書きたくても書けないわたし
日常のあれこれを気軽に発信しているインスタは、ゆるやかに続いている。
数年前、改めて発信していきたいと思いアカウントをつくったこのnote。ふたつ記事を書いて、アカウントごと削除した。
時は経ち、またこうやってnoteに向き合っているが、当時と違うのは心持ち。
どのように心持ちが変化していったのだろう。ある人との出会い、言葉、講座のことを書きながら振り返っていこうと思う。
ある人とは、京都在住のライターで江角悠子さん。
出会ったのは今年に入ってから。大阪で開催されている編集ライター講座。江角さんは講師、私は受講生だった。
ちなみに私の今の仕事はソーシャルワーカーで、ライターでもなければ編集者でもない。
江角さんから発せられる言葉は魅力的で、ライターとしての想い、人としてのマインドに共感し、私は心地よさを感じた。
そんな江角さんが「書きたいけど書けない人のためのブログ講座」をされるという。
それ、わたしじゃないですか。
タイムリーすぎて申し込まない理由は見当たらなかった。
というわけで、先日私は講座を受講した。
オンライン、私を含め受講生4人という少人数制。デザイナーさんや起業している人などが参加されていた。
・なぜブログを書くのか?(ブログを書く目的は?)
・具体的なブログの書き方
・ブログを書き続けるための習慣化のコツ
といった内容のほか、時間内で記事をひとつ書きあげ、その場で添削・フィードバックをしてくださる。盛り沢山な3時間半。
「なぜブログを書くのか」。
私にとっては、この部分に大きな気づきがあった。
書きたいのに書けない理由へと、するするとつながっていったのだ。
当初、noteで発信していきたいと思った理由はこんな感じだ。
仕事で出会う相談者さんたちが、少しでも生きやすくなる社会になればいいなと思っていた。いろいろな生き方や価値観、生活のあり方があっていいんだよなということを、伝えていきたいと思ったから。
彼らを取り巻く環境は、決して優しいものばかりではない。世間一般の当たり前ではなくなると、偏見や色眼鏡を感じてしまう。そうやって自信をなくしてしまっている現状が、本当にたくさんあった。
その想いと状況は今ももちろん変わらない。
ただ、書こうと思って気づいたこと。それは、相談者さんだけじゃなく、わたし自身がそうじゃないか!ということだった。
自分の弱さ、だめだと思っていた部分、これまで周りに伝えてこなかったこと。
勝手な思い込みのようなものがペタペタと自分にくっついていて、ひどく生きづらさを感じていた。
そうなると、自分の気持ちを発信するということは、私にとってハードルの高いものになってしまう。そりゃあそうだ。誰にも知られないようにと感情に固く蓋をして、長らく心のずっと下のほうへ追いやってきたのだから。
書こうとすると怖いし力む。強いブロックがかかっていたことにも気づく。
なるほど。よく分かった。
書きたいけど書けない自分なりの理由。ここに少しでも気づくことができたら、次にすすむことができる(ような気がしている)。
江角さんは「情報ではなく、自分の感情、どう感じたかという気持ちを書くことは、とても難しいことだ」とおっしゃった。
本当にそう思う。
忙しく過ごす日々のなかで、私たちは目の前のタスクややるべきことに注力している。役割をこなすことで精一杯だ。自分の感情、想いなんかを感じたとしてもスルーしていく。
弱さや悩み、過去沈めてきた想いなんて特にそうだ。それは自分に向き合うことになるから大変だし怖い。
でも、蓋をしたままだと、自分がなにを考え、なにが好きでなにを苦手と感じているのか、そういったことに鈍感になってしまう。
まずは自分の感情に気づき、丁寧に見てあげようと思った。
それは自分を大切にすることにもつながる。自分で自分を愛してあげることができればいいなと思う。そうやってしっかりと自分に向き合ってみたら、自然と分かってくることがたくさんある。
江角さんは「自分の感情に正解不正解はない。だから書いていい。まずは書く。書かないとすすまない」ともおっしゃった。
あ、そうか。書いていいんだ。
好きなことがある。伝えたい想いがある。感じてきた気持ちがある。文字にするということは「うんうん、大丈夫だよ」って自分を受け入れていくことにつながっていく。そんな風に感じている。
江角さんの講座を受講して
書きたくても書けないわたし、というものに向き合うことができた。
これって私にとっては非常に大きな気づきであり、小さいかもしれないけど一歩前進だな。