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私の旅とあなたの旅。旅に出て何を感じていますか?~嫁ゆっきぃ編~
夫の亮一さんがインドに旅に出て4週間が経とうとしています。
亮一さんは今、インドの最南端『カニャークマリ』という場所にいるそうです。
ほとんど毎日メッセンジャーで話しをしている私たち。
旅のあれこれをなんとなく共有していますが、伝えきれないことやもっと話したいことも溢れてきています。
なのでこちらで文章で共有したいな。と。
よかったら私たちの旅にお付き合いくださいな。
今週月曜日の深夜バスで私は関西方面に旅に行きました。
たった2日の旅でしたが、私にとってはとても“感じる”旅でした。
22年ほど前、私は所持金たった2万3千円とわずかな衣類と本を一冊だけを持って全てから逃げ出し、京都に降り立ちました。
土地感もまるでない、知り合いもいない、行く当てもどこにもない私が最初に降り立ったのが早朝の京都駅でした。
逃げ出してしまったことは悪いことだったのかもしれません。
でも当時の私にはそれしか方法を思いつきませんでした。
21歳の小娘がわずかな荷物とわずかなお金をぎゅっと抱きしめて、何もわからないまま目を見開いて降り立った早朝の京都駅に、44歳の私が再び降り立ってみました。
横浜からの深夜バスに乗り、京都に着いたのは早朝6時過ぎ。
私は自分がどんな気持ちになるのかを確かめてみたかった。
21歳のあの時と今。
今の私が何を感じて何を思うのかを。
早朝の京都駅はとても空気が澄んでいて寒かった。
私はバスから降り、周りを見渡しました。
そして思ったんです。
「わあ!21歳の時と全然違う!」と。
当たり前ですね。
でも明らかに、違う。
なんというか、視野の広さが違うのです。
見える景色の広さが違う。
心の平安さがまるで違う。
私はその違いにかなり感動して、1人で「わぁ!」「わぁぁ!」と小さな感嘆の声を上げていました。
私はその後、どうしても行ってみたい!と思ってしまった場所に赴きます。
ドキドキしながら。
それがこちら。
私は21歳から22歳までの1年間、雄琴という場所でソープ嬢をしていました。
のっぴきならない事情があったからです。
(のっぴきならなくしたのは私ですが…。)
その辺のことを詳しく知りたくなった方はこちらをどうぞ。よかったら。↓↓
JR湖西線、比叡山坂本駅からタクシーに乗って10分もかからない場所。
そこに雄琴ソープ街があります。
私はそこでさまざまな経験をしました。
そしてとても親切な人たちに会いました。
もちろん辛かったこともあったし、嫌な思いもしました。
21歳の小娘だった私はこの場所でたくさんのことを学びました。
たくさん真剣に悩んでたくさん泣いてたくさん笑いました。
22年ぶりに私はその場所に行ってみたくなったのです。
ドキドキしました。
泣いてしまうんじゃないかと思いました。
私は何を感じて何を思うのか、まったく予想がつきませんでした。
まずはタクシーの運転手さんに「雄琴のソープ街に行きたい」と伝えなくてはなりません。
ソープ嬢だった当時は、ソープ嬢のみんながタクシーを使うのでそれを言うことになんの抵抗もありませんでした。
「運転手さん、○○(ソープランドの名前)ってお店に行ってくれますか?」なんて普通に言えてたんです。
運転手さんだってソープ嬢が毎日何人もタクシーに乗るような場所ですから「はいー。おねえさん○○の人なんですかぁ?こんど指名してもええかいなぁ。ははは。」なんて会話が普通でした。
ですが、もうその業界から足を洗って22年。
なんともドキドキするのです。
そのドキドキが楽しくなってきた頃、私はタクシー乗り場で待機していた一台の車に手を上げました。
「はいー!どちらまでいきます?」
人の好さそうなメガネをかけたおじさんが優しく私に聞きました。
私はニコッと笑ってこう伝えました。
「ソープ街あるやないですか?そこまで行ってほしいんですぅ。」
いつの間にか関西弁になっている私。
なんだか当時を思い出してきた。
「はい!わかりましたー!」
運転手さんは明るく答えてくれました。
この時点で私は何の躊躇もなくなっていました。
「あの、ちょっと数枚写真を撮りたいだけなんでソープ街の入り口で待っていてもらってもええですかぁ?」
私はニコニコと笑いながら運転手さんにお願いしました。
