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子育てと躾について。そして子供が生まれてどう変化した?~夫りょういち編~

子育てと躾について悩んだり、不安を抱えていたりする親ってたくさんいるんだと思う。

僕にも今年8歳を迎えようとしている娘がいる。

一般的にいって父親として子育ては非常に大きな役割の一つとして認識されているんじゃないだろうか?

僕もたまに「この選択はこの子にとって良い事なのかなぁ」とか「これはなんて説明しようかなぁ」などと、悩みとまではいかないもののモヤモヤした感じを味わうことがある。

例えば、何かの習い事を始める時や辞める時、本人の意見をなるべく尊重する様にはしてはいるが、まだまだその選択理由が幼い子供なりの曖昧なものに思え、ある程度はこちらで誘導する事も多々ある。

でも教育のシーンで何故モヤモヤするのか、と考えてみると

「正解が分からない」からだと思う。

もともと正解が分かっていれば「あなたの意見の何がどう間違えているからこちらを選択するべきだ」とスッキリ出来る。

所が、たちが悪い事には正解が分からないせいで ”教育や躾は子供の為のもの” であるはずが、いつの間にか周りからどう思われるだろうか?とか、一般的ではないんじゃなかろうか?などど「それ、ただの親の都合だろ?」とツッコミが入りそうな心配まで入ってきてしまう事だ。

やはり子育てや躾も、それが本人の幸せに方向付けされているのか?がポイントだと思う。


ところで、人生の目的は何か?と考えた時、「幸せ」が人生の目的だと常日頃僕は思っている。人生で為される事は全てにおいて最終的に「幸せ」に向かっているべきだと。

が、そこにまた、問題がある。

「人生の目的は幸せである」などと常日頃考えて目標にしている時点で、本人が「幸せに行きついていません」と宣言しているようなもので、その幸せに行きついていない僕が「この教育や躾は幸せに方向付けされているのか?」など難しい問題が分かるはずがないのだ。それが一貯前に父親面してるんだから、事あるごとにモヤモヤするのも当然だ。

じゃいっその事、「子育ても躾も放棄してしまえ!」と全てを投げ出してしまってはどうだろう?しかしそうもいかない。なんせ世間体もある。周りから変に思われては親として都合も悪い。

どうしよう・・・

そもそも教育や躾が「幸せに方向付けできる」という前提からしておかしいのではないだろうか?

僕もそれなりではあるが教育も躾も受けてきた。親や教師、諸先輩方もその場その場で一応は僕の為を思ってくれたのだと思うし、そう思いたい。だけど ”その甲斐あっての今” なのか、”そのせいで今位” なのかは分からない。とにかく「幸せ」に行きついた感じはない。

それに、今が正解なのか、不正解なのかは何時分かると言うのだろう?

というより人生に正解も不正解もあるのだろうか? 幸せな人生、不幸せな人生は誰がどう判断するのだろうか? 神様か? 神様が「君の人生は幸せだ」と判決を下そうが、僕に実感がなければ意味がないのではないだろうか? 48年も生きて来て、さっぱり何だか分からない。

と言うわけで、僕には人生なんて全く分かりません

何故、 息を吸って、吐いて、ご飯を食べて、ウンチして、疲れて、寝て、腹立てたり、笑ったり、努力したり、人を好きになったり、嫌いになったり、年老いたり……「人生には価値がある」ってわざわざ理由を探さないと価値があるのか無いのかも定かでない様な日々…

正直なところ、僕には人生なんて全く分かりません

だから子供に謝りたい、「パパには目の前で展開されているコレが何なのかが未だにさっぱり分からないんだ、ごめんね」って。

ただ、「 赤信号を無視して渡るのは危険な事だ や、 1+1=2 が生活していく上で覚えておくと便利だよ 」とは伝えようと思う。

そして「パパも目の前の人生を泳ぐ事に一生懸命な毎日なんだ」という事、「実はパパも人生の初心者です」という事を伝えていきたいし、それしか出来ない。


と言うわけで、

子育てや躾について、は人生の意味も正解もわからないので「こうやったら便利だと思うよ」というスタンスでやってます。

子供が生まれてどう変化した? は子供は生まれる前は父親になった時の責任が怖かった。でも今思う事は親だろうが何だろうが子供の人生の責任はとれないし、とりようがない。

でしたー  以上。



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藤山家 嫁&夫
藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!