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レイク・チューリッヒ | 真冬の青空、沈みかけていた飛行船





Switzerland
Zürich










レイク・チューリッヒ | 01
真冬の青空、沈みかけていた飛行船









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ときおり、ふと、わたしはここスマランの自宅の、寝室の窓辺にあるデスクに座って、コンピューターの画面上にGoogle Mapを呼び出し、頬杖をついて世界地図をぼんやりと、飽かずに、陶然と眺め続けていることがある

それは何も今に始まった習慣ではなく、おそらくは十年以上前からふらり思い立っては眺め、取り留めのない考えをあてもなく、まるで冷たい湖面レイク・サーフィスのように揺蕩たゆたわせ、ほとんどの場合においては形象化されることがない、ただ、ぼんやりとした考えにふけることがある

もちろんだからといって、特に何か感傷的になっているわけでもない
ましてや、何か心を揺り動かされる出来事があったわけでもない


それはあくまで、不定期ではあれ、「習慣」がもつ単一の反復性に過ぎない



そしてそうして画面に浮かび上がる、この地球上の「世界」とは
わたしにはおおよそ三つに、だから簡潔に分類することができた



「行ったことがある国」と、「行ったことがない国」



そして


「行ってみたい国」



ここに例えばわたしが、これまで過去に行ったことのある国名とその数を
書き出したとしても、それにいったいどれほどの価値があるというのだろう


肝心なのはいつも、「行ったことがない国」と「行ってみたい国」のふたつで、それらはまるで部分日食のように僅かに重なる部分もあるが、それ以外のほとんど大部分の国々は、この生涯においてはきっと訪れることはないのだろうなと、深い絶望からではなく、浅い明晰さからそういうことができた

日本を中心とした世界地図を、静かな湖面の波紋のように東にドラッグさせると、まず巨大なアメリカ大陸が目に入ってくるが、たとえばアメリカにはよほどの事情がない限りは、自分から進んで足を向けることはないように思えている

その広大な国の西海岸にある大都市には、高校と大学が同じだった同級生が数年前に、寿司職人として長年勤めあげた老舗から独立し、悪戦苦闘を続けながらも今でも大健闘しているとは聞いているので、そうした意味ではいつか行きたいとは思ってはいるが、積極的に行こうとまでは、まず、思えない

しかしわたしのこれまでの海外を中心としてきた半生には、本来アメリカという国はもっと実際的に身近に、少なくともこれまでの人生においては一度くらいは訪れていてもいいのだが、不思議と足が向かうことはなかった

それがなぜ不思議なのかは、わたしは古いハリウッド映画が好きだった、すでに他界している父の影響もあってか、小学生の低学年頃から父と長椅子に並んで座っては共にクリント・イーストウッドの古いマカロニ・ウエスタンやスティーブ・マックイーンの脱獄ものの映画を観てきて、そのまま80年代の「グーニーズ」や「バック・トゥ・ザ・フーチャー」、「ターミネーター」などは好んで繰り返し、妹と弟で横並びで鑑賞するようになっていた

加えて音楽においても、小学校の高学年頃のクリスマスにはワムの「Last Christmas」はすでに当時から街中で流れていて、もちろんマイケル・ジャクソンの「Thriller」も聞いたし、中学に上がる頃にはエアロ・スミスやニルヴァーナなどの古いアメリカン・ロックの中古CDを一時的に集めたりもしていた

いわば、そうした文化的な影響はほとんどタイムリーに、まず太平洋を越えたアメリカからの「洗礼」を受けていたはずなのに、社会に出て海外を目指そうと思い立った時、不思議とわたしの中ではアメリカの存在はまるで蜃気楼のようにゆらりと淡く消え去っていて、短期滞在の旅行先としての、その選択肢のひとつにも含まれなかったように今では思い返すことができる


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Zürich



世界地図をそのまま、深い考えもなく惰性でアメリカ大陸からさらに東にドラッグすると、今度はヨーロッパ大陸が見えてきて、パリより北東に位置するスイスの古都・チューリッヒが音を立てて蠢動していることに気がつく

