不安との付き合い方、どうしてる?~嫁ゆっきぃ編~
お久しぶりです。
撃沈がひどくて何も書けなくなっていた嫁ゆっきぃです。
やっと復活したのでまた亮一さんを巻き込んで書いていきたいと思います!
前回の亮一さんの記事。
読んで頂けました?
センセーショナルでしたか?
「ふーん」って感じでした?
私は「よっ!!亮一節炸裂っ!!」という感じで気持ちよかった!!です。
まだ読んでない方はどうぞ。
絶対読んでよ!↓↓↓
さて、今回はこのテーマ。
『不安との付き合い方、どうしてる?』です。
これは私の友人からのリクエスト。
「次は“不安”について書いてぇ~!」と切実に懇願されたので「おう!わかった!!」と安請け合いしてしまいました。たはは。
亮一さんのお話をさっそく聞きたいところですが、今回は私(嫁ゆっきぃ)の回だよ。
まだノープランで書き始めているので、どう展開していくか私自身が楽しみにしている段階。
どう書くかなぁ。
『不安』。
特定の対象をもたない恐れの気分。危険の対象が目前に顕在化していてこれにひるんでいる感情を恐怖と呼ぶのに対し,不安は自分に襲いかかるものをこれといって名指すことのできないまま自己の存在が脅かされているのを感じる際の情動である。例えば,突然凶悪犯人に刃物を突きつけられたとする。犯人の形相や鋭利な刃物を前にしてまずは恐怖に襲われる。やがてそのままの状態が続けば,その危機の感情の中に,この先自分がどうなるのかわからないことに対する不安がめばえてくる。
調べてみてなるほどーと思う。
『恐怖』は対象がはっきりしている状態ってことね。
それに対して『不安』は対象がはっきりしていないんだね。
ま、言われてみればそうだよね。
過去に私はひどい摂食障害だったんだけど(15年くらい苦しみました。)、それこそ不安から逃れるために食べ吐きを繰り返していたんだろうなと思う。
結局その摂食障害は病院にも行かずに徐々に完治するんだけど、その完治に大いに貢献している体験があるのでその体験を書こうかな。
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その時私は大阪の大国町と言う場所で1人暮らしをしていた。
当時高級クラブのホステスをしていた私。
その大国町の2DKの広いマンションは『パパ』という存在の方が借りてくれたマンションだった。
その日『パパ』はその部屋にはいなくて、昼頃起きたら11階の部屋のベランダからは気持ちの良い日差しが差していた。
当時の私は生きていることがとても辛くて、1人になると時間を持て余してしまいすぐに食べ吐きをしていた。
無為な時間を過ごすことが怖くてできなかったから。
誰もいない、気持ちの良い日差しの入る部屋で私は2日酔いの頭でボーっとたたずんでいた。
(…同伴出勤まで時間があるなぁ…どうしよう…営業の電話かけなきゃなぁ…あと数日同伴の予定いれとかなきゃなぁ…)
そんなことを考えていると、またあの嫌な感じに襲われ始めた。
「…うー…」
これから私はどうなっていってしまうんだろう。
今日は同伴出勤の予定が入っているからまだいいとして、明日は?明後日は?それで?これからどうなるの?
こんな食べ吐き野郎の私がこの先どうなるっていうんだ?
仕事で成績を上げていなきゃみんなの輪に入れない。
ホステスという肩書があるから人と関われるけど、その肩書きがなくなった私は何者だというんだ?
こんな嘘ばかりの私を誰が受け入れてくれるというんだ?
どうしよう…
この先どうしよう…
私は一人だ…
誰からも相手にされない、誰とも心を通わせることができない、誰にも心を開くことができない、誰にも必要とされない
どうしようどうしょうどうしようどうしよう
胸が張り裂けそうだ。
怖い。
苦しい。
うーーー…
そんな感情に押しつぶされそうになって絶望的になったその時。
私は何を思ったのか、ふと「これはきっと『孤独感』というやつだ。そして『不安』と呼ばれている感情だ。そうだ。これをじっくり感じてみよう」と思いついた。
『孤独』とはなんなのか。
『不安』とはどんな状態なのか。
もう穴が開くほどみてやろう。と急に思いついてしまった。
まずは身体を感じてみる。
どこがどうなっているのか。
胸がギュッと詰まった感じがする。
喉も詰まっている。
とにかく身体が強張っている。
涙がこみ上げて来て鼻の奥がツーンとしはじめている。
頭は…痛い。
とにかく胸が締め付けられるのが不快で仕方がない。
嗚咽。
こみ上げる涙が止まらない。
「うえ…うえ…うわーーーーん!」
止めようとしないで吐きだそうとしてみる。
私はどんな言葉を発するだろう。
「怖いよーー!!うわーーーん!!1人は怖いよーーー!!やだ!やだ!やだーーーーー!!誰かと嘘なく一緒にいたいよーー!!怖い怖い怖いーーー!!」
泣きながら次々と言葉が出てきた。
そして私はそれをじっくり観察していた。
言葉が出なくなるまで吐きだそう。
胸の締め付けもとことん感じよう。
不安と孤独の正体をみるんだ。
手は?どうなってる?
