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[メルマガバックナンバー1] しずくのお話


こちらの記事は2018年12月15日にメールマガジンとして書いた記事の一部です。私も日々、気づきと成長を繰り返しているので、今の私とは少し見解や思うところが違うところもありますが、今、このタイミングでハイヤーセルフや転生のお話をおもしろいと感じて下さる方もいらっしゃるのかも!?と思いアップしてみることにしました。

よろしければ読んでみて下さい。




こんにちは!Yukinaです。
この度はメールマガジンにご登録いただきありがとうございます。
記念すべきメルマガ第1号は少しスピリチュアルなお話。

皆さんの中にはスピリチュアルに興味がある人もいるし、全く関心のない人もいると思います。スピリチュアルをオカルトのように捉えたり、弱者の現実逃避のようなものではないかと思っている人もいるかもしれません。

私には前世やエネルギーを視覚する能力はないし、何かメッセージが聴こえてくることもありません。
でも「自分の人生で何を見て、どこを向いて生きていきたいか」を決めることで、同じ世界でも見えているものや巡り会うご縁は全く変わるという確信があります。
世間ではニュースを見て、世の中の問題を自分の問題のように学び、共感し、意見を持たなければならないという風潮があります。でも私は楽しいことや大きな夢、おもしろいことが大好きです。「自分の人生に責任を取る(全うする)」という意味で、自分が何に焦点を当てて生きるかを決めました。ニュースを見ないなんて非常識な女かもしれません。でも私にとっては、世の中の”こうあるべき”より、「楽しい!」と感じるものの方が人生の真理なのです。神さまや前世のお話は私にとってワクワクするお話の一つ。

とはいえ、25年以上も世の中の”こうあるべき”で生きてきたので、生活の中にはまだまだそんな習慣が残っています。この25年があったからこそ、自分の今の人生にグラウンディングして、スピリチュアルにワクワクできるんだと思います。

自分の心に目を向けていない人はスピリチュアルや霊性にパワーを奪われてします。私は「今」を生きるためにスピリチュアルや霊性は私たちを助けてくれるものだと思っています。自分でその選択権を手放さない限り、どんなに偉い人が隣にいても、いつでも選択権は自分にあるのです。

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今日のお話は、レイキヒーリングサロンてとてのAkkoさんに教えてもらったしずくのお話です。Akkoさんから許可をいただいて書き起こしさせていただきました。





私たちは地球に生まれてくる前、大きなお水の塊でした。お水の塊の中ではバケツに絵の具の色水を入れた時のように、あなたと他人の境目がありません。みんながあなたであなたもみんな。1つの大きな、大きなお水の塊。
そのお水の中から地球に生まれるために小さな一粒のしずくになっておりてきたのが私たちひとりひとりの人間です。

小さな一粒のしずくになって地球に降りてきた私たちは、人生の中でいろんなことを経験します。

楽しいことをしたり、お友達と友情を育んだり、愛する人と愛を深めると、しずくのお水が喜んでピカピカ輝きます。

うっかり悪いことをしてしまったり、傷つくことがあったり、自分自身を責めてしまうとしずくのお水が濁ってしまうこともあります。

綺麗になったり、濁ったりを繰り返しながら、私たちの人生は進んでいきます。

いつか人生が終わる時がきて、お水の塊にかえる時、あなたは、
「こんなに綺麗なお水になったよ~」といってかえってもいいし、
「ごめんね、降りた時より汚れたお水になっちゃった〜」といってかえってもいい。大きなお水の塊のみんなは「いいよー」と言ってかえってきたことを歓迎してくれます。

そしてまた次に地球に降りるしずくが、「じゃあ僕は君が自信をなくて濁ってしまったお水の一部を持って降りてみるね」と言って、地球に降りていきます。

そのしずくがまた人生を通してお水を綺麗にしたり、汚したりして、私たちはみんなで大きなお水の塊をちょっとずつ、ちょっとずつピカピカにしているのです。



Akkoさんはこれをハイヤーセルフの説明として話して下さいましたが、私は人間の転生や生まれ変わりというものにも当てはまるなと感じました。

私には前世の記憶はないし、由緒ある家系の出身ではないけれど、
偶然で4回も厳島神社に行ったことがあるし、サンディエゴでは自分の女神としてマグダラのマリアのオラクルカードが出てきました。私には平家やマグダラのマリアの生まれ代わりだという感覚はないけれど、自分のしずく(魂)の中に平家のエッセンスやマグダラのマリアのエッセンスが絵の具の色水のように入っているんだろうなぁと思うと納得が行くことがちらほらあります。

今年の10月、箱根神社に行きました。箱根神社は源頼朝が鎌倉幕府を築くときに参拝していた神社。源氏の聖地です。歴史の知識などてんでない私は、源氏と平氏のどちらが正しかったのか、間違いだったのか、どちらが強かったのか、弱かったのかというジャッジがわかりません。
私に平家のエッセンスがあるのなら、私は「謝りにいくのかな?それとも許してあげにいくのかな?」と思った時に、「!」と閃くものがありました。

「もし私に平家のエッセンスがあるのなら、私が持っているエッセンスはきれいなお水に浄化よう!それは“謝る”とか“赦す”を超えた上から見た視点、次の次元に行くことだ!箱根神社に源氏のエッセンスが宿っているのなら私のお水と一緒に次の次元へいきましょう!」という心持ちで箱根神社に向かいました。

その時の箱根神社の鳥居が下の写真。


被写体の鳥居が写らないくらいの光。歓迎してくれてるんだろうなぁと感じました。

私たちが持っているエッセンスは有名な人物のものだけではありません。先人たちのエッセンスを何滴もしずくの中に授かってきているのです。
もし、努力せずとも得意なことがあるならば、お水の塊の中から誰かのエッセンスを授かってきたのかもしれません。人生を楽しむために、もしくは誰かのお水を綺麗にするお手伝いをするために、「持っていくといいよ〜」と持たせてもらったものかもしれません。

反対にどうしてこんな悲しいことが起こるんだろうと感じた時には、誰かが前の人生で汚してしまったお水の一部をあなたが預かって降りてきたのかもしれません。

ハッピーなエッセンスも、誰かの悲しい過去のエッセンスもあなたのしずく(魂)中には混ざっています。悲しい過去のエッセンスだって、もし今の人生で同じことが起きた時に真摯に向き合ったり、別の解決方法を見つけてあげれば、うんと輝くお水に変わることだってあります。

そんな特別なエッセンスもそれを浄化する能力も自分にはない!って心配になった人もいるかもしれません。でも大丈夫!お水の塊の中に戻れば、みんなが私で、みんながあなただから。たとえ輝いていなくても、みんなは快くあなたを迎え入れてくれます。

でもせっかく地球に降りてきたのだから、楽しんで過ごせるしずくが増えたらいいなぁ。またみんな同じお水に戻るのだから、今をめいっぱい楽しみたいなぁと思って、私は日々を過ごしています。


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