数年前にわたしはパリを拠点とした長いヨーロッパの旅の途上にあり、その日は一旦パリを離れ、リヨン駅からTGVに乗り込み国境を越えて陸路でチューリッヒに向かった

チューリッヒ中央駅のホームには、中学校の同級生でもあった女性の友人が出迎えてくれ、そこでほとんど20年ぶりに再会を果たし、その夜は彼女の自宅に招いてくれて温かい手作りの料理とワイン、そしてわたしはそのとき生涯で初めて飲むことになったイタリアの蒸留酒「グラッパ」を楽しんだ


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ふたりで酒を注ぎ合いながら、そしておそらくは20年ぶりの再会にはあまりふさわしい話題とは思えないが、お互いに海外が好きであるということがそうさせたのか、どういう経緯でそのような話に至ったのかまでは覚えていないが、わたしはアメリカには生涯において行くことはないだろうな、と語りしかし、その理由が自分ではよくわからないということを彼女に告げた

テーブルの正面でわたしの話を静かに聞いていた彼女は、わたしのグラッパのグラスがほとんど減っていないのを確認すると、さっとグラスを下げて代わりに新しいグラスにワインを少し注ぎ、わたしに手渡しながらこういった


それはとても簡単な話よ。アメリカには歴史がないのだもの。
だからきみは行かない。


彼女が言いたかったのはおそらくは正確に、アメリカには確立された華やかな文化としての歴史こそあれど、建国から現代に至るまでの国としての成熟した歴史がないということなのだろう

いかにも歴史を好み、古い街並みを愛し、いくつかの国を遍歴して、終にはスイス国籍を取得し、チューリッヒに移住までした彼女ならではのシンプルだが説得力のある言葉だった

そして、世の中には人に言われて初めて気がつくということが無数にあるが、このときの彼女とのやりとりがまさにそれだった


そうか・・・そうなのか・・・。
アメリカには歴史がないからおれは行かないのか・・・。


その夜は真夜中を過ぎてもお互いのこれまでの半生を中心に様々なことについて率直に語り合っていたが、酒に酔った頭の中で奇妙なほどに納得させられたのが彼女からのその言葉だった



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結局その夜はそのまま彼女の自宅に泊めてもらい、毛布を借りてリビングのソファに横になって泥のように深く眠った

食後に、白い猫足の陶器製の大きなバス・タブにゆっくりと浸からせてもらい、石鹸で髪と身体を隅々まで丁寧に洗い、おまけに全ての衣類の洗濯と乾燥までお世話になると、それだけでふっと安心しきったのか、入浴後に注がれた、冷凍庫で保管しているという、よく冷えた梨のブランデーを一口だけ飲むと、わたしはまるで気を失うような、暴力的な深い眠りに襲われたのだ


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その時点でわたしはヨーロッパの旅に出ておよそ40日余りが経過していた

パリ郊外のGabriel Periのゲストハウスを拠点に、早朝はまずメトロでオペラ座まで移動し、そこを起点に、まるで発狂してしまったかのようにカメラを片手に、日暮れまで徒歩でパリ市内の迷宮のような路地という路地を一人であてもなくぶらついていた

パリの「三大美術館」もポンピドゥーセンターも、近代美術館もモネやロダン、ピカソ、ギュスターヴ・モロー美術館、ノートルダム大聖堂も地下納骨堂カタコンベも、エッフェル塔も凱旋門もほとんど全てを歩いて踏破した



歩いても歩いても、まだ歩き足りなかった
異様なエネルギーが体内に満ちていて、毎日規則正しく三食の食事を
とっても、体重は次第に次第に落ちていった


それはパリという街が、このわたしにそのような無尽蔵のエネルギーを与えてくれたのか、それとも長く勤めたヴェトナムでの日々を切り上げ、ひとときの自由を手に入れた喜びからなのか、あるいはたまたま人生でそのような解放の時期に入っていたのか、そこまではわからない



しかし確かなことはふたつあった



ひとつはパリを拠点とした六か月余りのヨーロッパの旅では実に数千枚におよぶ写真を撮り、そのデータは今でもわたしのHDの中に国や都市ごとに分けられて大切に保管されているということ

