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28歳の決断から15年後に思うこと
私はキャリアコンサルタントとして多くの方の相談や履歴書の添削をしてきた中で人生には「決め時」とも思える瞬間が存在していると確信している。
その勝手に名付けた「28歳•35歳の決め時」理論はクライアントの方々だけでなく、もちろん自分にも当てはまる。
私自身のことで言えば28歳を決め時だったと思うのは、自分の28歳の決断や行動が、あまりにも極端で残酷だったなーと思うことが大きい
向かうところ敵なし、何でも出来る気がして、自分を中心に世界がまわっているような気になってしまう20代
とくに28歳は社会人になって5年~10年たって、仕事も何となく一人前のように感じて、心にも余裕ができた頃。
私は例にもれず、無敵だった。
仕事は営業職で絶好調に売れていて、とにかくその自信が体全体からあふれていたと思う。
何でも出来るような気がしていたし、実際に欲しいと思うものは全て手に入れたかった。
それは「モノ」ではなく、
『結婚』だったり『仕事』だったり『子ども』であっても。
望めば手に入ると思っていた。
何と傲慢だったんだろうと今は思うけれど
私は一人っ子で子どもの頃からおそらく甘やかされて育ったのだろう。欲しいものは時間がかかっても必ず手に入れてきた。(実際には与えられてきた)
それは人生も同じで大きな失敗というか挫折なんてしたことがなかったし、当時の私の偏差値では高望みをした大学受験も必死に勉強をしたらほぼ第一志望の大学に合格した。そして卒業するころには就職超氷河期が来て有効求人倍率は0.9、大卒の就職率は60%前後という悲劇的な状況でも何とか希望度としては高かった会社に就職できた。
私は甘やかされた環境でありつつも自分の欲しいものは死に物狂いで努力したら自分の手でつかみ取れるんだということを学び体験してきた。
そんな28年を過ごしてきた私がした「ふたつの決断」が43歳になった今でも人生の分岐点だったと思う。
それは「結婚」と「離婚」
28歳の時、仕事で知り合った地元企業の3代目と結婚をする。
当時、無敵だった私は地元では誰でも知っている企業の跡取りとの結婚というブランドを手に入れたかったことは否めない。
そして当たり前ながらそんな舐めた理由での結婚はうまくいくはずがない。姑と息子(私の夫)は共依存で、何かトラブルが起こると全ては私のせいになった。
結婚と同時にベンチャー企業に転職をし、朝から晩まで仕事づくめだった私にも非はもちろんあるけれど、結婚直後から夫婦関係と義実家とは暗雲が立ち込め、それでも仕事は超多忙。もう心も体も限界だった。
そして結婚生活は実質1年で破綻する。
離婚しよう
たかだか28年だけれど順調すぎる人生を歩いてきた私には、自分が離婚する日が来るなんて考えてもいなかった。というか、離婚は「運が悪い人」がするもので自分とは関係ないと思っていた。(なんという傲慢さ)
自分がそのまさしく「運が悪い人」になってしまった時、カッコ悪くて死にそう、と本気で思った。
そして石を投げれば知り合いに当たるような田舎だけにこんなことも考えた。
「あの結婚式に来てくれた400人近くの人たちに何とお詫びするんだろう。」
でも、これからの自分のために自分で決断した。運が悪い人になったとしても、世間体が悪くても、自分の未来にはこの決断が必要だった。というより、この決断しかなかった。
この最初の結婚で分かったことがある。
人は話し合えば分かり合えると思っていたけれど、世の中にはどんなに話をしても分かり合えない相手がいるということ。そしてそれが一度は人生を共にしようと誓った相手であるという絶望感。
幸い子どももいなかったので、
離婚届を提出し、細々とした処理をして1年ちょっとであっけなく最初の結婚生活は終了した。
そこからの私は、おそらくいろんなものを脱皮したように思う。
働き方、価値観、人間関係
仕事は結婚当初に転職したベンチャーは夫婦関係がこじれた&仕事がハードすぎ問題で体調を崩し退職せざるを得なくなったのでゼロからのスタートになった。
