販売応援の話
便利グッズへの執念
というわけで、京都店の販売応援にいってきた。何度かここでも言っているような気がするが、私は模型・理化学およびイベント担当である。しかし、京都店ではキッチン売場にいくことになっていた。 知り合いもおらず、商品も不明、商品の場所も不明。店内の通信も、普段使っているPHSではなく無線機であった。なにもかもが自分を受け入れないアウェイ感たっぷりな状況のなか、まるで新人かのような気分になった。これはまるで、一旦自己の全てを否定して擬似的に生まれ変わる自己啓発セミナーの儀式のように思えた。昔、某バンドの歌唱担当が「アゴ男!」と言われ続けることによりコンプレックスが克服できた!と涙を流したアレである。
結社という語感
セミナーと言えば、私はいま『秘密結社』(綾部恒雄著:講談社学術文庫)を読んでいる。有名どころでは「隠れキリシタン」や「フリーメーソン」あたりを取り上げ、マイナーな結社も包括的に記してある良書だ。巻末の「秘密結社辞典」が大変に便利である。人類全体の去勢を最終目標とする「スコプチ」や、旅人を殺すために存在する「パンシガル(旅人殺戮教徒)」など、役に立つ情報が満載だ。パンシガルについては、国の庇護があったというので始末が悪い。現代の日本で暮らせて幸せてある。
体育会って害悪だと思うの
さて、弊社は親会社が不動産であるからか、わりかし体育会の思考回路をもつ。京都店でも「昨日の売上が悪かったのは何でですかッ!」と課長が問うと、部下が「声出しかすくなかったからですッ!」と答えたりする。 というわけで私の成績はまるで上がらないのだが、だからと言って管理職が趣味とするマラソン大会に出ることなどはしない。そのようなメンタルゆえに上からはまるでかわいがられないのだ。 それは京都店に場所をうつしても同様である。 閉店まで残れと言う責任者を無視して、私はいつものように定時で仕事を終えた。嫌味の3つぐらいは言われたけれども、友人と食事の約束をしてあたのである。
当時のことでいまは2年無視されている
1年と少し振りに会う友人は某書店時代の同僚である。とはいえ、共に働いた期間はわずか3ヶ月である。しかし、つきあい自体はか れこれ9年に及ぶ。ただ、見方を変えてみると、私が一方的に9年間粘着し続けているというふうに見られなくもない。 粘着も9年やったら一人前!と勝手に思っているわけだが、こういう思考回路の人がくだらない事件を起こすのであろう。自分もホント紙一重だよなぁ!とたまに思う。