視力0.1未満も悪くない
視力0.1を下回ると、面倒事がたくさんある。
生活に眼鏡やコンタクトが欠かせない。視力0.1未満になると、裸眼ではとても生活できないためだ。目の前の文字はどうにか読めても、手の届かない範囲のものは基本ぼやける。壁にかけられた時計やテレビの字幕は読めない。きっと新宿駅に裸眼で迷い込んだら、一生出口にたどり着けないはずだ。また遠くから手を振る人の顔も当然わからないので、知らないうちに他人を無視してしまうだろう。コンタクトがなければ、人間関係すらまともに築けない。視力の悪い人間にとって、視力矯正器具はもはやインフラだ。
ただコンタクトに感謝はしても、好きではない。だって本当に面倒で、お金もかかるからだ。コンタクトは毎日とりはずし、洗浄しなきゃいけない。大して時間はかからないけど、どんなに疲れてすぐにでも寝たい日でもやらねばいけないのが本当に面倒でたまらない。しかも2週間~1か月程度で新しいものに交換する必要があるので、費用もそれなりにかかる。わたしの場合、半年で1万円ほど、もっと高い人も多いはずだ。「だったら眼鏡にすればいいだろ」と思うかもしれないが、眼鏡はコンタクトに比べると視界がせまい。そして誰でも似合うわけじゃない。わたしのように似合わない人がつけると、地味な優等生みたいになってしまう。だからコンタクトをつけてるのだけど、やっぱり面倒だ。
視力がいい人は手間やお金をかけずとも、いつだって明瞭な世界を見られる。コンタクトを洗浄する時間も、ゴロゴロして不快な目も、替えたばかりのコンタクトを失くした悲しみも感じずに済む。そう思えば、確かにうらやましいとは思う。
ただわたしは、視力0.1未満の世界が嫌いじゃない。
むしろ、ちょっと好きだ。
視力が悪いからこそ、みえてくる美しさがある。
夜コンタクトを外すとき、メガネをかける前に裸眼で窓の外を見るとわかる。視力が悪いと世界がぼやけ、大半の風景が光の球になってみえるのだ。オフィスビルの蛍光灯やカーテン越しの暖色の光、遠くの街灯、飛行機のライト、月、海に浮かぶ船の灯など……。カラフルな多くの光の球がぼやけて、いくつも重なり合う。大きな光のかたまりになって、黒く一体化した空と海に浮かんでみえる。まるで水中から夜景をみているような気分になれるのだ。
昼間は眼鏡やコンタクトで「見える世界」、夜は裸眼で「見えない世界」。視力0.1未満になると、1日で2つの世界を楽しめる。
視力が悪いってお得なのかもしれないな、と思ったりする。