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私とそらさん(娘8歳)のある日のやりとりを書いてみる。~嫁ゆっきぃ編~
今日は先日の私と娘のやりとりを書いてみようと思う。
次回はそれをそばで見ていた&その後詳しくその時の話しを私から聞いた亮一さんからの視点を綴ってもらおうと思います。
なんてことはない日常の一コマを、嫁の私と夫の亮一さんの両方の視点で考察してみようという試みです。
日常のなんてことはない一コマの中にたくさんのことが詰まっています。
そこに気付くか気付かないかがとても重要な部分だと私は思っているのだけれど、今回はなるべくそれをわかりやすく、かつ正直に書いていきたいなぁと思う。
ではスタート。
先日、私たち家族はお買い物に出かけていました。
亮一さんはインド行きの諸々を、私はそらさんのパジャマや靴や諸々を買いに。
それは安くて履きやすい靴を探しに『靴流通センター』に立ち寄った時のことです。
最近おしゃれに目覚め始めたそらさん(娘8歳。むちゃカワ。)は、ブーツのコーナーで足を止めました。
かっこいい黒い編み上げブーツやサイドゴアブーツが並んでいる場所です。
「うわぁ~カッコイイ~!こういうの、欲しいなぁ…」
そらさんは目をキラキラさせてブーツを眺めています。
私は何気なく「履いてみたら?」と言いました。
そらさんが本気で欲しがるとは思っていなかったからです。
「え?!いいの?!うん!履いてみる!!」
嬉しそうにブーツを履くそらさん。
思いのほか一足のサイドゴアブーツがぴったりで、自分でもかなり気に入ってしまった様子です。
「ママ!これ、思ったよりも走れるよ!ぴったりだよ!」
そらさんは狭い靴流通センターの店内をちょっとだけ走ってみて、私に「こんなにぴったりだから安全だよ!」アピールをします。
そして「これが欲しくなっちゃったんだ」アピールをします。
「ママ…これがいいなぁ…こんなかっこいい靴が欲しいんだよなぁ…」
そらさんはいろんな言い方で私に『ブーツ欲しい』を表現しています。
それを聞いた私はなんだか段々と不快な気分が増してきていました。
そして「うーん…」とか「でもねぇ…」とか、そんな曖昧な返事をしていました。
「だってさ、○○ちゃんもこういうかっこいい靴履いてるんだよ!そらちゃんだってこういうかっこいいのが欲しいよ。」
私の曖昧な、でも快くは思っていない態度&返事に、そらさんは反応しはじめる。
その反応に私はどんどん不快感が増してきてしまい、強くこんな風に言い放ってしまいました。
「買わないよ!ブーツは買わない。」
私のその言い放ち方がきっと気に入らなかったのでしょう。
そらさんは「じゃあいいよ!買わなくてもいいよ!」と口をとがらせてブーたれました。
そんな時、自分の買い物を済ませて私たちの元に来ていた亮一さんが小さな声で参戦。
「え?ブーツ買わないの?ダメなの?なんで?高いの?…別に買ってもいいんじゃないの?」
と。
私は説明のつかない、自分に湧きあがっている不快感に気付きながら「うーん…」ともう一度考えて、こんな風にそらさんに言いました。
「そのブーツ買ったら光る靴買わないけど、それでもいい?」
そらさんが最初に欲しがっていたのは歩くと底の部分が光る靴です。
靴流通センターにはそらさんに合うサイズがなかったのでネットで探しておく約束をしていました。
私はなぜだかブーツを買いたくなくて「だったら光る靴は買わないけれどいの?」と言ったのです。
そらさんは即座にこう答えました。
「じゃあブーツやめる!光る靴のほうがいい!」
すぐに立ち上がり、ブーツを棚に戻すそらさん。
私は「うん。じゃあそうしよう!」とちょっと勝ち誇った気持ちで言いました。
亮一さんは「へー。そうなんだぁ。」と私たちのやりとりの終了を告げるような言葉を誰に言うでもなく放ちました。
みんなで車に乗り込み、次の買い物場所へ向かって出発した私たち。
私は車の窓から見える景色に目をやりながら、私の中の不快感がまだまだ増していることに気付きました。
居心地の悪いまま黙り込む私。
となりにそらさんがいるのに。(いつもはずっとふざけて話してるのです。)
そらさんも窓の外を見て黙り込んでいる。
もしかしてそらさんも不快なのかもしれないなぁと思い、ちょっと気になる。(後でわかったのだけれど、そらさんはただ眠いだけでした。笑)
