ギターというもの。
最
近の若者は、ギターソロやイントロをスキップするらしい。
どうやら、subscriptionの影響らしい。・・・といってもまぁ、地球に魂をひかれたオールドタイプのあたしには理解が追いつかないのだけれども。
イントロが長いとダルい、ギターソロはテンションさがる、ってすごい発想だなぁと思ったけど、それも含めて曲の一部だと思うんだけど、歌だけ聴ければいいということなのかな?なんかどちらの記事も、Twitterもごちゃごちゃ書いてあるからそれはそれとして。
個人的に、ちょっと何言ってるかわからないかな。いやね、別に飛ばそうといいと思うだけどさ、学校の校歌ですら、イントロはあるわけで・・・君が代だってイントロはあるし。全部が全部、歌詞から入る曲だったら逆につまんないと思う。
もともと吹奏楽を学生時代から一般バンドで少しやってたあたしとしては、音楽自体の捉え方が違いすぎて別世界の出来事のようだと感じた。
同時に寂しいなぁと思った。だって、なんでそんなに急がなきゃいけないんだろう。それこそ、カセットテープからCD、CDからMD,MDから配信・・そう変わってきて、あたりまえ、だったことがあたりまえでなくなっていく、そういうのって当然なんだろうけれど、物事のとらえかたまで変わってしまうのはとっても残念だなぁと思った。あたしはかれこれン十年、奥田民生のファンだけれど、民生がギターソロやらなくなったら、ライブ行かないと思う。
「手紙」なんて、もう、イントロからギターソロまでガッツリ聴きたい曲だ。
でも、民生の曲の中には、イントロが短いものも多い。
それでも、ギターソロは短いながら入っている。そりゃそうだ、ギター侍だしね。
「さすらい」この曲は本当に、明るくてパワーを貰える曲。
イントロはほぼなくて、シンプルな構造。だけど、1分48秒くらいからの間奏のギターソロがなければ、この曲の良さは語れないと思う。
曲ってはしょることももちろんできるけど、まるっと完成形としてとらえると、どれも外せないと思うのよね。だから、すごく不思議。そんなに急がなくてもいいし、そもそもダルいって思う、テンションさがる、なんて思うのはそのアーティスト自体好きないんじゃないかなーって思う。まぁ、あたしがこういうギターが全面に出てくるアーティストが好きっていうのもあるとは思うけど。音楽の楽しみ方はそれぞれだとは思うけど、驚いたし、不思議だなぁと思った。
あたしにとって奥田民生とは、やっぱり永遠のヒーローなのです。
ここ最近仕事で疲れ果ててしまい、どうにもストレスが発散できなかった。
そんな時は自然と民生の声が聞きたくなる。それはギターの音、曲の雰囲気、世界観、もちろん、独特の歌声。すべてが好きなのです。心が少しずつ軽くなる。
でも、他のアーティストでもギターソロだけ飛ばしたことは無い。
やっぱりだからすごく不思議ではある。
そ
ういえば、最近は、映画の字幕を読めない若者が増えてるって聴いたことがある。漢字が読めないとかで、吹き替えが人気なんだとか・・・。
それもびっくりしたことだった。若い人がどーのっていうより、漢字?!ってとこに驚いた。これも、ディジタルネイティブならではなのかしら・・・。最近手書きすると本当に漢字を書けなくなっていてゾッとするけど。
英語英語っていうけど、日本語力も大切だと思う今日この頃です。漢字検定でも受けようかな。
英語をずっと勉強しているけど、その間にやっぱり国語も知識ふやさなければと思った。