子育てと躾について。そして子供が生まれてどう変化した?~嫁ゆっきぃ編~
前回のブログ。
読んでくださいました?
すごかったですよね?!ね?!
亮一さん、すごくないですか?!
もーね、あれなんですよ。
あれあれ!あれなのよ!
あれをみなさんと分かち合いたくてこのブログを立ち上げたようなもんでなんですよ。
面白くないですか?亮一さん。
あ、まだの方はぜひ読んでみてください!!↓↓↓
前編↓
後編↓
こんなこと書ける男性います?!↑
ほんとにすごいと思うし、私が一番のファンなのですよ。てへへ。
さて。
今回はこのテーマ。
『子育てと躾』そして『子どもができてどう変わったか?それとも変わらなかったか?』。
これもただ亮一さんがどう書くのか?が知りたいだけでテーマを決めたようなものなので、私の話しいる?って感じなんですが、まぁ書いていきましょうか。
特に目新しい見解もないと思いますし、たいして面白くないと思いますが、よかったら一意見としてお読み頂けたら嬉しいです。
私たち夫婦には7歳になる娘がおります。
名前は空(そら)。
↑こちらのかわいこちゃんでございます。(←親バカ上等。)
結婚当初、私は自分が子供を産み、育てるなんて絶対無理だと思っていたので亮一さんにその旨を伝えておりました。
「私、子供は産まないと思うし、産めないと思うから。」と。
ですけどね、私、赤ちゃんも子どもも大好きなんですよ。
ただ自分に育てられるわけがないと思っていたので「むーりー」と言っていたんですね。
でーすーがー
とある人の「私、妊婦になりたんです」という言葉にガビーーン!と衝撃を受けまして、「うわ!私も!!私も妊婦になってみたい!!」と強く思い始めてしまったんですね。
「子供がほしい」ではなく「私が妊婦になりたい!」という欲望が芽生えてしまったのです。
結婚してそろそろ2年。
私は亮一さんをけしかけ始めます。
「ねぇん。私、妊婦になりたんですけどぉ~♡」
そんなことを言う私に亮一さんはこう答えました。
「お父さんになんかなりたくない!!怖い怖い~!!」
…ちーん…
亮一さんは「お父さんって責任があるでしょ?俺はそんな責任おえないよ!」と布団を頭まですっぽりとかぶってそう言ったのでした。笑
そう言われても私はめげません。
「ねぇん。きっと楽しいよぉ~♡」
「ねぇん。きっと大丈夫だよぉ~♡」
少しずつ少しずつ亮一城という牙城を崩していきました。
そしてある日、亮一さんがこう言いました。
「…子どもがいる毎日も…楽しいかも…ええい!もうどうにでもなれーー!!!」
やたーー!!
見事崩落!!
まぁそんなこんなで私たちの元にそらさんがやってきたのですが…
まぁ戸惑いますよね。
子育てなんて初めてだし、なんか『正解』がたくさんあるし。
逆に『不正解』と言われることもたくさんある。
私はまず『自然分娩』が出来なくて『帝王切開』だったことにガッカリします。
そして自分を責めました。
それから『母乳問題』。
母乳が出なくて出なくてこれまた自分を責める。
桶谷式の母乳マッサージにせっせと通い、食事内容に怒られ、夜中も起こして授乳しなさい!と言われて悩みました。
そらさんが夜中ガッツリ寝てくれるいい子だったのに、そこに悩むんです。
亮一さんにもいつも相談していたなぁ。
帝王切開で自分を責め、母乳が出なくて悩み、母乳とミルクの混合育児の時間配分がわからずいつもそんなことばかり考えてました。
目の前にはぜんっぜん手のかからない可愛いそらさんがいるのに。
(そらさんは『夜泣き』というものをしたことがないし、基本いつもゴキゲンなやつでした。今もだけど。寝起きはだいたい『ニコッ』と笑う赤ちゃんだった。)
そんな時、亮一さんはこんなことを言っていました。
「そらはゆっきぃに『あきらめる』を存分に教えてくれるねぇ。」と。
自然分娩出来なかった自分の女性性を責め、母乳がどうやっても出なかった自分を責めている私をそらさんはいつもニコニコと見ていた。
「うー…『あきらめる』って難しい…」といつまでもグダグダいう私。
そんな私に衝撃的な出来事が起こります。
第2子誕生。
そしてその子は『18トリソミー』という染色体異常の男の子でした。
18トリソミーという染色体異常の特徴として真っ先にいわれるのは『短命』だということ。
結局我が息子『天太(てんた)さん』は結局1歳4か月という短い生涯で亡くなりました。
(18トリソミーでも元気に生きている可愛い子たちはたくさんいますよ。念のため。)
私はこの1年4ヵ月という期間に自分の中のいろんな感情と向き合うことになる。