もうひとつは、その日チューリッヒ中央駅のホームに降り立ったときは、パリでの熱狂の日々の疲れが自分でも意識できないほど、おりのように身体の奥底に沈潜して、それが何層にも積りに積もっていたということだった



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PARIS


翌日に目が覚めたときはすでに真昼を大きく過ぎていて、その同級生の彼女はわたしの対面のソファに座ってドイツ語で書かれた表紙の何かの雑誌を熱心に読んでいた

彼女はいった


何度起こしても起きないから、まさか死んでしまったのかと思ったよ。
よほど疲れていたのね。


そして彼女は立ち上がり、キッチンに向かい、珈琲を作りながらわたしに電子レンジで温めた小ぶりのタオルを手渡してくれた

これで顔でも拭けということなのかなと思っているとまさにその通りだった

なんとわたしは派手に涎を垂らして、十二時間以上もソファの上でだらしなく眠っていたらしいのだ・・・



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二月に訪れた厳冬期のチューリッヒは、静かでとても美しい街だった


夕暮れにはまだ早い時間だったにも関わらず、空はどこまでも高く澄んでいて、まるでもうすでに、真冬の青空が夜を呼び寄せたかのように、薄闇が西の方角から音もなく忍び寄り、浸食を始め、かと思えば雲間から突然陽光が筋となって地上に降り注いだりと、わたしにはこれまでほとんど経験したことがないと思える、不思議な性質を秘めた真冬のチューリッヒの空だった

そしてそれはおそらくは、彼女のいう「スイスの長い冬」の、最も鋭利な先端部分のような時期で、まるで異国から来た旅人を一切の情もかけずに容赦なく切り裂くような、だから、その自由ささえもを奪うような冷気が街中の隅々にまで満ちていると思える、二月の上旬でもあった

その日は身支度を整えた後で、彼女が運転するトヨタのマニュアル車の助手席に乗り込み、市内観光に連れ出してもらった

わたしはもちろんチューリッヒはおろか、スイス自体に来るのもこれが初めての機会で、だから市内の土地鑑などは一切なく、地図さえもまともに見てはいなかったが、それでもこの街が中世からの歴史のある建物と街並み、そして大小無数の豊かな湖とともに在るということだけはよくわかった

窓外の景色を眺めていると、大通りの向こうや路地の隙間に
ふいにふっと、突然、視界が大きく広がるように湖が現れるのだ


グライフェン湖・・・ツーク湖・・・ヴァレン湖・・・ブフェフィカー湖


わたしにはそれがどこであれ、「水辺」には不思議と精神を癒して落ち着かせてくれる作用を、幼い頃から強く感じる確かな性質を具えていて、普段は人にはこのような感覚的で、説明のつかない曖昧なことは一切話さず胸に閉まっておくのだが、そのときはやはり気分が高揚していたのだろうか、左隣でシフトレバーを右手で操る彼女にそのことを打ち明け、最後にこういった



気に入った。
しばらくチューリッヒで暮らしてみてもいいのかもしれない。



それに対して彼女はとても冷ややかな笑みを浮かべ、即座にこう返してきた



甘い。ぜんっぜん、甘い。
この国の冬を一年でも経験して、それでも同じ台詞を言えれば信じるよ。



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Lake Zürich


彼女がまず案内してくれたのはチューリッヒのほとんど中央に位置する、豊かな水を湛えた巨大なレイク・チューリッヒだった

ふたりで湖畔に出るも人影はまばらでどこか閑散とした印象で、中空には名前も知らない鳥が数羽舞っていたり、湖面では白鳥が数羽鳴いたりしていた

空模様は相変わらず暗くなったり明るくなったりの繰り返しで、加えて、不意に突然、小雨がパラついたかと思えば次の瞬間には止んでいたりとまるで不機嫌さそのもので、湖畔を彼女と並んで歩きながら話しながらも、一筋の陽光が湖面に差したときにわたしはカメラのレンズキャップを外して、視界に入る気になった風景を数枚撮影したりしていた

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しかしこのとき湖畔で撮影したのは正確に19枚だったが、こうしてまともに撮れたのは唯一、二羽の白鳥が氷の冷たさの湖面を泳ぐ一枚だけだった

