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自分のこと、好きですか?~夫りょういち編~

僕に「自分のことを好きじゃない」という感情が芽生え始めたのは多分、中学生くらいの頃かと思う。

いま思い返すと、当時のそれは「自分が嫌い」という明確なものではなく、「自分って平凡だよなぁ」という、ちょっとした否定感ともっと個性的な人になりたい、目立つ人になりたいという思いだった。

そう、要は個性的で格好良くなって「女の子にモテたい!!」のだった。

僕は中学生になる前、私立のミッション系の小学校に通っていた。クラスも2クラスしかなくて男子は1クラスに7~8人という構成だった。

そんな中、多少運動が得意だった僕は、大概の競技において”抜きん出た存在”というポジションを発揮していた。

小学生で運動が出来る、というのは女の子にモテる為には必須な条件(と僕は思っていた)で当然、僕はモテていた。

そう、モテていたのだ。

余裕勝ちだと思った。

その余裕ぶりは肩で風切り音がするほどの余裕だった。

そして当時の僕は思っていた。

勉強なんて多少苦手だろうがそんな事はどうでも良い。運動が出来て女の子を笑わすテクニックさえあれば、世の中他に必要なものはないじゃないか?と。

そして僕は、僕の為に敷かれたレッドカーペット、女の子にモテる道の上をただマイペースで歩いて行けば良いのだと思っていた。

本当に愚かだった。

まさか”人生最大のモテ期が今である”なんて小学生である亮一少年に想像出来るはずもなかった。

まさかこの先のレッドカーペットが途切れているなんて。

もうレッドカーペットが僕の為に敷かれた事は一生ないだなんて。

しかも最も恐ろしい事には、今考えてみると本当にモテていたのかどうかも実際怪しいのだ。あぁ、なんと悲しき亮一少年、そっと抱きしめて耳元で「おバカさん」と囁いてあげたい。

そして、

中学時代。

当時僕は地元にある公立の中学校に進学した。1クラス30人以上、1学年11クラスもあるマンモス校だ。

悪い中学だった。

40年前のその頃、世の中の中高生はツッパリブーム真っ盛りだった。そして僕の通う中学はその中でも”超”が付くような悪い意味での有名校。

温厚な小学生としてぬくぬく育った僕は震え上がった。

ギラギラと光るむき出しのナイフそのものみたいな存在達がそこら中にいた。

こちらから攻撃を仕掛けずともすれ違うだけで傷つけてくるナイフ達。

そんなナイフから隠れるように、避けるように過ごす日々だった。

もちろんナイフみたいな奴らばかりだった訳では無いのだが、ナイフ以外の連中もとにかく個性が強い学校だった!女も男も。

個性的な奴らが多すぎて自分が何処に身を置いていいか分からなかった。

そして当然、

モテない。

大人になった今思い返しても、中々巡り合えない程個性的な奴らがゴロゴロといる環境の下、僕は明らかに目立たない存在だった。

頼みにしていた運動神経も全く棒に振るわない。温室の外には猛者が沢山いる事を思い知らされた。僕が何とか頑張っても中の上位がいい所だった。


ヤバい!おかしい!本来の自分を取り戻さなければ!!


これが本来の姿だとは気付けない亮一少年は、過ぎ去ろうとしていた幻のモテ期をなんとか取り戻そうと喘いだ。

もう一度レッドカーペットの上を歩くのだ!いつの間にか踏み外していたレッドカーペットの上を!!

その為には

「個性的になるしかない!」


当時、僕は僕が何をやっても”平凡”に思えた。

そして何時でも何かを選択する場面がある度に”個性的”に思える選択をする様心掛けた。

こうして僕に”脱平凡”というテーマが付いて回るようになったのだ。

そのくせ元来小心者の僕である。

本当に傍から見てギラギラ光るナイフの様な選択は中々出来なかった。

無難に、高校進学、大学進学、就職と大きな流れから外れる事はなく、いわゆる”平凡”な人生の上を歩いていた。

一度大海を恐れてしまった蛙には、井の中でなんとか目立てないものかと”平凡の中で個性的な髪型、ちょっとはみ出た意見、道化る姿を演じるのが精一杯だった。

”ちょっと面白い奴”。

それが精一杯だった。

こうして僕はレッドカーペットの代わりに”何となくの何時もの僕の場所”と言うようなポジションを歩く様になっていた。

そのポジションは多少なりとも個性的に思え、心地良いという反面、どこか何時でも吹っ切れない様な、行き切れない様な、ナイフに成り切れない様な感覚があり、その頃には「自分のことをあまり好きじゃない」というような自己否定感が心の底辺を漂う様になるのだった。

