まだ本を読むガッツが残っていた頃の懐かしい感想の話
なぜ友人がそれを読んでいたのかは知らない
待ち合わせた友人が『日本の路地を旅する』(上原善広著:文藝春秋)を読んでいた 。この作品は、本年度の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。本作においての「路地」は、一般的な用法としての「路地」ではなく、「被差別部落」のことを指す概念だ。そして、そのような集落を「路地」と初めに呼んだのは中上健次である。 私は中上氏の作品が好きで、今も少しずつ読み進めているところである。 中上氏は和歌山の部落出身者で、作品にもその体験が色濃く反映している。 基本的に土方や飯場でのゴミのような人々の話で、簡単に言うと西原理恵子氏の作品を文学にしてみた、という趣のモノだ。 近くにいて欲しくない類の人達ばかり出てくるのだが、見事なまでのアホっぷりな生き方には、此岸でマトモに生きる私からするといくばくかの羨望すら覚える。
ガッツが足りないので
相変わらず長編を読む気力がないので、少し短い目の作品を収録している氏の『岬』(文春文庫)を読んだ。 いつもの通り、と言ってはナンだが、いつもの通りのデタラメな人たちのデタラメな様子が絶妙な距離感で描写されている。氏が部落出身者であるからと言って、作品の中に劣等や憐憫を感じることもなく、同様に、優越や不幸自慢を感じることもない。妙なバイアスがかかっていないのだ。 また、氏の作品の中でも特徴的な箇所は、「血」への執着について挙げることができる。出生のきっかけが不遇であったり、その上に父親がゴミであるがゆえの葛藤などが「彼ら」の理屈と価値で語られている。その理屈と価値、そしてそれに基づいて表出される行為が妙に生々しく、面白い。
ノーベルダイナマイト文学賞
続いて、その中上氏が少しの間だけ影響を受けたという大江健三郎の本を読む。たまたま実家にあったのが『性的人間』だったのだが、これは、ふしだらな性を通じて人間の本質をうんぬんかんぬん…という内容だ。 出だしからオッサンの妄想炸裂で、これはある意味で面白かった。 まず、男女の若者が7人でジャガーに乗っている場面から始まる。その目的は、自主製作映画の撮影のために別荘へ行くことだ。それぞれの職業はカメラマン、ジャズシンガー、詩人、ボンボンなど様々で、運転者以外はウイスキーで酔っ払っている。しかも、ジャズシンガーは既に全裸だ。 その破綻っぷりは、さすが後世に名を残す作家の面目躍如である。一方で、その妄想っぷりに「性に対する興味があり過ぎるが、その情報を得たり体験することがままならない、童貞の行き場のないエネルギー」みたいなモノを感じなくは無かった。つまり、オッサンはあまり女性と縁がなかったのかな…と。 とはいえ、人間を考える上で性を透過するワケにもいかないことは明白である。かのゴータマも菩提樹の下で、欲界の王である魔羅の色仕掛けと戦ったように、悟りへ至る道程においてもそれを避けることはできない。 もっとも、性は生殖という、生命の根源に関わる事項と密接であるがゆえに、人間を理解する際には通らなければならない事なのは当たり前なのだが。
それらが文庫で読めるありがたさ
とりあえず、今回は「アウトサイダーキャンペーン」と銘打って選書してみた。 『岬』においては、部落という、一般社会とその他について。 『性的人間』は、一般社会の中でのノモス、つまり自生的秩序上の異端を。 そして、これから読む『内部の人間の犯罪』(秋山駿著:講談社文芸文庫)で、テシス、人工的秩序を破った連中について。 「読んだからどうなの」と自分でも思わなくはないが、趣味とは得てしてそういうモンである。 冒頭の友人も、何故あんな本を読んでいたのか知る由もないが、単にアイツもそういう趣味なのだろう。 次、いつ会うかは決まっていないけれども、聞いてやろうと思う。