なんだ?この不快感は。
とても居心地が悪い。
私は今不機嫌だ。
なんでだろう。
私は私の不機嫌にますます気付き、私の声に耳を傾けてみたのですが、そこにはこんな思いがありました。
・ブーツで学校に行って欲しくない。
・それはブーツが固いからだ。
・まだまだ足が大きくなっていく年齢なのに、そんな固い靴で遊んだら足が痛くなってしまうかもしれない。という私の心配。
・足が綺麗に大きくならないかもしれない。という私の懸念。
・そらさんには走りやすい、歩きやすい靴で、思う存分遊んでほしいと思ってる。私の希望。
・私は自分の本音を言わず、「だったら光る靴買わないよ!」とこっちの思惑通り動かすためにコントロールしてしまった自分が気持ち悪くて嫌だと思っている。
私は上記のことに気付いて、これはマズいと思いました。
これはほっといてはいけない。と。
私は私の不快感をほっといてはいけないと思ったのです。
次なる買い物の場所に行く途中、私たちはコンビニに立ち寄りました。
そらさんはもうすっかり機嫌が良くなっていて、さっきのブーツの事はまるで気にしていない様子。
でも私はジュースの棚の前でそらさんにこう言いました。
「あのさ、さっきのブーツの事、ごめんね。」
「ママさ、『ブーツは買わないよ!』って強く言っちゃったこと悪いと思ってるんだ。だから謝らせてね。」
私が話しを切り出すと、そらさんは「え?」と私を見合げました。
そして「いいんだよぉ。」と笑いました。
「あのね、ママはそらちゃんの足のことが心配だったんだよ。あんなに固い靴で走ったり遊んだりしたら、まだまだ成長して大きくなっていくそらちゃんの足が変なになっちゃうんじゃないかと思ってね。あと、痛くなっちゃうんじゃないかと思ってね。だから心配で『買わない!』って言っちゃったんだ。ほんとにごめん。」
私は心から本音を伝えました。
「もしそらちゃんがあのブーツをほんとに欲しかったらいいんだよ。買ってもいいんだよ。」と付け加えて。
私の謝罪を聞いたそらさんは笑いながら「いいんだよぉ。ママがそらちゃんを心配して言ってくれたんでしょ?だったらいいんだよぉ。それにそらちゃん光る靴の方がほしいんだもん!」と答えました。
「もー!ママはほんとに心配性なんだからぁー!」と付け加えながら。
私はそらさんとそのやり取りをした後、嘘のようにすーっと不快感が消えていることに気付きました。
もうさっきまでの胸のどんより感はありません。
さっきまでの視界の狭さも驚くほどないのです。
晴れ晴れした気持ちです。
そらさんとも亮一さんとも「わはははー!」と思う存分笑えます。
私は私の本音に目を向けず、『ただなんだか買いたくない』を押し通してしまおうとそらさんをコントロールしました。
強い口調で言い放つことでそらさんをやりこめようとして、そして交換条件を出して自分の思うように進めようとしたのです。
これはとても居心地の悪い行為でした。
イライラするのです。
でも自分が何を思っているか?に目を向けて、何に対してイライラしているのか?がわかるとスッキリする。→私、ハッピー。→そらさん安心で嬉しい。→亮一さん安心でハッピー。
これは日常のほんの一コマの出来事。
ほんの些細な一瞬のことです。
たくさん本を読んで知識を増やすのも大切かもしれないけれど、たくさん講演会やらセミナーに行ってお勉強するのも大切かもしれないけれど、日常生活のほんの些細な一コマに叡智が詰まっているんだと私は思うのです。
私の感覚や感情の揺れがそれを教えてくれるのではないか?と。
それを置き去りにせず、ちゃんと向き合う姿勢を見せる。
それが『丁寧に生きる』ことなのだと思うのです。
『子育て』は『私育て』。
『私育て』は『私はなんだろう?』を知っていくということ。
人を通してしか知れないからね。自分ってなんだろう?は。
ほんの小さな些細なことに、とてつもなく大きくて深いことが詰まっているのだと日々気付く。
これからもそこを大切にしていきたいなぁと思うのでした。
そして素直で正直でいないと居心地が悪いのだなぁと改めて知るのでした。
さてこの出来事。
亮一さんはどう見る?
どう書く?
気になるなぁー!
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