すると運転手さんはちょっとずっこけながら「えぇ?!写真撮らはるん?なんで?記念かぁ?」と笑って聞きました。
「あははは。実はな、22年くらい前に雄琴でソープ嬢やってたんですよぉ。で、久しぶりに来てみたくなってねぇ。ぐるっと回って写真何枚か撮りたいだけやから待っててもらってもええですか?あはは。」
私がそう答えると運転手さんは「そうかぁ!え?平成何年くらい?いつやろぉ?」と首をかしげました。
「え?平成何年かなぁ。わからんわぁ。」
「おっちゃんずっとここでタクシー乗ってるからな。もう何年になるかなぁ。30年にはなると思うねん。」
「え?!じゃあ私乗ってるかもしれへんねんなぁ!」
「そうやなぁ!どこの店におったんや?」
「最初は『花』って店で、その後『シャトークイーン』やで。」
(↑お店の名前は仮名だよ。)
「あー!『花』の社長が○○さんだった時やろなぁ。あの後社長が変わってしまってなぁ…」
「『シャトークイーン』の店長さんは○○さんやったやろ?あの後こうこうこうなってやなぁ…」
「ふく田?あー…もうあの店はだいぶ前につぶれたわぁ。」
「『トキ』っていうスナックあるやろ?まだまぁくんがやってんでぇ。すごいやろぉ?」
…出てくる出てくる…
私が知っている名前、当時の話し、今の話し…
そしてなんと!!
バックミラー越しにおっちゃんの顔をじーっと見ていたら、当時私が何回も乗っている運転手さんだったのです。
なんということでしょう。
ソープ街の入り口に着いた時、おっちゃんは私にこう言いました。
「思い出の場所やろ?ゆっくりまわっといで。おっちゃんここで待ってるから。ゆっくりでええで。」と。
↑ソープ街の入り口。懐かしくて「うわあ!」ばっかり言ってた。
私はゆっくり時間をかけてソープ村をぐるっと一周しました。
知っているお店もあればなくなってしまったお店もありました。
私が最初に勤めたお店は名前が変わってしまったけれど、次に働いたお店は名前もそのまま外観もそのままで存在していました。
「うわ…」「うわわ…」「あーこれは…」「ひゃー…」「懐かしいなぁ…」
私の口からはそんな言葉が出てきます。
胸がきゅっとなります。
そして喉がつまり、涙が溢れてきました。
あの時の私はこんな毎日がやってくるなんて一ミリも想像できませんでした。
毎日がただただ必死で、目に見えている景色もとても狭かった。
22年ぶりにここを歩けてよかった。
涙がぽろりと流れた時、私はこんなことを呟いていました。
「よぉくがんばったねぇ。偉かったねぇ。」
私は過去の私に声をかけました。
あの時の私が必死で頑張ってくれたから今がある。
あなたのお陰だよ。と思ったのです。
写真を撮ったり涙をぽろりと流したり「うわぁ…」といったりしながらぐるりと回ってきた私を、おっちゃんは優しい笑顔で迎えてくれました。
「おかえりぃ。ゆっくり見られたかぁ?」
「うん。懐かしかったぁ。ありがとう。」
「うんうん。よかったなぁ。」
「おっちゃんのタクシー乗れてよかったわぁ。ありがとう。」
「お?!そうか?そんならよかったわぁ。」
私とおっちゃんは堅田駅までの道のりをまたさらに『雄琴ソープランド話し』に夢中になり、ずっと楽しくお話しをしました。
まだ関西に来たばかりなのに、私はこの時点でだいぶ満足してしまったのでした。
今回の私の旅は『過去のカケラを拾い集める旅』と勝手に命名して過去の私がいた場所を歩き回る旅です。
これはその旅のほんの始まりの一コマ。
それなのに、こんなにもぎゅっと詰まった濃密な時間が過ごせました。
「私、ここでソープ嬢だったんだなぁ…」
不思議で切ない、そして懐かしくて温かい、そんな時間でした。
『過去のカケラを拾い集める旅』はまだまだ続きます。
が、今日はここまで。
ではインドのりょういちさーーん!!
今あなたは何を思って何を感じていますかー?
そちらはどうですかーー?
おしえてーー!!
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![藤山家 嫁&夫](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9704681/profile_97026116cde1703cb512105c2e441ea1.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)