郷土刀 二王

先日は自分の名前が切付銘に入っていた海部の短刀のことを書きましたが、縁あってお迎えした郷土刀「清(キヨ)さん」こと「二王清貞」のことを書いてみます。

これからの日本刀文化を盛り立てていくには、現代刀匠の新作刀を購入するのが一番だと思っている。
御守刀を注文打ちしてもらうため、色々妄想しながら貯金の毎日だ。まだしばらく実現しそうにないので、それまでの間、自由に触れ合えるマイ刀が欲しいと思った。

ネット検索してみると、代表的な「五箇伝」や各地の流派の、色んな刀工の作品が出てくる。写真を見比べると、産地が違うのに見た目がよく似ているものも多々ある。刀工や新しい技術が各地を行き来するために、同じ時代であれば離れた産地でも刀が似ることもあるらしい。

ただ闇雲に好みで探しても搾りきれないので、まず探す基準を決めた。自分の生れは周防国(山口県東部)だから、同じ周防国で打たれた刀を探すことにした。

周防には鎌倉時代に発生した二王派という刀工一派があるのを知った。生まれてこのかた耳にしたこともなかったので驚いた。同じ山陽道の備前に比べるとマイナーなようで写真も殆ど見かけないし、実物も見たことがなかった。

二王派は大和系だった。昔、周防には大和寺院の荘園が多く存在し、大和鍛冶との交流が盛んだったためらしい。
大和の刀は僧兵の備えが主用途で、強度重視のため直刃が多かったのだとか(どの鍛え方、熱処理(刃文)が強度的に優れているかは諸説ある)。二王も同様に直刃調のものが多いようだ。実用的な素朴な佇まいで、地味な部類だ。

二王という名の謂れに惹かれた。昔、鍛刀場近くの仁王堂が火事になった際、二王派の祖「清綱」の太刀で仁王像に巻かれていた鎖を断ち切って救出したということから、二王と名乗るようになったという説だ。そもそも何故その仁王像に鎖が巻かれていたかというと、夜中になると歩き回る怪異を起こしたからだとか・・・。

これには異説があり、刀工たちが周防国仁保庄(におのしょう)に居住していたことから、にお=におう=二王に転じたのではとのことだ。仁保は今も地名が山口市に残っている。こちらの説が有力らしいのだが、先ほどの伝説のほうがロマン溢れて良いと思う。

「清綱」は刀身に玖珂庄(くがのしょう)住と銘文を切っている。玖珂は実家からも近くてなじみのある場所なので、本当に刀鍛冶がいたんだ!と感慨深かった。土地の先人が鍛えた刀だと思うと非常に親しみを感じる。

二王の刀はとても少ないが、全く見当たらないということもない。しかし、うんと高額か、頑張れば買える値段かの両極端だ。
選択肢が少ないというのは難点でもあり、逆に多くの候補相手に迷わずに済むという利点もある。もちろん自分には五百万超えの重要刀剣を買う経済力はないため、特別保存刀剣又は保存刀剣鑑定あたりで探すことになる。

二王の刀工を調べていくと、同じ山口県でも古刀期は周防住、新刀期からは長門住が多くなるということがわかった。どうせなら自分と同じ周防住の刀工の作品が欲しいと思い、自宅から近い刀剣店に保有があるか問い合わせた。故郷から1000キロ近く離れているにも関わらず生活圏内に存在する刀なら、きっと自分に縁があるものだと思ったからだ。

すぐに室町時代後期、「二王清貞」の刀があるとの連絡が入った。拵えもついて、予算に近い価格のものだった。写真はなかったが、時代や価格から考えて、きっと茎も磨り上げられ、可もなく不可もなくといった姿をしているのではと想像した。

しばらくして刀に会いに出かけた。刀剣店に足を踏み入れることすら未経験、敷居が高く感じられて緊張した。一応前日に、店舗に伺うことを連絡しておいたので、いきなり突撃よりは温かく迎えてくれるだろうと腹をくくった。

店主がすぐに「清貞」を出してきてくれた。白鞘入りの状態で上品な刀袋に入っており、拵えはまた別の帯地のように美しい生地の袋に入っていた。やはり日本刀は美術品なのだと感じた。

まず刀身を見せてもらった。刃文は直刃で地鉄は大人しい雰囲気だった。姿は、室町時代のものなので江戸時代のものより若干反っているとのこと。
五百年近く経っているというのに研ぎ減りも少なく、健全な姿だという。もちろん鍛え傷など古い刀特有の粗もあるが気にしない。茎を見ると、驚いたことに区送りのみの、うぶ茎(茎の先端を切り詰めていない)で、刀工銘も残っていた。小さく二王、大きく清貞と、決して上手な字ではないが、堂々と鏨で切られていて好ましかった。

この銘の切り方はその時代の二王の特徴だという。そして茎尻(茎の先端)は深い入山形(三角形のように尖っている)であるのも二王の特徴だと知った。実物を見ることで色々と知ることができた。
古い刀は後に磨上げられて短縮され、茎の銘が消滅しているものも多い。銘と茎尻の特徴が残っているのは非常に嬉しかった。
店主によると、茎の錆の色も、年月を経た刀らしく深みのある色で良いとのこと。錆の色まで鑑賞の対象にするのも日本人ならではと感じた。

拵えは大正か昭和に誂えたものだろうとのことだった。自分は黒い漆塗りの鞘を想像していたのだが、「青貝微塵塗」といって貝殻を砕いて散りばめ、漆を塗った後に研ぎ上げるという手の込んだものだった。一見黒かと思いきや深緑色に光る。柄巻も落ち着いた濃緑色で美しかった。
現在そのような拵えを作ったら非常に高額になるそうだ。控えめな見た目の刀身に、華美過ぎない緑系の拵えを合わせてあるのが、とても品良く感じた。一通り見終わった頃には、すっかり「清貞」を好きになっていた。

私が「二王はマイナーだからか話題にも出ませんよね」と言ったら「いやいや二王にもすごく良い作品ありますよ、マイナーなんて言ったら失礼ですよ。この清貞だって良い刀じゃないですか」と店主が言ってくれたのが嬉しかった。
ぱっと見たら、特別華やかな刃文や地鉄というわけでもない普通の地味な直刃の刀かもしれないが、私にとっては自分と故郷を繋ぐ心の友だ。

店主によると、こういう渋めの刀を好むのは年配の愛刀家が多く、前の持ち主も高齢の医師だったそうだ。店主は、持ち主がいなくなった後すぐ売りに出してくれるほうがありがたい、もし興味のない家族がずっと放置してしまうと、刀が朽ちて消滅してしまう。売ってくれれば刀を救って後世に残すことができると語っていた。

「清貞」は一昔前には現在の倍近い価格だった。バブル崩壊やリーマンショックの後、刀剣全体の価格が下がってしまったという。その結果、私のような普通の勤め人でも刀を買えたわけだが、素直には喜べなかった。
しかし最近は若い人もちらほら刀を買っているようなので、業界が活性化したら良いなと思っている。
そしてこれから数百年、千年残っていく現代刀もたくさん生まれて欲しいし、微力ながら自分も貢献したいと考えている。

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