リーガルマインドの話

最近は講演やらコンサルで忙しいらしい


胸に天秤のバッヂをつけている法曹関係の友人が独立して10年経過した。彼は中学生のころ、ふくよかな女子を「固形燃料」呼ばわりして大変な問題を起こしたり、他にも挙げればキリの無い非人道的な、およそ人としてのバランスを欠く思考回路を持った人間なのだ。だが、商売が軌道に乗っていることから、人権感覚などそういうものはあの仕事には必要ないのかもしれない。


行列はできない


とはいえ、人間性に問題があろうとも友人にそのような職業がいると便利である。実際、最近離婚した友人も軽い相談はおこなっていたようだ。もし、単なる知らない事務所に相談に行ったならば、相談料金が発生し、30分5000円といったかなり良いランチ代ぐらいの支出が生じる。そんな料金を払うなら、ものすごく美味しいものを食べたい。


守秘義務とは


先日、上述の友人たちを含めたメンバーでの飲み会があった。しかし、残念ながら離婚した友人は仕事が忙しく、来ることはできなかった。一同は彼の不幸を肴にすることを楽しみにしていたのに残念だった。家と車と子供三人を同時に失った人間の話などそう聞けるものではない。 だが、本人はおらずとも相談に乗った人間がそこにいる。我々はその件について知る限りのことを彼から引き出すことで、肴の代替とした。


五蘊盛苦


何も離婚に限ったことではないが、人間には様々な問題が横たわっている。ある人には気にならないことでも、ある人にはとてもそれが重大な問題である。また、ある人についても一度気になったばっかりに、それまでは全く気にならなかったことが壮絶な問題として眼前に現れることも考えられる。つまり、人間とは万事が上手くいかない存在なのである。そこに他人が絡もうモンなら、当然に上手くいくわけがない。だが、それが 人生であり、一切は皆苦であると宣った仏の教えである。 私は仏教学科出身なので、このような一種の悲観主義的考えに立脚した志向を持つ。それゆえに、嫁がイマイチだなぁ…と考えたり、仲の良い友人が趣味趣向はおろか性的にもバッチリで「こっちのヒトがいいなあ」と懊悩してみたり、愚息がホントに愚息だったり、自身の無能を時には愛でてみたり、矮小かつ平凡な終わりなき日常を過ごしている。 大きな変化を求めない、従順かつ牙を持たない羊なのである。 私は「持ったら持ったでそれでも良いが、無ければ無いでそれで良い」と思うのだ。


因果は応報するのか


上述の事務所を開業した友人は、以前「世の中カネじゃないよな!というために一度アホほどカネを持ってみたい」と言った。それはいま現実となり、彼の年収はわたしの四倍はあるだろう。一時は失業保険まで受給していたにも関わらず、大したものである。今度 、そんな彼のもとに子供が産まれるらしいのだが、今まで邪険に扱ってきた巨漢女子の呪いが反映されていればいいのに!と地元民全員が願っている。 彼に虐げられ続けたブタどもよ、意地を見せろ。

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