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なぜ、文章を書くのか

誰にも頼まれていないのに、文章を書いているのはなんでだろう。自己表現?発信欲求?それが何がなんだかわからないから、書きながら、ひたすら歩いてみているのです。

表現が先

先日、友人が「表現が先でそこから意味が生じる」という言葉を教えてくれた。彼の意図と合っているかはわからないけれど、勝手に自分に引き寄せて、「そうなの!」と思った。

書き続ける意味や書いている内容の意味とか、そういうことではなくて、私は書きながら、探しているんだと思う。そこに意味があるかは、いまは本当に分からない。いまは「意味」ではなく、目の前にあるかないかわからない道を歩いていくために書いている。

私は文章や絵を書くきながら、歩いている。書きながら歩いていると、時々、少しだけ周りが見えることがある。見えないまま、ただ書いていることもある。見えたときは、明かりが灯ったようで嬉しい。

自分が好きであればいいのかな

日記ではなくこうしてnoteに書いているのだから、私にも読んでもらいたい欲求は当たり前にある。読んでもらえたら嬉しい。でも読んでもらうために書いているかというと、ぼんやりと違うような気がしている。

田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」(ダイヤモンド社)という本の中に、

「ターゲット層にバズりたい」「たくさん読まれたい」「ライターとして有名になりたい」という思い違いを捨て、まず、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば幸せだと気がつくべきだ。(p.110-111)

と書いてあった。これだけ読むと、ただ好きに書けばいいと読めてしまうかもしれないけれど、読み進めていくと、書くことの中心線をしっかりと持つことを考えさせてくれる本だった。

私はこれから、もっと、もっと、自分の文章に真摯になろうと思う。誰かのためではなく、まずは自分のために。そこから見える次の足先にむかって。

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