他の18枚に至っては画像のブレが激しく、それはもう編集ソフトでの処理が効かないほどに荒い画像で、その理由はいうまでもなく、湖畔から吹きすさぶ氷点下の風になぶられ続け、身体が芯まで冷え切って指先が震えていた結果でもあった

わたしのカメラのモニターに映し出された、激しくブレた画像を彼女はわたしの真横で覗き込み、次にわたしの目を見てこういった


だから何度もいってるでしょう。もう、上着を買いなさい。


それは昨日、チューリッヒ中央駅で彼女と20年ぶりの再会を果たし、その場で手を叩きあってひとしきり騒いだ後に、彼女は一歩下がって、わたしの全身を見てはっきりとこう言ったのだった

まさかとは思うけど、そんな薄着で真冬のヨーロッパを旅しているの?


そのまさか、だった


この旅でわたしが採用した服装の「基本装備」とは、上半身はまず肌着に薄手で長袖のHEAT TECH、その上に着る目の細かい黒のローゲージのセーター、その上はウォッシャブルの黒のレザー・シャツのみで、下半身は細身でノン・ウォッシュでまだ糊が十分に効いているジーンズ、足元はくるぶしまでしっかりと締まる紐のホースレザーのブーツという出で立ちで、要するにわたしのいつもの「冬の定番」でもあり、それは「最強装備」でもあった


そして、なぜこのような厳冬期のヨーロッパにこのような軽装で来たのには、もちろん理由があった


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この、最終的に六か月に及んだヨーロッパの旅では、「バックパッカー・スタイル」で文字通りバックパックを背負ってすることに決めていた

それも、いわば「沢木耕太郎方式」とも呼ぶべき、いささか乱雑なスタイルで、何はともあれ、まずはとりあえずパリに入り、それ以降は現地で情報を集めながら適時判断しルートを決めていくという、かなり大雑把な、計画とも呼べない計画でもあった

そうした無謀とも思える計画を立てて実行に移すとき、何より重要になってくるのが「荷物の重量」であり、同時にそれは「生命線」でもあった

どの国のどの都市を巡るのかがわからない以上、それもできるだけ空路は避けて陸路のルートを進むのであれば、荷物はできるだけ軽いほうがいい

そうして福岡の実家で荷造りを始めたときに、わたしは真剣に愕然とした

結論を先に書くと、今のこの時代は、いかにディジタル機器が必要不可欠で、いうなればその「奴隷」となっているのかがよくわかったからだった

ディジタル時代の哀れな奴隷

ラップトップ、スマートフォン、タブレットが各一台づつと、予備のバッテリーを含めたその周辺機器、JBLの小型スピーカーとワイヤレスのイヤフォン

それだけであればまだ重量は大したことはなかったが、「真の敵」は一眼レフカメラだった
重量のあるカメラの本体に接続ケーブル類、コンパクトとはいえ三脚、充電器、交換用のレンズが数本、そしてそれらをあらゆる衝撃から守る多層構造のワッフル地の厚手のバッグ・・・

この旅のささやかな目的としては、ヨーロッパに点在している懐かしい友人たちとの再会というのを主軸に据え、副次的には一眼レフでの撮影の旅とい目的も大きく、その点を明確に認識すると、万が一、カメラが壊れた場合を考慮して予備機をもう一台・・・追加・・・しておくか・・・となり、要するにわたしのバックパックはディジタル機器満載で、その他に洗面用具と下着類を入れると、もはや消去法のプロセスでは衣類を削るしか他に選択肢がなかったのだ

そしてそれらの荷物の隙間には、大手ファストファッションの店で買い求めた真空パックでコンパクトに折りたたまれたHEAT TECHをこれでもかと詰め込んだのがわたしの荷物の全てだった


彼女はいった


しかしだからといって、HEAT TECHで真冬のヨーロッパを旅するなんて
無謀にもほどがあるよ。
それに、そのレザー・シャツの上に何かを羽織れば問題ないんじゃない?


