実用一辺刀(倒) 金剛兵衛

「清さん」を迎えて安心していたはずが、偶然知って一目惚れ、父方先祖の地とも縁のありそうな刀をお迎えすることに。後から思えば「清さん」が呼んだのでは・・・とも思える脇指「ヒョエさん」のことを紹介します。

本やネットの記事にはあまり登場しない、地方の鍛刀地をまた一つ知った。
筑前国(福岡県)大宰府の近く、宝満山の麓で鍛刀した「金剛兵衛」だ。
筑前国だと「左文字」が超有名で、刀剣趣味があれば知らない者はいないだろう。
「金剛兵衛」は「左文字」に比べると知名度は低く、マニアックな部類ではと思う。

自分なりに調べてみたところ・・・
始祖の盛国は山伏で、その子盛高は何代も続き、他の刀工銘にも「盛」の字が付いたものが多く、一派の刀は僧兵の備えに多用されたとか。
そしてその刀は反りも強めで、茎尻は「卒塔婆形」という特徴的なV字形をしている。
真田幸村の愛刀でもあったとの伝承もあり(近年発見されたが真偽は不明)、戦場で敗れた際はその刀を卒塔婆代わりに地面に突き立てるつもりだったとか。
昔のことなので真実は不明だが、それだけでも剛直な刀なのではと想像できる。
読み方も色々で「こんごべえ」「こんごうひょうえ」「こんごうびょうえ」などの表記を見るため、刀剣店で聞いてみたが、正解ははっきりしないようだ。

私の父親は福岡の出だ。先祖は、江戸時代に名字帯刀を許されていた商家だったということまでは分かっている。父親は自分のルーツが分かるようにと、山口に移り住んでも本籍地を動かさないでいた。私も山口生まれだが、嫁に行くまで本籍が福岡だった。
なので、筑前国の「金剛兵衛」には親近感を抱いた。
鍛刀地ゆかりの地名と旧姓が同じなので、もしかしたら父方の先祖はそこが発祥なのかもしれない。
偶然、私が「金剛兵衛」を知った頃、父方の従兄がまさにその場所へ行っており、その後、その地名のバス停のイラスト入り年賀状を寄越したのも不思議な出来事だった。

私が目を留めたのは、室町後期の「金剛兵衛源盛高」在銘の脇指だった。ちょうど古刀、新刀境あたりらしい。姿は古風で芯が強そうな感じだった。
私は実用ナイフ製作を行うようになってから日本刀に本格的に興味を持ち始めたので、日本刀にはついつい道具としての力強さを求めてしまう。その脇指は一目見て非常に惹かれるものがあった。

その「盛高」の脇指は、なんと電車で一本、すぐ隣町の刀剣店にいた。
近々、長州鐔を買いに行くつもりのお店だった。
長州鐔と「盛高」を一緒に見たいと店主に伝えておいた。
そして実物を初めて見たとき、思わず「なんてカッコいいんだ・・・」と漏らしてしまった。

脇指にしてはわりと反っていて、鎬も高い造り込み、鍛えは柾目寄り、刃文はキリリと細直刃。うぶ茎で、当然ながら茎尻は卒塔婆形である。
銘は源盛高と切ってあったようだが、源の字のド真ん中に目釘穴があいている。良く見れば、穴の周囲に源の字の痕跡が残っている。
銘を切る時、目釘穴があきそうな場所に頓着せず堂々と真ん中に字を切ったのだろうか。それもまた刀工盛高(何代目かは不確定)の人柄を表しているようで好ましい。
脇指なのでコンパクトなのだが、第一印象は「気骨のある強者」だった。

直刃好きだと言う店主は「最近、直刃が好きとおっしゃる方が少なくて寂しいんですよ」と語っていた。
直刃好きならこれはどう?と色んな時代、作風の直刃の刀を何口も見せてくれた。
波平など心惹かれる刀もあったが、やはり「盛高」のカッコよさが群を抜いていた。

刀の購入動機は千差万別だと思うが、その刀に縁故的なものを感じたからという人が少なくない。
刀が自分で行き先を選んでいるようだと刀剣商が語ったという話を耳にした。
刀が刀を呼んで、自然と集まってくると語るベテラン愛好家もちらほらいる。
私はスピリチュアルな世界には縁がなく、不思議なものを見聞きする性質でもないのだが、意外とそれは本当かも?と思っている。

今回出会った「盛高」も、先住刀の「清さん」が呼んだようにも思えるからだ。
私は今でも、郷土刀「二王」について何か情報がないか調べている。
先日ネットオークションで「二王」とは特徴が違うのに「二王」の刀工銘が茎に切られた刀を見かけた。
茎に施された鑢目が違う気がするし、茎尻の形も今まで見た「二王」とは違う。
しかも茎の裏側には「金剛兵衛」の刀工銘が切られていた。
合作とも思えないのに、離れた産地、流派の刀工銘が両面に切られているのは怪しい。
そこで「金剛兵衛」とはどんな刀か?と調べたところ、先ほどの「盛高」に行きついた。
そこで初めて「金剛兵衛」の姿、茎尻の形や鑢目の入れ方、刀工銘の特徴などを知った。

先ほどの店主の言葉のとおり、最近は直刃で控えめな見た目なものは飛ぶように売れるものでもないのか、景気の低迷もあってか、「盛高」は想像よりずっと安価だった。
拵えはないが、金着せの綺麗な鎺も付いて、保存刀剣の鑑定書付なのに、ちょっとした短刀なみの価格だった。これにはちょっとお店にも刀にも気の毒な気がした。

「盛高」はなぜか「こっちこい、こっち見ろ、触ってみろ」といった圧がすごかった(と感じた)。
他のどんな優美な刀より自分を特別好いてくれる誰かが迎えにくるのをひっそりと待っていたのではと思った。
そう思うと、我が家で愛でたいという気持ちになり、その日のうちに背負って帰った。

一応、先住刀の「清さん」には、脇指をお迎えするであろうことは伝えてあったので、帰宅後、よろしくと「清さん」と「盛高」を並べてみた。
時代も同じで反り具合も同じ、双方大和伝系で直刃、茎の先も角度こそ違えど剣形に尖っているのもあり、とても雰囲気が似ていた。
おそらく喧嘩せずに仲良くしてくれるだろうと思った。

その晩、「盛高」を抱いて寝た(お迎えした刀とはまず一緒に寝て親睦をはかる)。
今までとても寂しかったと言っているような気がした。
それからしばらく「わしと遊べ」圧を強く感じる状態が続いた。
「ヒョエさん」と呼んで触れ合っていたら落ち着いてきた気がした。
「清さん」はおおらかなのか、最初からそんな圧を感じたことはなかったので、刀にも性格があるのでは?と不思議に思うのだった(付喪神という概念が昔からあるくらいなので)。
「海部」の短刀は、まだ二口に比べれば新米だからか?とても大人しく感じる。
これで我が家には、打刀「二王清貞」、脇指「金剛兵衛源盛高」、短刀「新々刀海部」と、長さの異なる、西寄り三口の刀が揃った。
好きな見た目や刀工で刀を選ぶのも良いが、自分に縁のある土地の刀を持つのもよいものだと最近は考えている。

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