万物の根源は「煩」の話
窓の外をみてみれば
高架を走る電車からは無数の建物が見える。その全ての屋根の下で、無数の人はあらゆる問題を抱えている。言うまでもなく、自分自身とて例外ではない。 同じように、会社という会社の業務という業務について人は煩わしさを感じているはずである。他ならない自分がそうであるからだ。 そう考えてみると、世間の人工物はすべて「人の煩わしさ」で構成されていると言っても差し支えはなかろう。 つまり、道路も本もゲームも、動いている電車もそれを動かす電気もすべて「人類の煩わしい気持ち」というわけだ。
お前ら…生まれながらにして善…というのか?
そんな煩わしさの結晶をいろいろ身にまとい、煩わしい塊である電車を待っていた。ヘッドホンではイアン・ギランが歌っている。特に意味はないのだが、私はいまDEEP PURPLEのアルバムを一枚目から順番に聴いているのである。 すると、「トントン」と私の腕をたたく人がいた。親しみのこもった力加減に知り合いかと思ってふりむくと、まったく知らない男性と女性がいた。私より背が高く、かつオシャレそして男前な男性は私の足元を指さして「ほどけていますよ」と言った。 なんと、彼は私の靴ヒモがほどけていることをわざわざ教えてくれたのである。 そんな善意にも関わらず、私は「さては二人組のスリか…ッ?」と思った。直後に私は私自身をゴミとして認定した。
ギャグパートの野比くんはそんなにいい奴ではない
きっと彼は「人の幸せを願い、人の喜びを一緒に喜び、人の悲しみを一緒に悲しむことができる」のび太くんのような人なのだ。かのような人物に対峙してみると、世の中を構成する全てのモノが「煩わしさ」であるという仮説にも見直す余地があるのかも知れないと思う。