HSPとかシングルマザーとか発達障害とか...全部ただのラベリングに過ぎないってこと
ほんまに必要なラベリングなのか、
実は不要なラベリングなのか...
私、ここ数ヶ月くらい前に
『あ!私ってHSPなんや!!しかも、行動しまくり型のHSSなんや!』って、自分で気づいたタイプの人。
それが分かった時、めちゃくちゃホッとしたのを覚えている。
『私が努力不足でダメな人間やから、こんなに頻繁に心が落ち込む、、、わけじゃない!!』
生まれて初めてそう思えて、めちゃくちゃ心が穏やかになった。
だから、それはそれで意味があったし、私にとっては必要なことやったと思っている。
でもさ。
あなたはHSPなので、、、
私はHSPだから、、、
そんな話ばかり見ていると、近頃心がモヤつく。
HSPって、なんの称号?種類?枠組み??
私は私やし、あなたはあなたやないの。
『私は私です!』
そう胸を張るべき時に、どうにもこうにもHSPが邪魔している時があるらしい
...そんな気がしたんよね。
だから私は、自分が落ち込んで苦しい時にはHSPに助けてもらうつもりやけど(私の頭がおかしいわけでも、私がダメな人間でもないことを証明できる気がするから)、それ以外では別にどうでもいい。
なぜなら、私は私なのよ。
それ以上でもそれ以下でもなくて、私なの。
同じようなことはいろいろあって。
私はシングルマザーなんやけどね。
『あの母子家庭の人がさ...』
『あの移住してきたシングルマザーさ...』
『シングルマザーの契約社員がさ...』
そんなラベリング(肩書きとも言う?)だけが一人歩きして、【それが私や】ということを無いことにしている時がある。
離婚したくらいでなんや。自分で自分の人生を選んだ女、ということだけやないか。
ちゃんと名前で呼べ!
『あのシングルマザーが...』とか言うな!!
私は私なんや!!唯一無二の私や!
でもまぁ。
私自身もね、シングルマザーであることを利用して生きてる瞬間はあるよ。
シングルマザーやのに〜...
シングルマザーにも関わらず〜...
そういう方が、世の中の人は注目してくれることが多いからね。自分という人間の“見せ方”の問題。
『大多数の日本人の中の私』よりは
『大多数の日本人の中のシングルマザーの中の、完全なる世帯主』である方が、母数が減る分目立つのは確か。ほんま、見せ方の問題。
発達障害もしかり。
私は発達障害ではないけど、『限りなくそうちゃうか?!』と疑いたくなる時はある。
私の周りには、発達障害の診断はもらってないけど、限りなくソレっぽい人たちが山ほどいる。
だけど、発達障害であろうがなかろうが、はっきり言ってどうでもええことやと思っている。
だって、その人はその人やから。
発達障害というラベルが必要な時は、私のHSPと同じような時。
①本人が現状苦しんでいて、自分のことをより深く理解したいと願っている
②本人を取り巻く人たち(家族やサポーターたち)が、本人のことをより深く理解して、よりよい支援、サポートをしたいと願っている
こんな時は、診断というラベリングが必要なんちゃうかという気はする。もちろん、それを決めるのは本人やと思うけどね。(状況によっては、そうでない場合もあるよ)
だけど、やっきになって発達障害の診断をもらったところで、結局のところ、その人がその人であることには変わりない。
自分という人間を生きること
それだけは変わりようのない事実で。
ラベリングは時に必要。
でもそれをその人自身と混同してはいかん。あくまで、それはただのラベリング。
1番大事なのは、ラベリングしたものそのものではなくて、その人自身。自分自身。
上手く付き合いたい。
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