続けられたこと
一年前の私は社会保険つきのパートでした。
時間の融通の効きづらい部分(有給を取るタイミングがむつかしいなど)は、あったけれど、それ以外の不満はありませんでした。
「自分の働くペースはこれくらい、あとは好きなことをやっていい」と思っていたし、何よりも「希望する部署ふたつを兼任できている」のも気楽でした。
片一方では「人に渡しづらい、自分だけでやってきた仕事」をやり、もう片方では「あ、あちらの仕事の時間だから失礼します」とそそくさと帰り。
ずっとずっとそんなふうに働く予定だったのです。
予定が狂ったのは「コロナ禍の深刻な人手不足」からだと思っています。
今年の1月に「あなたもいろいろやりたいこともあるだろうけれど、こちらの部署の常勤になってくれ」と言われ、いろいろ聞いてみると「わたしが常勤にならないと、人員基準が満たされなくなる」というのが理由でした。
「常勤にはなるけれど、時短で」という希望を言って、1日6時間勤務の常勤になりました。
4月にはもっとどうにもならなくなって「ふつうの常勤」になりました。
その頃は、時間内に終わらないことも多くなっていたので、4時あがりが6時あがりになっても「まあ、これくらい時間かけないと終わらないよな」と納得しました。
でも、この年になってこんなに働くなんて思ってなかったよ!
生活もお給料も変わりました。オットは、わたしが帰ってないときのためにスーパーで刺身を買って帰ることを覚えました。
お給料はあがりました。
へええええ。常勤の人ってこんなにもらってたんだ! でも「差」がありすぎじゃないか?
もっと賃金の差がないようにしないと変な不公平ができてるんじゃないかと、真面目に思っています。
さて。1日8時間も会社にいると、ひずみが出てきます。
食事の時間もバタバタ作って遅くに食べます。まあ、オットが駅でなにか目についた食べたいものを買ってきてくれるのは助かります。
洗濯もの、ゴミ出しは完全にオットの仕事になりました。お風呂も先に入っててくれるのでとても助かります。
でも、これに子育てまでしてる若い世代の人って、すごいなあと思います。
人間はこんなに働くようにはできていない、と思うんだけど?
そして今はもっとキチキチの人手不足です。
もうひとつの事業所の業績がいまひとつなんで、少し業務をわたすことになったけれど、それもまた焼け石に水。なんだろうなあ、コロナが一段落した現在の介護職。
「そして誰もいなくなった」だよ。
そんな中、幸いにも書くことだけは続けられました。
他のところで書き散らしたり、noteで毎日書いたりすぐに飽きて少し長いタームで書いたり。
そんなふうにしながら1年すぎました。
趣味までなくしてしまうほどに働かなくてよかった。
時間に追われたり、なかなか書けなかったりもないわけではないけれど、何かを思いついたときに書ける場所があってよかった。
言語化は大事だと思っています。
なにかあっても、なにもなくても、それを言葉という有形のものにすることができれば、感情は客観的になるし「あ、そうか、わたし、こんなことで傷ついてたんだ」とかもわかるし。
自分のために、自分を描くことは大事だと思います。
他の人に共感してもらうのもまた、かけがえのない気持ちになれるんですけどね。
自分で言語化したものにずっと救われながら、わたしは生きています。
今年の記録をnoteが作ってくれました。
なかなかいい年だったような気持ちになれました。