見えない場所を意識する(追記あり)
音楽の話(天体)
「I am」という楽曲は2012年にリリースされた。
作詞作曲編曲は小室哲哉さん。
発売から10年以上経過しているが、私にとって、そしてFANKSにとって
「今も昔もアンセムである」と言い切ってしまっても、異論はないかと思う。
先日テレ朝のエイト・ジャムという音楽解説番組にTMが出演し
プロの作曲家の方からの質問に、小室さんが答える形で、本楽曲「I am」の解説をしていた。
同業者のプロ作曲家の方からすると、本楽曲は「難解であり得ない展開」だそうで、
どうして、小室さんはこんな展開を? 一体どんな意図があってこのような曲になったのかという感じの質問だった。
この 「I am」は作曲と作詞の両方とも小室さんが手がけている。
小室さんの回答は、「歌詞の視点の切り替わり」を考えたとのことだった。
音楽理論から導き出される展開・進行というより
「サウンドにのる言葉」、歌詞から。
歌詞を読んでいただくとすぐにお分かりになると思いますが、
個人の視点から、世界へと視点がカメラのようにズームアウトして、俯瞰の視点になっていきます。
上記の「視点の切り替わり」をキーボードで説明する以下の様な変化になる。
ある特定の音階を指で押さえた時は、弾いていない音が存在する
次の場面では、今度は先ほど弾いていなかった音階の音を弾くことになる
つまり、歌詞の中の個人から見えている場面(音階)から
その「個人」の視点では見えてこなかったけれども、確実にある
「個人を取り巻く世界から見た視点」という俯瞰の視点を、表現しているとのこと。
音色・サウンドの面で、歌詞を表現されている。
小室さんは作曲も作詞も。両方を担当。
2011年の東日本大地震への想いも込められているそうです。リリース当時、Twitterで小室さんは歌詞にひと月程なやみ、腐心された様子を綴られていました。
歌詞(言葉・ビジュアル・視覚)も作り
その歌詞からサウンドの展開を生み出した。
言葉と音から、この「I am」という音楽世界を作りあげているということ。
指で弾くkeyがあると、弾かないkeyもあるということ。最初の箇所では弾かなかったkeyを
あとで、持ってきたということ。
天体でいうところのハイヤーオクターブ的な。
ある楽曲を作るとき、その1曲の世界を作っているのと同意義で、白鍵と黒鍵は、ホロスコープに示される各天体やアングル、感受点、小惑星のように思える。(あくまでもリスナー視点ですが)
宇都宮さんの唯一無二のボーカル、木根さんのギター&コーラス、そして小室さんのシンセ&コーラス、TMのお三方のコーラスが乗ってくるのだから熱くない訳がないのです。
TVerで視聴可能です。
【EIGHT-JAM】
デビュー40周年!プロが驚いたTM NETWORKの音楽的新しさ
テレビ朝日 7月21日(日)放送分
配信終了まで1週間以上
相談と回答とその他大勢
SNSである動画を拝見。
up主さんがある方への個人的なメッセージというエクスキューズはあったものの、
みんなにシェアしていた。
「諸事情で何の役に立てていない自分が不甲斐なくてツラい。いなくなりたい」
との相談お悩みへのレスとしての回答動画だった。
「なんにもできなくても生きてていいんだよ」と回答されていた。
回答者がその相談を取り上げて
SNSで拡散→多くの人々が見聞きする
相談者は元気を出す・オーディエンスが見聞きする
悩んでいない人々にとっても、「そうゆう考え方があるんだ」と認識することができる。
メールで相談しないといられない状況まで追い詰められた精神状態。
おそらく、だからこそ、Actionに至った(相談者)。
元気づけられ救われたのは相談者だけではない。
相談者がメールを出す行動を起こしたからこそ、回答を見聞きした不特定多数の人の中にも、きっと励まされた人はいるはず。
なので、質問者はご自身では「役立たずで不甲斐ない」と思っている様子だけれど、
質問する、問いかける、相談するという行動を媒介者(回答者)へ繋いで、そして媒介者が応えることに繋がった。
この出来事から「相談があったからこそ+(回答者が適切に回答)=その他大勢も励まされて気持ちが楽になった」という図式がみえます。
つまり、相談者が気づかないところでは
人々のお役に立てている、ということ。
たとえご本人が、役に立っていないと考えているとしても、それはちがうし、気づいていないだけだと思う。
渦中にいると分からないことだろうけれど。
(とはいえ、もちろん、わたし自身にも当てはまることです)
直接的な反応以外は、なかなか気付けないものだし、自分が想定する"お役立ち"のカタチではないかもしれない。
だけど、この「仕組み」というか「流れ」に
気づいたら、少しは楽になるのかもしれない。
わたしがこの投稿をすることで、回り回って
この記事を読んでくれている、あなたから波及して、やがて、わたしの知らないどこかの誰かに
届いて、気づき始めるかも。
そうだといいなぁと。
意識外があること、そして意識外で起きていること(意識外なので分かりづらいとは思いますが)
そうゆう、「自分からは見えない場所」で起きている「救済」や「浄化」があることを知って、
それを頭の片隅においてほしいなと思う。
おける人が増えるといいな。
「自分には分からない(見えない)ことがある」
つまり、無知の知(こう書くと、少し単語の印象が強くなりますが…)が常にある事を、
視野外があることを、天体でいうとトランスサタニアンや、裏側やB面や、アナザーサイド、
「"分からない"を分かっている」感覚を忘れないでいられるといいなと思うのです。
ホロスコープでいうと、見える所が6ハウス、
見えない所が12ハウス。
私は、誰もがどこかで(知らない間に)
誰かのお役に立っていて
その人が存在しているだけでも
何もできなくても、(何も出来ていないと、本人が考えていたとしても) 居てくれるだけでいいと思う。その存在自体が尊いと考えています。
(大ヒットした"Wow War Tonight"をぜひ一度、聴いてみてください。)
上記の2つのエピソードに共通している点は、「見えないところをみようとするかor しないか」
なのではないかと思う。
みようとする為に必要なのは、時間的な余白だと思う。そして物理的な考えられる環境かもしれない。
人の意識は自分がDoすることに向かう。
意識するからActionにつながる。
(敢えて、「何もしない」選択をするのも行いの一部だと私は思う)
目に見えるもの(ところ)だけがすべてではない。
この感覚を忘れずにいると、色々考えすぎてスパイラルにならずにいられる。
ある意味、見えなくて分からないから、
きっとなんとかなる!という選択を意識することも可能になる。(他力的な)
けして、ただの楽観的思考ではないと思う。
なぜなら、世界は自分以外の、自分とはちがう価値観があり、多種多様な人間の集合体が人類だから。必ず、どんな時も自分以外が存在するからだ。
自分の立ち位置、ポジションの真反対が常にあること。ホロスコープの配置みたいに。
現実問題としては、場合によっては物理的で適切な対応や各種の相談機関へ頼る必要がありますが、
心持ちというか、この広い世界で自分の範疇や領域だけで済む事、済んでいるように見えることは多くないので、相談者さんのように、人と繋がって他者に助けを求めるといいと思います。
なんとなく、こんな風に考えた本日でした。
栄おばあちゃんのお言葉
「いちばんいけないのは お腹が空いていることと ひとりでいることだから」
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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