愛についての考察
愛と言うのは人間が生まれてから死ぬまで永遠に悩み続けるテーマだ。
少なくとも僕は、このテーマに悩まされ続けてきた。
ときたま答えのようなものが出る時もあるが、人生の一歩を踏み締める度、その答えが正しいと言いきれなくなる。
愛とはなんだ。
愛して、愛されて、愛あるゆえに幸福で、愛あるゆえに不幸で…。
愛とは、なんだ。
そんな見えず、触れられず、しかし感じる愛と言う不定な存在を考えずにはいられない。
僕はこれまでの人生で幸福な愛について考え、それを求めてきた。
その中で僕は幸福な愛の定義を以下の様に捉えていた。
幸福な愛とはお互いの愛が均等に近いこと。
愛し、愛され、天秤のように愛の釣り合いが取れた状態が幸福であり、一方的に愛する事も愛される事も幸福ではない。
今まではそう思っていた。
しかし最近は新しい考えが僕の中に生まれてきている。
人は愛する事ができれば、愛されずとも幸福足り得るのでは無いか。
幸福な愛とは対極の不幸な愛とは何かと考えると、単純に愛されない事だろう。
だがしかし、自分が愛する相手を決めることは出来るが、相手が誰をどれだけ愛するかを自分が決めることは絶対に出来ない。
愛されたいと望む内は愛の苦しみから逃れることは出来ないのだ。
愛を求めず、ただ愛する事。
これが幸福な愛の完成形ではないかと思う。
汝、隣人を愛せよ。とはよく言ったものだ。
これが今の僕が出せる愛の答えだ。
もしかすると、人生の節目でこの答えも変わるかもしれない。
しかし今はこの答えが僕の中でしっくりきている。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
愛について悩む人が、僕の答えを見て救われたり、新たな思索を巡らせたりしてもらえると嬉しいです。
コメントもしてもらえると意見交換なんかも出来て嬉しいので、よろしくお願いします。
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