募集したテーマについて書いてみます!②『仕事の愚痴ばかりなのにその仕事を辞めない人が多いのはなんででしょう?』~夫りょういち編~
早速いきます!
質問「仕事の愚痴ばかりなのにその仕事を辞めない人が多いのはなんででしょう?」
答え「自分の弱さを自分の責任にしたくないから」
です。
仕事を辞めるとか、転職するとか、そういう選択が自分の人生に大きな影響がありそうだと思っている人が一般的には多いかと思います。仕事に費やす時間というのは生活の中で結構な割合を占める事が多い、という意味でも仕事が自分のアイデンティティと繋がりやすい、という意味でもそうかもしれません。
「よし、この仕事を続けて行こう」
「よし、この仕事を辞めて新しい世界に飛び込もう」
どちらを選ぶのも中々勇気のいる事の様に思えます。
自分で決めたからには自分で責任をとらざるをえないとか、自分で自分の世界を背負って立つというような思い、つまりどちらを決断するにも腹を決めるという覚悟が必要な事に思えるのではないでしょうか。
つまり腹を決める選択が出来ない自分の弱さを、会社や自分を取り巻く環境のせいにするという責任転嫁が「仕事の愚痴ばかりなのにその仕事を辞めない人が多い」現象に繋がるのだと思います。
「愚痴を言いながら仕事を続ける」は仕事を続けてはいても「よし、この仕事を続けて行こう」を選択しているわけでは無く、とりあえずの現状維持であったり、自分を取り巻く環境のせいで「仕事を辞める」という選択肢が自分には無いと言う事にして実際には選択をしていない状態だと思います。
選択をしていない仕事を続けている事でやらされている仕事感が出て来ます。
やらされている → つまらない → 愚痴も言いたくなる
という感じでしょう。
逆に、怖さを乗り越え強く何かを選択が出来た時、自分が一回り成長したような爽快感を感じたり、人生にやる気が出て気持ち良さを感じます。
誰でも「選択できない」「腹を決められない」という弱い自分を感じたくない、弱い自分で在りたくない、という思いはあるのではないでしょうか?
そこで弱いのは自分ではなく、周りの環境のせいで自分は仕方なく続けているのだ、というわけです。
そして傷を舐めあう様に仲間と愚痴を言い合い、現状を打破できない自分を今日も誤魔化す。
そんな自分で良いのでしょうか?
貴重な人生を無駄にしてはいないでしょうか?
今を大切にするべきではないでしょうか?
今、たった一歩を踏みだす勇気が必要なのではないでしょうか?
昨日までの自分とはさよならをして前を向いて大きく一歩踏み出す!
颯爽と春の日差しを全身に浴びながら背を伸ばし!大きく!
前へ!!!
…
…
…
…クソかよ(´▽`*)
クソですか?
お前優等生か!!
そんな見事な決断がいっつも、いっつも、恰好良く出来てりゃ苦労しねぇ~っつ~の!!
みんなそれなりに折り合いつけながら臭い所に蓋しながら生きてんだっつうんだよ!
永遠に成長しとけ!ボケ!!
…
…
あの~
前回のゆっきぃ編、読みました? ↓↓↓
人はいつだって「よくなろう」としています。
そして「良い方を選ぼう」としています。誰だって「悪くなる方を選ぼう」とはしていません。
嫌だ嫌だと言いながらもそっちのほうが(辞めない方が)良い方だと判断して選んでいるんですよね。
そうなんですよ~
選択なんて何時だってその時その時で自分の”良い”を選ぶんです。というより”良い”しか選べない。
たまに「周りの人の為に自分を犠牲にしています」なんて言う人いるけどそんなの嘘。
「自分を犠牲にしている」ってスタンスの方が自分にとって”良い”んです、罪悪感や弱さを味わいたくないだけ。
だから愚痴を言っても仕事辞めない方が自分にとって”良い”だけ。
僕らはいつだって”良い”を選択してる。
だから愚痴を言いながら辞めないではないんです。
ちゃんと愚痴を言いながらの現状維持を選択してるんです。
立派に腹を決めている。
だから中々辞めない。
「よし!仕事辞めるぞ!」「よし!この仕事を続ける!」が自分にとっての”良い”になるまでは。
つまり「よし!仕事辞めるぞ!」「よし!仕事続ける!」ってはっきりするのも一見強い選択に見えるだけで実際にはその時期が来たってだけです。
一見強い選択が出来ない様に見える相手の愚痴に弱い自分を投影してしまってもどかしくなっちゃう。
「愚痴言うくらいなら辞めろ!」ってなっちゃう。
でも、
僕らはいつでも”良い”しか選択できない。
僕らはいつでも”良い”を選択している。
今までもずっとそうでした。
いつでも”良い”を選択してきた。
そして今がある。
幾千、幾臆もに”良い”の選択の上に今がある。
いつだって最善の選択の上の今です。
”良い”を選択し続けてきたお陰の今。
だから後悔なんて本当はいらない。
”良い”の選択の上に積み上がった今だから。
それなのにまた後悔してしまう。
だって後悔する時は後悔する事が自分にとっての”良い”だから。
僕らは”良い”しか選べない。
いつでも…
…
…
気付けてますか?
選択なんて幻想です。
”良い”しか選べないって選択といえるでしょうか?
実は選択なんて最初から無いんです。
でも僕らはいつも迷う。
どっちを選べば良いだろう?
どっちを選べば正解だろう?
どっちを選べば幸せだろう?
掴めるものなんて何もないのに…
人生なんて”良い”を選ばされ続ける川の流れです。
いえ、
”良い”を選ばされ続ける様に見える川の流れです。
ただ川の流れがあるだけです。
実は舵を取るオールさえありませんでした。
だから心配いりません。
心配しないで流され続けるしかありません。
そう、心配しない事すら選べません。
笑えます。
もう笑うしかありません。
ヒンドゥー教ではこの世界の事を神の戯れ(リーラ)と言うそうです。
笑うしかありません。
人生を踊りましょう!
いや、僕らずっと踊ってます!
おわり。
※今日はお薦め映画があります。
トレインスポッティングとトレインスポッティング2
1996年に公開され、当時日本でも渋谷のオシャレな若者を中心(?)に大ヒットしたドラッグに溺れる若者たちの陽気で悲惨な青春映画。それから20年。大人になったろくでなし達のその後が描かれたトレインスポッティング2。
ただのジャンキー映画とあなどるなかれ!人生のクソッタレ!「もう踊るしかない!!」そんな映画です。ぜひ1と2両方見て下さい!!
僕ら夫婦で大好きな映画です。(子供とは見ないでね)
※見た方は是非とも感想聞きたいな~