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scrap & build

サッカーは心がポキポキ折れるスポーツである。

数年前に参加した、Jリーグチェアマンの村井さんの講演会でそんな話があった。(あれ?前にも書いたかな?)

曰く、
・パスが来ると期待してもカットインされる
・シュートを打ったと思っても、入らない可能性の方が高い
・よし!と思ってもオフサイドがある
・あれだけ走ってもボールに触れるのはわずか数分(秒?)

つまり、期待しても裏切られる回数がとても多い

その話を聞いた時、心底「なるほどーーー」と思ったし、以来、サッカーを見るたびになんて過酷なスポーツなんだ、と思っている。

その村井さん曰く、
そんな過酷なスポーツだからこそ、トップ選手になれるか否かは、その人がどれだけ立て直し力が強いかによる、とのこと。

技術的には海外リーグに行くトップ選手とそれ以外はそんなに大きな違いはないとのこと。ただ、上手くいなかった時の気持ちの立て直し方、復活のスピードが違うとのこと。

来るはずだったパスが来なくても
渾身の想いを乗せて蹴ったボールが簡単に相手に抑えられても
俺に渡してくれさえすればバッチリなボールが来なくても

すぐに切り替えて立ち上がって前を向ける力が大切、とのこと。

それを聞いて、「scrap & build」という懐かしい英語のフレーズを思い出した。前に進むために、壊しては立て直す。勇気がいるけれど、それで前進するんだよ、と子どもの頃、教え込まれた。
過去に囚われることなく、前に向くため、壊してはまた作り上げていく力のこと。
まさにそれだよなぁと。

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仕事上、色々な人の文章をチェックすることがある。
内容の矛盾、主張の妥当性、根拠の強さ、全体のロジカルさの添削から始まり、読みやすさ、相手に伝わりやすさの観点から見たり、単なる誤字脱字誤記のチェック用の校正も、色々なことをしてきた。

職業柄、一時は新聞を読むときでも赤ペンを持っていたくなった(笑)

私は、自分でイチから文章を書くのは相当苦手だが(このnoteも実は苦戦している)、他人の作った文章なら直せるという、ちょっと嫌な人だ。
私は帰国子女だが、英語慣れしているからか、主語と述語が合っていないとか、文章が冗長になっていることとか、意図なく繰り返される表現とか、気になって仕方がない。
注)自分の文章力は棚に上げて言ってます!!!

特に、交渉用の文章や、エッセ―やエントリーシートなど、自己主張が必要な文章は、文章が正しいだけでなく、それだけでどんな人か、熱量を伝える必要がある
自分がその場に行って話せない代わりに文章を提出するのだから、
自分の分身として、相手に訴えかけてもらわないと困る

最近は就活学生さんのエントリーシートの添削を山ほどしているが、見ていると、この「熱量を持った文章を書く」ことが苦手な人が多い。
特にエントリーシートは、ネット上の「お手本文章」や相手の企業の理念等と出来るだけシンクロさせようとするからか、「この文章、100人いたら他の人も書きそうよね・・・」と思えるものが多い。
本人が何を考えて書いたのか、伝わってこない。
再注)自分の文章力は棚に上げて言ってます!!!

そもそも、熱量が必要な文章なんて書いたこと殆どないよね。一生懸命書いたのだろう、時間も相当費やしたよね、というのが分かる場合は本当に申し訳ない気分になるのだが、ここで相手が気づくのを待つには時間が足りない(提出日もある訳で)。
基本の文章力があるけれど、書き方のコツが分かっていないのだな、という人には特に、ふんわり言っていつか伝わることを祈る位なら、嫌われても良いので、しっかりと伝えてチャッチャと直してもらった方が良いと思っている。

ということで、申し訳ないけれど、愛をこめて、全面的な書き直しや、ものすごーーーーく厳しい一言を言うことがある。

そして、その時に、どれだけ戻ってやり直せるか、で人の成長は変わるなぁと思う

「なるほど」と思って本当に潔くサラから書き直してくる人は、その後、何をしても成長が早いと感じるし、結果も出てくる。きっと、こういうマインドで変化を起こしてきたんだろうな、とか、社会に出て伸びるだろうな、と思える。
逆に、「大幅に書き直してきました!」と鼻息荒く言っても、基本骨格をなるべく残して、表現だけ変更してきた人は、その後、やっぱり色々なところで苦戦する。無意識の中で、現状の中でどうにかしようというのが垣間見れる。

前者は違う視点が与えられた時に、切り替えて、とりあえずそっちの方向で見てみよう、相手の視点を察知して、そこに対して自分の見せ方を変えられるタイプ(在り方を変えるんじゃなくて、見せ方を変えるというのがポイント)。後者は、どうしても自分の枠を超えられず、今の自分のままで、相手に理解してもらいたいタイプ。

そして、毎回、冒頭に書いたサッカーのエピソードと「scrap & build」のフレーズが思い浮かぶ。

学生さん達はどの子もすごくキラキラとしたところがある。
それを発掘して、文章に乗せられるようにしたいといつも思うのだが、見せ方だけで苦戦している子達を見るととても残念に思う。

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こういう scrap & build の経験を今から繰り返すと、社会に出たときに、どの程度まで戻って建て直せばよいのか、感覚として身についてくると思う。途中まで築き上げたものを壊すのはものすごく勇気がいるが、見て見ぬふりをしたり、傷を小さくどうにか抑えようとして悪化することは多々ある。

特に日本の社会は過去事例に学ぶ傾向が多く、なかなか壊すことを良しとしない。でも、世の中どんどん変わってきている中、過去事例からの学びはあっても、それをなぞることは大して意味がないのではないのかな、とも思う。

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と、だんだん話が逸れてきた。
注)ね、自分の文章力は棚に上げてこれを書いてます!!!

ここまで書いて、念のため投稿前に「scrap & build」って日本語訳は何だろうと思って調べたら、これって物流用語なのですね!!!
Google辞典で調べるとこんなことが書いてありました。
1 老朽化したり陳腐化したりして物理的または機能的に古くなった設備を廃棄し、高能率の新鋭設備に置き換えること。
2 行政機構における膨張抑制の方法の一。組織の新設にあたっては、同等の組織の廃止を条件とすること。

ちょっと私が思っているニュアンスと違うことに驚きつつ、ここまで書いたので投稿しちゃいますwww

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