そして現在、

僕はサラリーマンを辞め、整体師になり、奥さん子持ちの45歳にして一切の仕事を辞めて海外一人旅をして、なんの因果が庭師として働く機会を得て、そこから2~3年後の今、暇つぶしで作り始めたインドカレーを「カレーの会」と称して不定期で人に振る舞う位で殆ど他に何もしない、という生活を送っている。

これは結構大胆な事になっているんじゃないだろうか?

見る人から見れば「すげぇ個性的な人生」で、それこそ鈍い光を放つナイフで世の常識を切り裂きながら歩く人生の様に見えるのでは?

そう言えば先日、新宿から大久保方面へスパイス購入目的で歩いていたら人生初の”職質”を受けた。

お巡りさんよ、僕は”白い粉”じゃなくて”茶色い粉”を探しているだけです。

だいぶ個性的に見えたのだろう。

僕も変わったものだ。

何時のまにやら”脱平凡”してたのだ。

で、気持ちよいか?

実は全然気持ち良くない。

というより、

なんでこんな事になってしまったんだろう?

僕の感覚は相変わらず井の中でしか生きられない小心者の蛙でしかないのに。

なんだか取り返しのつかない所まで来てしまったのだろうか?

どうしよう?

先行きが全く分からない。

ちょっと”個性的”な選択をしていたらいつの間にかこんな生活に。

浅瀬で遊んでいたつもりがいつの間にかブイから遠く先まで来ていた。

全くこんな自分が嫌になってくる。

「自分が好きじゃない」

自分の嫌な面を克服したくて選択し続けた結果が「自分が好きじゃない」だなんて。

でも一つ、そうした選択のお陰で大きな気付きがあった。

個性的と思える選択を何回しても、あっち側に見えていた所に来たつもりでも、そっちに進めば何者かになれるんじゃかという期待とともに移動してみても、

”辿り着かない”

まるで携帯のグーグルマップで目的の方角に進んでいる様だ。

見えるのは何時でも7~8センチの画面に収まっている映像だけ。北に進んだ分だけ南が隠れ、東に進めば西が隠れる。

フレームには何時だって同じサイズの映像があるだけだ。

さっきと違う様で何も変わらない映像の繰り返し。

何もその中に溜められない透明なフレームはまるで僕の様だ。

しかし、この気付きは僕には大きなものだった。

だって何処にも”辿り着かない”って事は、

「進んでも良いし、進まなくても良いという自由」

「もともと求めていた何処かは蜃気楼でいつだって此処しかないという解放感」

「僕という透明性」

そんな感覚を僕にもたらしたのだから。


って事でこんな事に気付ける「自分が好きだ」。

けどこんな所まで来ないとこんな事すら気付けない「自分が好きじゃない」。

なんなんだ!なんて日だ!!なんて人生だ!!!

そしてそ肝心のレッドカーペットの件。

「女にモテるレッドカーペット」

「ついに小学生時代以来、ついぞ僕の前にひかれる事がなかった幻の絨毯」

そこにも大きな気付きが訪れた。

試行錯誤したその後、僕にもレッドカーペットと言わないまでも多少はふかふかした道の上を歩ける時もちらほらあった。

そして今、僕はゆっきぃという1人の女性にはモテる様になった。

今の奥さんだ。

ゆっきぃには過去にホステス時代なんかもあったりして何人もの男がお金を払って同席を求めたり、同伴を求めたりしたようじゃないか?

なんだが嬉しい。

そこはかとなく幸福感がある。

どうだ過去の男たちよ!

お金を払った男たちよ!

俺なんて無料だ!!!

なんだか足元に絨毯が敷かれている感じまでするぜ!!

だから僕の中の計算ではゆっきぃという女性1人にモテているというより、×30人位の女性にモテた事にしてもいいんじゃないかと思っている。

こんな都合の良い

「自分の事が好き」


 ↑絶対モテない奴



藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!