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金木犀 1

書きかけの小説です。書きかけのままでアップしていきます。うまく続くといいのですが。


「金木犀」

1、3月

 水野たつきは職場でzoomの画面を開いていた。デスクトップの、まあまあ大きい画面だ。
 画面の向こうには芹沢茉莉子がいる。今日も変わらずの白いシャツを着ている。

「おはようございます、今日はよろしくお願いします」
 茉莉子がそう言って頭を下げた。
 ショートボブの黒髪の先の部分が少しだけ揺れた。
 白いシャツの胸元にはネックレスのひとつもない。ひとつめのボタンだけ開いていて、そのままの白い首筋が見える。そしてふたつめ以降のボタンに隠れた胸のふくらみが意外にすごいことにも水野たつきはとうに気づいている。
 芹沢茉莉子は自分よりも少し年上だと思う。なぜか、自分を地味に見せる傾向がある。よけいな飾りもせず、よけいなことも喋らない。
 なんの気遣いもなく仕事を続けられるのは、そんな茉莉子のおかげかもしれないと、たつきは思う。

 「さっそくですが、用語の確認からお願いしたいのです。きちんと当てはまる日本語が調べてもどうしてもわからなくて。水野さんがご存知だといいのですが」
 芹沢茉莉子は言った。
 「この機器の利用手順と、効果についての説明が冒頭から続いており、3ページめにその言葉が登場します。なんらかの効果を示した言葉のようです。そのあたりの翻訳を共有画面で出しますのでご確認いただけますでしょうか?」
 淀みなく共有画面に変わる。たつきは「ちょっと読みますのでお待ちください」と言いながら、文書を読み進める。茉莉子が難儀に思っている言葉は、外国語のままで太字となっておりすぐにわかった。
 ああ。これはわからなくて当然だな。最近自分たちの間で頻繁に使う言葉だ。どこまで流通しているのかわからない。やりとりの中で生まれた「造語」と言ってもいいかもしれない。
 「自分は日本語ではこう呼んでいます」とひとつのワードを口にした。
 「なるほど!意味はそんな感じかなとは思っていたのですが、正確にはわかりませんでした!この言葉は続くページにも頻回に登場します。その言葉を当てはめて、それからもう一度文章の流れを確認します。午後には、正式なものをお届けできますので、今しばらくお待ちください」
 茉莉子は息が弾んだような声をだした。

 外国の取引企業とのやりとりを文書で行なうときは、茉莉子のチェックが入る。
 茉莉子は以前はここの社員だったが、家族が体調を崩して休職し、そのまま退職したと聞いている。
 以前からやっていた外国語への翻訳や文書チェックは外注と言う形になった。
 体調を崩した母親はとうになくなり、悲嘆した父親までもが、その年に脳疾患でなくなった。一人っ子だったため、これまでのマンションでひとり暮らしをしながら生活しているという。
 会社は復職を望んだが「片付けることが多すぎて」との理由でいろいろと先延ばしが続き、そのまま外注という形で落ち着いたと聞いている。
 
 たつきが転職で入社したときは、茉莉子はすでに画面の中にしかいなかった。

「ジャスミンは変わらないわね、ぜんぜん年を取らない」
 と、昔からいる女性社員が遠くから画面に手を振った。
 それに対して茉莉子は、手を振り返すのではなく、ちょこんと頭を下げる。
 「どんな方だったんですか? 在籍されてたときは」
  Zoomを切ったあとに、たつきは尋ねる。
 「どんな、って、あのとおりよ。きちんといろいろ言うけれど、物静かで可憐な感じ。茉莉花​​​​​​​​がジャスミンだから、親しい人にはジャスミンって呼ばれてたわ。恋愛沙汰からは一番遠いところにいて、今でもそういう感じよね?タッキー、デートに誘って!」
 タッキーはマジにやめてくれ!と思う。本名のたつきは正確には龍樹と書く。サインが煩雑になるのでローマ字で書くことが多い。好きじゃないが、タッキーよりもまだましだと思う。
 
 茉莉子さんはいくつくらいなんだろうか?
 と言っても、それを聞く人もいない。
 4〜5歳は年上なのか? デートに誘って!って言われることは冗談にしても、そういう相手が今はいないということなのか?
 そもそも画面の中にいる人をどうやって誘う方法があるのだろうか? 
 雑談すらしたことないのに。

 そう思っていたら、ある日駅で見かけた。
 奇跡かと思った。
 見間違いか? いや。あれは画面の中の芹沢さんに間違いない。
 会社から6駅離れた住宅街の駅。
 急行が止まるこの駅で、たつきは一度改札を出て、改札前のパン屋に寄った。朝食のパンはここのと決めている。そのパン屋の前を芹沢茉莉子は通り過ぎ、その隣にある本屋の中に入っていったのだ。
 奥のコーナーの方へ、まっすぐに歩いている。パンは後回しだ。こんなことはめったにあることじゃない。
 息を弾ませて、たつきはその後ろを早足に詰めていった。
 茉莉子は旅行本のコーナーの前に立った。
 プライベートな空間で。仕事関係の僕に声かけられるのはどういうものだとう? 不快な気持ちにならないといいが。と思いながらも、これは「神様がくれたチャンスだ」と思う。
 「なぜ、神様がくれたチャンスだ」と思ったのかを掘り下げると、少々自分の気持ちがわからなくなる。恋愛対象という意味なのか? いや、それすらもわからない、しかしとにかく茉莉子と話したいと、そこだけは間違いなかった。

 「失礼ですが、芹沢さんでいらっしゃいますか?」
 そう声かけると、茉莉子はじっとこちらを見つめ、両手を口にあて、それから少しして、目を大きく見開いた。白いシャツの上にチャコールの薄手のコートのを羽織っている。
 「びっくり!」
 茉莉子の最初のひとことはそれだった。
 「ああ、すみません。びっくりさせてしまいました。迷ったんですが」
 「あ、いいえ、驚いたとか、迷惑とか、そういう意味じゃないんです。すみません。いつも画面の中にいる方が飛び出してくるなんて、ほんと、びっくりするものですね」
 「画面の中にいる人...」繰り返してみて、それから笑った。「たしかにお互い、画面の中にいる人ですね。僕もびっくりしましたよ」
 「ご自宅がお近くなんですか?」
 「いえ、乗り換えて一駅です。パンを買う日だけ、一回改札を出るんです」
 「ああ、あそこのパン屋さん! わたしも行きます。わたし、この駅の近くなんですよ!」
 もっと慎重な性格を想像していたが、あっさり個人情報を白状して、いいのか。その距離の詰め方でいいのか? もしかしたら、もっと距離を詰めても大丈夫なのか? 本当に、いいのか?
 「本を選びに?」
 「いえ、なんとなく、本屋さんって落ち着くから入ってしまうんですよ」
 「お時間があるのなら、階下のスタバでも」
 「いいですね!」
 いいのか? 本当にいいのか?
 「あ、今の翻訳してるもののバックグラウンドとか聞きたくて、ほら、わたし、そのあたりの経緯がわからないものですから」
 本当にそれだけでもいい。
 たつきは「いいですね!」という茉莉子の声が何度も何度もリフレインした。画面の中の1.5倍ほどはずんで聞こえる、茉莉子の声を何度も何度もリフレインした。


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