今までだってたくさん向き合ってきたつもりだったのに、まだまだそんなもんじゃねーよ!と言われてるみたいな期間だった。
私の性格の悪さや醜さ、認めたくない程の薄情さや狡さが次々露見されました。
天太さんは可愛い。めっちゃ可愛い。
でも『普通』に成長しないし、お話しもしない。
お世話は大変だし、いつ死んじゃうかもわからない。
私の時間がどんどんとられていく。
一日中天太さんのお世話に明け暮れなきゃいけない、そしていつも心配していなきゃいけないことにイライラが募る。
そしてそんなイライラしてる自分を責める。
母親なのに!親なのに!我が子を疎ましいと思っている自分がいることの辛さを味わう。
私は酷い。私には優しさというものが欠如している。私は母親失格だ。
そんな辛さを存分に味わい、大いに泣きました。
そんな時、亮一さんがこう言った。
「天太のお世話は誰がやっても辛いでしょ?母親だとお世話が辛いと思っちゃダメなの?人間なら当たり前に思うでしょ?俺、絶対そんな風にお世話できないよ。」
…目から鱗でした…
そして亮一さんはこう続けます。
「天太を可愛くて愛しいと思っている気持ちと、辛くて疎ましいと思ってる気持ちは一緒にあってもいいでしょ?同居していい感情なんじゃないかな。」
私は天太さんの存在と、亮一さんの言葉のお陰でやっと
「あきらめる」ことができたのです。
ズルくて怠け者で優しさの欠片もない、そして母性的ではない自分と、愛しさを存分に味わえる、優しさを存分に発揮できる自分。
どっちも『ある』のがこの“私”という、どうしようもなく切ない存在なんだと『あきらめて』『開き直る』ことができたのです。
そんなどうしようもなく切ない私が、人を躾けることなんてできるのでしょうか?
そもそも『躾』ってなんなんでしょう?
私は『躾』という言葉を聞くと、どうしても『上から押さえつける』というイメージが湧いてしまう。
これはただの私のイメージなのでホントの意味ではないのだろうけど。
「親が子の躾をするのが当たり前だ」という人が今の時代もきっとたくさんいるのでしょう。
でも問いたい。
そもそも人を躾けられる人が世の中にいるのでしょうか?と。
私はつくづく自分のことを「人から押し付けれるのが嫌な奴なんだなぁ」と思うのですが、もし私を躾けようとする人が現れたらどうするかな?と想像してみたらもんのすごい怒りが湧いてきた。
「てめぇ、私のことを躾けられると思うならやってみやがれ!やれるもんならやってみろぉ!!」みたいな感情が湧くのです。
『人を躾ける』ってそれ相応の覚悟がいることんなんじゃないかと思う。
と、同時に誰かに躾けられてる人(特に女性)に会うともんのすごい怒りが湧く。
「てっめー!自分のことなめてんじゃねーぞ!!おらぁーー!!」みたいな感じ。
どこまでいっても人は対等なんだと思う。
自分の子供でもそれは変わらない。
あくまでも対等。
なので私はそらさんにいつも正直に話そうと思っています。
「ママは脱いだパジャマは畳んでほしいのです。それは脱ぎっぱなしのパジャマを見るのもそして畳んであげるのも嫌だからです。お願いしますよぉー。」と。
これは躾でしょうか?
いや、全てがお願いになるし、そして話し合いになる。
私は『躾けられる』のが嫌です。
だからそんなことはそらさんにはしたくない。
ただそれだけの単純な話しだったな。
ここ数日、『躾』に対してあーだこーだ考えていたのだけれどなかなか考えがまとまらず、我が娘そらさんに聞いてみたんだ。
『躾』のだいたいの簡単な意味を教えてから、こんな風に。
「ねぇねぇそらちゃん。そらちゃんはママに躾けたいことってある?」
するとそらさんはこう答えました。
「えーとね…『お店とかで流れてる音楽で踊らないでっ!』って躾けるかなぁ。」
…ちーん…
てことで、私の『子育て』は『子、育つ』で、『躾』はしたくなくて『正直に話す練習』をしています。
そして『子どもが生まれて変わったか?』は、『より開き直りに拍車がかかった』という結果でした。
あー長くなったなー。
では亮一さーーん!!
また面白い切り口で頼みますよーー!!
よかったらそらさんのお話しもどうぞ。↓
天太さんのこともこちらに書いているのでよかったらどうぞ。↓
藤山家嫁ゆっきぃ 最愛の旦那さん亮一さんと最愛の娘(7歳)空さん、義理母きみ子さんの4人&愛猫2匹でめっちゃ幸せに暮らしている。亮一さんと私、双方から1つのテーマについてやりとり形式のブログを書き綴っていきます。 夫婦のこと、SEXのこと、子育て…亮一さんの面白い視点に注目!