ご名答

ぐうの音も出ない、反論の余地もない、光輝くような眩しい正論だった
わたしの「言い訳」は即座に彼女に見破られた

つまりわたしにはもうひとつ、軽装で来ていた、いわば真の理由があった

それはこの「最強装備」のレザー・シャツとホースレザーのブーツで、それを身に着けて、自分の足でこのヨーロッパの旅をするんだという、融通の利かない、断固とした、まるで中学生のような幼いロマンティシズムに溺れに溺れていた時期だったのだ

それらを揃えるために、ヴェトナムの職場でこれでもかとふんぞり返っていた「三人の長老」、いや、はっきりいうと「三匹の妖怪」のような怪人、狂人、魔人、いや、老人たちに無視され、ときに恫喝され、ときに胸倉を掴まれ、その三人の間をまるでメダカのようにちょろちょろしながら日本の顧客へ「謝罪出張」を繰り返し、その手当てを全身全霊で搔き集め、”なけなしの大枚”はたいて、つまり年単位で爪に火を灯す思いで買い揃えた、わたしのタフでなければならない、殿堂入りの名品たちに旅の同行を求めていたのだ



このレザー・シャツの上に何かを羽織る?
冗談じゃない


というのがわたしの本音の中の本音でもあった

つまり「沢木耕太郎方式」の旅の原型に、独自の「厨二病方式」を上乗せしたのがわたしの旅のスタイルでもあった

だから荷物の内訳の下りは、あくまでそれを隠す「迷彩」に過ぎなかった


凍りつくような氷点下の湖面をふたりで並んで正面に見据えながら、燃え上がるような、しかし幼い「言い訳」と、いささか誇張された絵巻物のような「妖怪退治」の物語を、わたしはまるでたった一人で巨悪に立ち向かう青年弁護士のような熱っぽい口調で彼女に語りつくすと、彼女は一瞬だけちらりとこちらを見て、次に、無言で首を横に何度か振り、それからわたしがそれまでの半生で聞いてきた中で、最も心のこもった”やれやれ”を溜息と共に吐き出した

そしてわたしの背中を出口方面へ向かうように両手で押し、こう続けた


いいからいいから。これからお店に案内するから、もう上着を買いなさい。


彼女と再会してからというものの、このわたしの軽装の件は最初は「上着を買った方がいいよ」の思いやりの口調だったのが、次に「上着を買いに行こう」と行動力を伴う現実形に昇華し、僅か24時間で「上着を買いなさい」の命令形にまで発展したことにはなる・・・



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湖畔の出口から交通の往来が激しい大通りに出ると、最前まで降っていた弱い雨が、この中世から続く古都の路面を美しく濡らしていた

綺麗だな、とわたしは心の深い場所から発せられた思いをそのまま口にした

書いても書いても書き足りない程に美しいのが厳冬期のチューリッヒだった


たぶん間違いないのだろうが、わたしがこのときのチューリッヒほどに美しい都市を訪れるということは、もう生涯においてないのだろうなと強い予感を持って今日こんにちまで過ごしている

そしてそれとまったく等量の、やはりアメリカには生涯において行くことがないのだろうという確信的な予感も、その真裏に息を潜めていることになる

もちろん、アメリカにはアメリカの、アメリカにしかない独自のレキシと発展が現代に現出させた、それも複雑に交差する他民族が形成した都市だけがもつ、固有の美しさが確実に存在しているということは、まだ未踏のわたしでも、ある種の具体性をもって想像することは十分に可能なのかも知れない

しかし昨夜、彼女が語った”アメリカには歴史がない”は、彼女がわたしにかけた柔らかな「暗示」でもあった


だからきみは行かない


彼女がわたしにかけた「暗示」とは、「呪縛」とは異なる性質を秘めていた

「呪縛」は、自分の意志では決して解呪できない暗く、陰湿で、文字通り邪悪な意思が強烈に内在し、対象の相手をきつく縛りつける性質を有している

しかし「暗示」はいつでも自由に振り払うことができ、だからアメリカ行きの航空券を買うことは、少なくともわたしには容易で、いつでも可能なのだ


そしてわたしは、このとき、そして今に至るまで彼女のその「暗示」に自ら進んで罹りに目を閉じて、その盲目的な示唆を積極的に自分自身に取り込もうとしていた

アメリカに行く行かないは、わたしにとっては極めて些細なことではある
少なくともわたしの実人生に大きな影響はない

しかしこうして些細なことであれ、極めて印象的な「暗示」を言葉として明瞭に発することができ、それをこちらで一切迷うことなく受容することができる相手とその内容には、実はわたしの人生の中においてはほとんど巡り合えていないという事実に気がつくことができる

