私の旅とあなたの旅。旅に出て何を感じていますか?~夫りょういち編~
インド1人旅を始めて丁度ひと月。現在チェンナイの安宿で過ごしている所だ。
コルカタ→バラナシ→ムンバイ→ハンピ→マドゥライ→カニャークマリ→チェンナイ
東西南北とハイペースで旅してきた。
そんな中で幾つかの気づきがあった。
どれもこれも小さな気付きだが、割とそんな小さな気付きが心に残る旅のしおりになっている様だ。
カニャークマリ近くのアラビア海に面するゴヴァラムビーチでの事。
当初、海水浴をするつもりもなく水着も持ち合わせていなかった。しかしいざビーチに立ち風に吹かれていると「南インドで1番のビーチ」「アラビア海」の言葉に釣られ僕はどうしても海に入りたくなってしまったのだ。
そして初のアラビア海で多少高めの波に戯れている時「あれ⁈日本の海よりちょっとしょっぱいかな?」と不意に口に入った海水にふと思いプカリ、と仰向けになって浮いてみた。
僕は以前から仰向けでぷかぷか浮くのが苦手で、手でかいていないと沈んでしまうのだが、このしょっぱさが間違いでないならもしかすると…と思ったのだ。すると見事に浮いた。いとも簡単だった。
「そうか、アラビア海は日本の海より塩分濃度が高いのか」
こんな気付きがちょっと嬉しくなり、無駄にぷかぷか浮いていた。
マドゥライでは初日にメインの見所として有名なミーナークシーアンマン寺院に行き、その塔門の見事さが気に入った僕は次の日の早朝から散歩がてらその塔門を見に行った。
中には昨日入っていたので、外から塔門を見るだけにして、ついでにガイドブックに載っていた宮殿まで足を伸ばしてみた。
そこから歩く事20分程。宮殿に着いたはいいが、宮殿はまだ閉まっていて開くのは2時間後になるらしい。
しばらく近くでチャイでも飲みながら宮殿が開くまで待とうかとも思ったが、インドはなかなか適当な休憩場所が無いのが難点で、あっても立ち飲みの小さな店だったり、椅子はあっても大抵はこじんまりとしていてのんびり出来るカフェの様な存在が殆どない。おまけに南インドの日差しはどんどん強さを増してくる。
しょうがなく、マドゥライでまだローカルバスに乗っていなかった僕は「バスに乗って宿に帰ってみようか」と思い立ち、近くに屯していた中学生位の子供達に宿の方向に向かうバスの乗り方を尋ねてみた。
右も左も分からない日本人に興味津々な様子で、「お前の名前はなんだ?」「カンフーはやるのか?」「俺はジャッキーチェンを知っている」「写真を撮ってくれ」等、バスの乗り方以外の会話も交えつつ皆で必死にバスの乗り方を説明してくれた。
どうやらもう一つ向こうの通りに出てそこでバスを拾うという事らしい。暑さのせいで一つ向こうの通りに出るのさえ億劫になってきていたが、他にどうしようも無いのでそちらに向かってみた。
すると、そのバス乗り場のすぐ近く。何とも美しい教会が青い空の下にそびえ立っていた。
入り口から見えるステンドグラスに反射して優しく光る色達に誘われるように僕は中に入ってみた。
一気にインドではなくなった。急に静寂がやってきて、無言で祈りを捧げる何人かの人に混じって僕も椅子に腰をかけた。
中は涼しく、座っているだけでカフェでチャイやコーヒーを飲むよりよっぽど身も心も癒されていく。
「インドでは教会が優しい休憩場所になるんだな」
外人と見れば声を掛けてくるインド人もここには居なくて、誰もが放っておいてくれる。その後、僕は教会を見つける度に中に入っては休憩を取る事になったのだ。
今回、インドの都会と自然豊かな所を何箇所か周って来た。何故かインドの都会の方が心浮き立つ様だ。
インドの旅、最終地点のチェンナイ。インドに入って何回目かの都会。その混沌ぶりに又心浮き立つ自分がいた。
この心の浮き立つ感じは何だろう?
「そうか、都会の方が日本との違いが大きいんだ」
こんな気付きがあった。
当たり前と言えば当たり前だけど、妙に嬉しくなった。
今迄インドで会った日本人ツーリストやインド人に「チェンナイなんて何にも見る所無いよ、他にもっといい観光地があるよ」と言われてきた。ただ、通り過ぎる中継地であると。
今の僕にとってはこれが観光地だ。
うるさくて、埃っぽくて、猥雑で、ガチャガチャに色と光と人が混じり合う、まるで42度の熱に浮かされた頭の中を歩いている様な、そんな観光地なのだ。