高い視座を目指そうとしたら首を捻挫した
高い視座を持ちたいと時々、思う。本当には思っていないかもしれないけれど、高い視座を持っていそうな人を見ると、どんな景色が見えているのかなと思う。その景色自体は見えなくても、その人が言ったこと書いたことを通して感じる世界は、少しかっこいい気がする。高い視座って何だろう、それはどこにあるのかな。
より高くより遠く
高い視座、俯瞰する、ヴィジョン…。物事は遠く、広く見ないといけないらしい。でも首を伸ばそうとしても伸びないし、視力はよくならない。そういうことではないことも分かっているけれど、首を伸ばしたらもっと見えるようになったらいいのに…。
成長したら見えるのか
タイトルに「捻挫した」と書いたけれど、本当は捻挫なんてしていない。だって捻挫するほど伸ばしていないから。
遠くを見たほうがいいかもしれないし、もっといろいろなものに触れたほうがいいのかもしれない。でもあまり遠くを眺めようとしたら、少し息苦しいし、本当に首を捻挫してしまうかもしれない。無理しようとしても、いま私が見ている視座が私の等身大。
等身大の視線で見えるもの
あまり首を伸ばしすぎず、自分が見ているもの、見えているものを大切にする。空から降ってきているらしい素粒子を眺めるように、手のひらを上にして受け止める。そうすることで私の周りに当たり前にあるものがクリアに見えてきそう。
広い視野を持ちたいし、高い視座もかっこいい。目指さなくては見えないものもきっとある。遠くを見つめたい気持ちを腰のあたりに少し抱えながら、いつか見えるかもしれない景色のために、首のストレッチ、目のストレッチから始めよう。