オチがない小さな話
ひらがなを覚えたての頃、祖母と中央線に乗っていた。駅に着いては、駅名を読み上げたらしい。まとまりのある言葉としてではなく、一文字ずつ読むから、「”おばーちゃん、こぉーえ、ん、じぃー(高円寺)だよ”と言っていて可愛かった」と生前よく祖母が話してくれた。
つながりはどこに
そんな昔話をしても、家族や恋人でない限り、大抵は「へー」とか「かわいいね」くらいで終わってしまうオチがあるわけでもない、小さな話。けれど、私にとっては大切なもの。それぞれの人にある、たくさんの小さな話。いつかの遠くの景色や人の顔、声が、いまの自分の何かにつながっているのを感じる瞬間。そのつなげているものは何だろう、それは私のどこにランディングしているのだろう。
流れに休みを入れる
川原で石を積んでダムをつくるとそこに水が溜まる。他愛のない遊びだけど、つい熱中してしまう遊び。ここに石を積んだらもっと水がよく流れ込んでくる!あそこに積んだら水が溜まりやすくなる!とあれこれ考えながら石を積むのは、とても楽しい。
日々流れていってしまう、さまざまな事柄や考え、思いを、石で堰き止めたプールに少しの間とどめてみる。水の中にそっと手をひたしたら、過去と自分は確実につながっていて、またどこかへと流れていく。
当たり前。そんなの当たり前なのだけど、いつかどこかで感じた思いや感覚はそんな風に川の水のように流れてきて、ちょっとの間、私の頭や身体をくすぐって、またどこかへ流れていく。
こぉーえ、ん、じぃー
「こぉーえ、ん、じぃー」が、私の何につながって思い出すのかはわからないけれど、それは川の流れと共にやって来た。それは幸せなことなんだと思う。そこに意味があるかもわからないし、何にもつながっていないかもしれないけれど、流れてきて、いっときとどまって、また流れていく。「こぉーえ、ん、じぃー」とつぶやいて、幸せだなとほっとする。