派遣会社に登録をしたら早々に声がかかった営業職の契約社員になりフリーランスとして独立し現在に至る
仕事や働き方については雇用されるということがこれまでの自分の唯一の選択肢だった。けれど離婚による脱皮は既存の人生の選択肢をまるごと変えた。
雇用されなくても「自分」の名前で仕事をすればいいんだと思った。私の中に起業・独立という働き方の新しい選択肢が加わった。
もしかしたらそれは「自分」を再確認したかったのかもしれない。
離婚するという私にとっては人生最大の失敗をしてしまったのだから、仕事で見返してやりたかった。「見返す」って何を?誰を?どうやって?と思うけれど、とにかく負けたくなかった。
今考えると、「見返してやりたい」「負けたくない」のは誰よりも「自分に対して」だったのだと思う。自分の自分に対する「信頼」のようなものが離婚によってめちゃくちゃ揺らいでいた。自分がした決断が大失敗に終わった今、「自分の自分に対する信頼を取り戻す」ことが出来なければ、これからの人生をどうやって作っていけばいいのか分からなかったんだと思う。
自分への信頼の取り戻し方は当時の私には仕事しかなかった。
離婚後の3年は契約社員の営業職だったので時給も高く、しっかり売って、しっかり稼いだ。
その間に当時流行っていた東京で女性のベンチャー企業の社長がやっていた「女性起業塾」に入り「起業」を学びブログを立ち上げ、そのブログは後々まで私を助けてくれることになる。
独立をしてから約6年の時間はがむしゃらに仕事を頑張ったけれど、それは自分への信頼を取り戻す時間だったのだとこれを書きながら、しみじみと理解できた気がする。
そして自覚はなかったけれど、時が満ちて次の段階に行けたのかもしれない。
次の段階とは
離婚から10年後
私はもう一度結婚をする。
明らかに失敗だった前回の学びはたくさんある。
例えば、こんなこと。
離婚をした人で「もう結婚は懲り懲り」という人もいる。
でも私は全くそう思わなかった。それも当然だろう、一緒にいたのは1年足らず、それも仕事が忙しすぎて生活自体の詳細の記憶は飛んでしまっている。「懲り懲り」と思うほど「結婚生活」をしていないのだから私にとってはかなりの不完全燃焼だ。私には結婚が向いてない、とかも全く分からないし、時間的にも言える資格もない。
言い方はとても悪いけれど、もう一度結婚して幸せになれるかは試してみたかった。
自分への信頼は自分で解決できるけれど、自分ではない誰かと一緒に築く未来は見てみたかった。
もしかしたら次に結婚して幸せになることでしか「離婚」したことを「正解」にする術が思いつかなかったのかもしれない。
そして現在進行形で、私が欲しかった幸せが今ここにある。
*
二度目の結婚をして5年
離婚してから15年
もう最近は頻繁に人生の分岐点になった28歳のあの頃のことを思い出すことはないのだけど、私は15年かけて自分の決断を「正解」にするために生きてきたのだと胸張って言える。
それは具体的に言うと、自分への信頼を取り戻すための時間。
何か大きな失敗をしても、自分がした決断が直後に間違ってたかもと思ったとしても、どこからでも、いつからでも、自分にとっての最適解に近づける軌道修正ができる。
決断する、選択することは怖いけれど長い目でみたら失敗などないのかもしれない。
ということは決断そのものも大事だけど、その後何をどうしていくかがもっと大事ということ。
こう書いてくると、もしかしたら私のキャッチフレーズ「決め時」には矛盾が発生するのかも。。。
でも決めなければ物事は動かない。選択、決断、それがあってこその次のフェーズ。
今日の積み重ねだけが、明日をつくる。
私も今のところは幸せというだけで今後どうなるかは分からない。
だからこそ、人生はおもしろい!
もう一度言おう。
人生には失敗などありえない。
今しようとする選択も、過去の選択も、いつからでも正解にすることができるのだ。
このnoteは、たなかともこさんの企画に参加しています。