足は?太ももは?お腹は?お尻は?膝は?
今、私どうなってる?
自分を穴が開くほど観察してみた。
途中その感情の波に飲み込まれそうになって、観察している自分を忘れそうになったりしたけどすぐに思い出して見続けた。
絶対見逃さない!なんて思いながら。
ワーワー泣き叫ぶ自分とじっと観察する自分。
ワーワー泣き叫ぶ自分に埋没しないように、どこか他人事のような目線を持ち続けた。
それには身体の観察がとても有効だと知った。
どれだけ時間がたったかわからない。
私は絶対に目線を逸らすもんかと観察し続けた。
と、そのうちに言葉も涙もピタリと止まった。
そしてさっきまでの胸の締め付けがなくなっていることに驚いた。
そして私の口からこんな言葉がこぼれた。
「…あれ…?何も起こってなかったんだ…」
この時私は『感情は感じ切ると小さくなる。もしくは消える。』ということを少しだけ知った。
そして『不安感』や『孤独感』はただの幻想だとほんの少しだけ理解した。
私の胸の締め付けや嗚咽や涙は今の周りの状況とは何も関係していなかった。
胸が締め付けられている時も、胸の締め付けがなくなった今も目の前に広がる景色は何も変わっていなかったのだ。
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この出来事以前から、私は私を観察するということをやってはいたんです。でもこの体験は自分の一番逃げてきた感情をじっくり観察するという強烈な体験でした。
この出来事から『自分の感情を感じ切る』『自分をとことん観察する』をなるべく癖付けしていきました。(特に逃げたくなるようなネガティブ感情を見るようにしました。)
もちろん最初からうまくできたわけじゃありません。
まったく観察できない時もたくさんあった。
でもこの時の体験が強烈で、「あぁ…あの感じだよね」といつも思い出しては再現するを繰り返しました。
そうすると何が起こると思います?
『不安』って対象がわからないときの感情でしたよね?
その『不安』が『恐怖』に変わるんですよーーー。
つまり対象がはっきりみえてくるんです。
何に怯えているのか、何を怖がっているのかがみえてくる。
そうするとね、解決策が見えて来ちゃったりするんですよーー
「不安だ不安だ言ってないで、やれ。」
そんな言葉が聞こえてきちゃうんですよーー
これね、これはこれでやっかいなんだよね。
怖いことやらなきゃいけなくなるからね。笑
(まぁやらなくてもいいんだけどね。)
てことで、私は今でも不安に襲われることなんて日常茶飯事なんですが、ものすごく大きな不安の時はめっちゃ不安がって泣きわめきます。
「怖いよーー!怖いよーーー!!」と地団駄踏みながら目いっぱい怖がって、そしてそれをジッと観察します。
不安に思いっきり成りきって、でも一方ではただただジッと見続ける。
そうすると『不安』の正体がいつの間にかみえてくる。
で、それもジッと見る。
で?どうしたい?と自分に聞く。→答え。
そんな流れです。
人間って正体のわからないものを怖がりません?
不安ってそういうものなんだよね。
すぐに答えがわからないことだってあるけれど、不安に襲われたら何度も穴が開くほど肚を据えて見て見るっていうのもありじゃないかな。
ノートに書きなぐってもいいしね。
え?
不安をジッと見るなんて怖くないかって?辛くないかって?
そりゃ怖いし辛いよ。
でもさ、得体のしれないものにずっと振り回されるよりいいんじゃね?と私は思います。
だって観察しようと思えばできるんだから。正体を知ろうと思えば知れるんだから。
思ったより大したことない奴だよ。『不安』って野郎はよ。
まぁ不死身だけどな。(いまんとこな。)
で、1つポイントがあるんだけどね。
「やっつけてやる!!」とか思っちゃダメよ。
「不安を消してやる!」もダメね。
ただただ観察するんだよ。
ジッと見るの。
消そうとしちゃダメ。
消そうするとね、面白いもんで『不安』の野郎が大きくなるんだよー
力持っちゃうのよ。
だからただただ観察する目を持とう。
大丈夫。
何も起こらないから。
何も起こってないから。
あー
そんなこと言ってる私もまだまだ不安の野郎に翻弄される時、まだまだあるんだけどねーてへぺろー
それも味わいだぁねぇ。
敵じゃないからね。
『不安』も『私』だからね。
不安も味方につけたいね。
どうせならさ。
てことで私の回はここまでー
亮一さーーん!
カレー作ってるのー?
出番だよーーー!!