何より、彼女はわたしのひとつの本質を正確に言い当てていたのだ


このときは20年ぶりの再会だったが、彼女はまるで冷たい水の中に在る
無数の瞳の視線のように、わたしの本質を即座に探り当てた


わたしは彼女が与えてくれたこの柔らかな「暗示」を、生涯において明確に意識しながらこの先の人生を歩んでいくことになる



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ふたりで肩を並べて旧市街方面へ歩きながら、わたしは前方に広がるこの濡れた石畳の街並みを観て、そのときに心に浮かんだ情景を念頭に彼女にこう訊いてみた


「魔女の宅急便」の世界観にかなり似ているような気がする。


彼女はいった


確かに似ているけどチューリッヒではないの。
あの舞台はスウェーデンの首都ストックホルムとゴッドランド島なのよ。
行ったことはある?


行ったことはなかった


しかしこのことも人から聞いて初めて知ることができる種類の話でもあった

言われてみれば、角野栄子の原作と宮崎駿の映画を含め、あのような素晴らしい作品世界の舞台に、モデルとなる場所がないはずがないのだ


わたしはそのどちらにも行ったことがあるけど、本当に素敵な街だった。
真夏のホリディに行って・・・まさに「魔女の宅急便」の世界!
本当にキキがほうきに乗って飛んでいるかも知れないと思って
思わず空を何度も見上げたくらい。

わたしは何度も頷き、頭の中の「行ってみたい国」のリストの上位にスウェーデンを追加する

小さいことではあるが、こうしてまた「世界」を広げていくことになるのだ



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このときにふたりで歩いていた通りは、後にバーンホーフ通りという名のメインストリートであることを知り、以後二週間の滞在では、パリでの起点でもあったオペラ座同様に、まずこの通りから街歩きを始めることになる

そこは通りの中央に大胆にもトラムが低速で駆け抜け、石造りの店にはデパートや高級メゾンのショップ、有名なチョコレートショップなどがゆったりとした間隔を保ちながら悠然と立ち並んでいた

そしてそうしたお店の一群には、アウトドア系の衣料品店が多く目についた

彼女にそのことを指摘すると彼女はこういった


どうしてだかわかる?


わたしの頭の中に、雄大な大自然のいわゆるスイス・アルプスと呼ばれるマッターホルンやユングフラウの呼称が浮かび、スイス人はみんな山登りをするのかな?と答えると彼女はこう続けた


近い。
もちろんそれもあるけれど、この国の人々はみんな日光浴をするからよ。
この国は一年の半分が雪と氷に閉ざされて・・・陽が照っている日はみんな自宅のテラスや公園で日光浴をするの。
そしてそれはわたしたちにとって、とても大切な習慣でもある。


昨夜本人から聞いた話では、彼女はこのチューリッヒで重度の鬱病を発症してしまい、長期で入院をした経緯があるということを率直に話してくれた

それにはもちろん、精神的な孤独が切り離せない心の病ではあるのだが、それを誘発し助長させたのは間違いなくこの国の暗く長い冬だとも聞いていた


鬱病と日光浴

わたしが口を開こうとした際に、先に彼女に気勢を制された


ここよ。この店にしよう。


わたしたちの目の前にはドイツ語で店名が大きく描かれたアウトドアショップがあった

わたしは最前まで考えていた思いをいったん抽斗にしまい込み、彼女にこういった


上着はなんでもいいから選んでくれないか?


それは恋人に頼むような台詞のひとつのようにも聞こえるが、そうではなかった

なぜならばこの彼女は、ことファッションにかけてはヨーロッパ全域の最前線に立つ本物のプロフェッショナルだったからだ

彼女はそんなことはなんでもないといった口調で、短くこういった


任せておいて







つづく










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2024年 11月16 日(土) 日本時間7:00

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