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中途半端が一番弱いのだと思い知らされた留学生活

長らくご無沙汰しておりました。そして少々遅いですが、明けましておめでとうございます。Rinoです。

自己紹介を投稿してから、気づけば一ヶ月以上が経っていました。「ゆる〜く気ままに執筆していけたら」とは言ったものの、あまりのゆるさに自分でもびっくりです。もはやこれは私がのんびりなのではなく、せっかちすぎる時間さんサイドに問題があるのでは?

さて、ライデン大学を休学し、12月上旬にはオランダを飛び出して家族の元へと帰った私ですが、現在住んでいるのは実は日本ではなく——

紅組だけの運動会

——ベトナムです。

私の家族はベトナムのホーチミン在住でして、私は現在そこの家の転がり込ませてもらっています。

これまでベトナムへは旅行で一度訪れた経験しかなく、今回も実家へ『帰る』というよりはどこか旅行感覚でした。

というのも、前回お話しした通り、私は日本のインターナショナルスクールを卒業していて、家族がベトナムへ引っ越してからオランダへ進学するまでの間は日本の親戚のお家でお世話になっていましたもので。

ぶっちゃけ、未だにバカンス気分が抜け切っていません。

ベトナムでもオランダと同じようにカフェ文化が発達していて、物価の安さも相まって、私の趣味の一つであるカフェ巡りが非常に捗ります。

ベトナムのコーヒーは甘々で、精神的には平和ですが、健康的には無法地帯です

……今となってはもはや、どの国もカフェ大国を自称しているようにも思えますけどね。一消費者の私としては、カフェの供給過多は嬉しい限りですが。

さて、今回は私がオランダでの留学生活に耐えきれず、休学を決意するに至った経緯を一部、お話ししていこうと思います。

長くなってしまいますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

全ては私の覚悟不足

言うまでもないことですが、これが留学を挫折した最大の原因です。

『留学』というものに夢を抱きすぎていて、それがいかに孤独で苦痛であるかを理解できていなかった。……というより分かってはいたはずでしたが、それを乗り越えるだけの気概を自分が持ち合わせていない可能性を全く考えていませんでした。自分の強さを過信していました。

清々しいほどに典型的な、留学生の転落劇ですね。

自己紹介の時にお話ししたように、私はアフリカからの帰国子女で、インターナショナルスクールにも通っていて、両親が旅行好きなのもあって幼い頃から色々な国にも行かせてもらっていて……人よりも国際社会や文化の違いに精通していると自負していました。

加えて、私自身かなり野心家でプライドが高くて、でもその割にメンタルが弱いという非常に面倒くさい性格をしているんです。

周りからは自己肯定感が高くて堂々としているように見えるみたいですが、実態はその逆。まやかしだと分かっていても、自分で自分のことを肯定し続けて取り繕っていないと、保っていられない。

今まではそれでもやっていけていました。幸か不幸か、ある程度は自分のことを客観視できていましたし、努力することは好きなので、自分をただ「自分だから」という理由だけでなく明確な理由を持って肯定できるように、自分たり得るにふさわしい人間であるために、頑張っては来ましたから。

でも留学生活ではそうは行きませんでした。がむしゃらに頑張るだけではどうにもならない。自分には変えられない。飲み込むことしかできない。

その程度の現実、今までにも直面したことはあったはずでしたが、何の後ろ盾もない無防備な状態で直面するのは初めてでした。

そもそも私にとってオランダとは、縁もゆかりもない国で、出願する数ヶ月前までこれっぽっちも興味などありませんでした。小学生の頃に日本へ帰国してからずっと、私は大学でアフリカへ戻るつもりでいましたから。

けれど治安面や人種差別などの事情でアフリカへ戻ることは叶わず、それなら英語圏にしては比較的安価で、興味のある国際法に強いオランダのライデン大学を、となったわけです。オランダどころかヨーロッパ自体、合格してから家を探しに母と訪れるまでは、私には未踏の地でした。

頼れる人など一人もいない、家族や友達からは一万キロ近く離れた土地。大学も留学生の多い学科ではありましたが、その大半はヨーロッパ出身。インターナショナルスクールとはいえ所詮日本の学校の卒業生である私はうまく馴染めず、そうでなくともやはり人種差別はありましたし、周りも英語以外の言語を使って話し始めたりして、心細いことこの上なかったです。

努力が報われるとは限らないけれど、報われるためには努力しなくてはならない。そう信じて懸命に生きてきて、その結果として留学への切符を掴み取ったはずなのに、皮肉にも留学したことでその信念が折れてしまいました。

私の努力の裏には、私がその努力ができる環境を作ってくれた家族の存在があった。応援してくれて、時にはライバルにもなってくれた友達がいた。そしてずっと飛び出したくて仕方がなかったはずの日本にも、どこか母国としての安心感を感じていた。

ずっと自分のことで必死で、支えてくれていた周囲にいかに気づけていなかったかを思い知らされました。自分の弱さを見て見ぬふりをしてきたツケが回ってきたわけです。

とまあ、予定以上に長ったらしくなってしまいましたが……要は私が自分で思っていたよりもどうしようもない人間だった、というだけです。

一から足掻く根性もなければ、いっそ無理だと割り切って流れるままに生きる大らかさもなかった。弱い自分を受け入れて甘やかすこともできず、かといって強くなることもできなかった。自分で自分のことを追い詰めて自滅したようなものです。書けば書くほど無様すぎて笑えてきますね。

もちろんこれ以外にも、アホみたいに高い物価と家賃、それに釣り合わないほど低い生活の質、住居難、シェアハウスでのトラブル、太陽が恋しくなる気候、進路の悩み、劣悪な医療システム、健康状態の悪化、実家にかけている経済的な負担などなど、色々と外部的な要因が積み重なった結果、休学するに至ったわけですが……それらについても書いてしまうと、旧約聖書に匹敵する長さになってしまうので、また日を改めて綴らせていただきます。

これからについて

そんなこんなで、現在はベトナムでまったりと暮らしているわけですが、やはり家庭以外に所属しているコミュニティがないというのは、なかなかに息苦しいです。もとより私はアウトドア派ですし、家にいると色々と考え込んでしまって、毎日が恐ろしく長く感じます。

バイトを始めようにもベトナムで住民登録をしていないので難しくて、今やっていることといえば、近所の子の家庭教師くらいです。

オランダに戻りたいとは思いません。ですが、家族と離れて一人暮らしをしたいという思いは日に日に強くなっていますし、やっぱり大学には行きたいです。明確な将来像は描けていませんが、勉強は好きですし、やりたいことはありますし。

そんなわけで今は、オランダでもベトナムでも日本でもない、別の国の大学を検討しています。出願のためにIELTSを受験して、見事バンド8.00を頂けて順調……かと思いきや、私の卒業したインターナショナルスクールが、その大学に認可されていなくて難航していますが。

今はまだ何もはっきりと決まっていなくて、霧の中を迷走しているような気分ですが、もう少しこれからの目処が立ってきたら、また報告できたらな〜と思っています。

ちなみに、ベトナムにはメロンパン様がいらっしゃって、幸甚の至りであります

……次回は今回ほど更新が遅くならないよう、善処します。それでは。

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