんか、他人は興味持ってないんだから大丈夫だよ。
興味を持つのは気づいてもらったあとだ。