偶然なのか、それとも必然か
「ことばとの偶然の出会い」
今日、とある本を読んでいて目にしたことばだ。
ビジネス書や小説、マンガなどを読んでいて印象的なことば、こころに響くことばに出会ったことは誰しもがあるのではないだろうか。
いまの自分に足りない知識やスキルを身につけるため、物語の世界に没入したいため、エンタメとして楽しみたいため、などの理由で手にしたものの中からみつけられたことばだ。
人によっては救われたことばもあるだろう。
もちろん、ぼくにだってある。
いいことばを見つけたときは、ほっこりした気持ちになったり、それを書いたひとの頭の中を覗いてみたいなあという気持ちになったりする。
なにをどうすればこのことばにたどり着くのだろうかと。
ちょっと気持ちわるいかもしれないが、ほんとうにそう思うことがある。
何千文字、何万文字とある中でひときわ輝いていて、そのことばを受けとることによって上がる体温。
そのことばに触れることで、まるで「自分が求めていたかのような、まさにこう言ってほしかった」という気持ちになり、隠れていた欲求を満たしてくれる。
なんとなく読んだ本や過去に読んでおもしろかった本を再読してみると、同じような経験をすることがある。読みすすめていくとはじめに手にしたときと違う感覚を覚え、印象的なことばに出会うときもあるのだ。
不思議なもので。
おそらくは、はじめに手にしたときと、もう一度手にしたときの自分が違うからだろう。知識も経験もそうだけども、あらためて手にしたときの自分の置かれている状況が違うからだ。
ポジティブなのかネガティブなのか、迷いの中にいるのか、その時々の状況によって目にすることばや受けとることばは、変わるものだ。
何年も前の話だが、仕事のことや将来のことについて、とある経営者に相談にのってもらったことがある。いろいろ話をする中で最後に、「本屋の中をあるいてまわってみて」とアドバイスをもらった。そこで気になったものや手にしたものが、いまの自分に必要なものだからと。
話題の本や人におすすめされた本を読んでみたけども、まったくおもしろくなかった、なんて経験はないだろうか。特に印象的なことばもなく、自分には読解力も想像力もないのかと思ってしまうこともあるが、そもそも人によって価値観も違うだろうし、置かれた状況も違うはずなので、当然のことかもしれない。そのときは必要なかっただけだ。
印象的なことば、ずっとこころに残ることばとの出会いは、ただの偶然ではないようにも思う。
それは「偶然ではなく必然」なのだと。
こころが動かされるほどのことばを見つけられたのは、いまの自分が必要としているからだと。
自分にかけてほしいことばだったのだと。
他の人は素通りするかもしれないけど、自分は立ち止まる。
もしかしたら、書き手としても見つけてほしかったことばなのかもしれない。
なのでそれを見つけたら大切に受けとってほしい。
人に言わなくても、はなさなくてもいい。
自分だけのものとして大切にしてほしい。
そんなことを考えていた一日だった。
この先どんなことばに出会えるのか、たのしみだ。