息子の運転から想う仕事との共通点
超久々のNOTE!
昨日、免許を取ってまだ半年ほどの息子が運転する車に乗った。
彼は地方で、それなりにキロ数を運転しているので、さほど不安はない。
ただ、帰省中は、私の方が地元の道を知っているので、突然自転車が飛び出しがちな箇所や、死角になる角等、危なそうな箇所では「自転車きてるよー」とか「ミラーチェック!」とか助手席から声をかけてしまう。
もちろん息子は「わかっとるがー!見えとる!(怒)」となる(笑)
「んなこと、ちゃんと出来てるんだし、かーちゃんだって毎回いちいち言われたらイヤじゃね?」と言われてハタと考えた。
確かに私も、ペーパードライバーを脱しようと久々に運転を再開した際、夫に色々言われたのは「うるさーい!」と思っていた。
でも、実は私は今は全くそんなことは思わないし、言ってくれてありがとうと思う(何なら、一緒に角とかは見ててよ、と思う)。
この違いって何だろう、と思ってみたのだが、やっぱり彼がまだ初心者だからかな、という気がした。
自分はちゃんと運転できる、完璧、と思うから、注意をされると批判的に受け取る。でもそれは過信で、逆に運転に慣れて、車の良さも怖さも知ってくると、「見落としがあるかもしれないし、それで事故になるといけないから、言ってくれてありがとう」と思う余裕が出来る。
この、「もしかしたら」と謙虚に思えるようになった時が、初心者を抜け出した時なのかもしれないなぁ、と。
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これって、仕事もそうだなぁと。
若手の頃は、注意されたり、出来ないことを言われると「そんなことない!」と反発してみたり、「やろうと思ってたのに」、「これはこういう意味があって実は・・・」とか言い訳をしてみたり。
ついついそんな気持ちが芽生える。
これは、「早く一人前になりたい」「自分は出来る」との想い、願望がそうさせている気がする。
でも、見ていて危ういから言われるのよね。
翻って、年齢と経験が増すと、失敗もするし自分のクセも分かってくる。
そして、自分が分かっていないことがある「かもしれない」、慣れすぎて抜けていることがある「かもしれない」、もっと良くなる方法がある「かもしれない」という、「かもしれない」可能性を考えるメリットも理解してくる。
しかも、自分を見てくれる人も少なくなるので、自分の弱そうなところやキーポイントをチェックしてくれる人は有難くも感じる。
だから、「櫻木さん、〇〇やりましたか?」とか「△△だとどうですか?」と言われると素直に「ダブルチェック出来た!ありがとう!」「おお、確かにそこ抜けてた!ありがとう!」と言えるし、その存在に感謝もする。
個人事業主になると、すべてが自分の責任で、さらに自分の成長を随時見てくれる人も、フィードバックをしてくれる人も、抜けたところを指摘してくれる人も少なくなる。だからこそ、余計に感謝の気持ちが芽生えるし、「あー、自分はこんな心配してもらって、まだまだ不安に見えるんだな、頑張らなきゃ」とも思う。
ある意味、指摘を素直に受け止められるようになるって成長の証なのかも。組織においても部下や周囲の指摘に謙虚に耳を貸せるようにな人である、ってとても大切、と思ってみたのでした。
まぁ、とはいえイヤがられてしまうと、乗せてもらえなくなっちゃいそうなので、バランスは注意しなきゃですね(笑)