どうでもいい話(2022年 7月分)
ガススタ物語②
私が働いていたガススタは、時給 プラス 歩合制。
洗車やガソリン添加剤などの 給油とは別の商品 を売り上ると、僅かに お給金がアップするのだ。
お客様の需要運も有るけど、接客トークが上手いと、ついつい買っちゃったりしますよね。
添加剤はお安いので十円位だったかな。
やっぱり花形は、洗車 に オイル交換。それでも ガ○ガ○君 一本位だったけど…
一日5件も取れたら お昼ご飯がリッチになる。
給油ノズルをガスッと突っ込んだら 運転席に回り、胸ポケットに仕込んだラミネートの洗車表をパッと差し出す。
「お待ちの間に、洗車はいかがですか♪」
お車が綺麗な時は「無料で点検します♪」
接客自体は苦手なんだが、この お声掛け、ちょっぴりアトラクションの案内員になった気分がして、結構 楽しかった。
停まってる車って、なんだかゴーカートみたいじゃないですか。
請け負う作業も、好きなやつ ばっかですしね。
サービスのタイヤ空気入れも楽しかったなあ。
持ち運べるタンクの付いた空気入れは、通常 据え置きの装置にセットして 空気を補填しておくのだが、繁忙期は それを持って一日中スタンド内を走り回っていた。
空気入れ は 友達。
色んな車種のエンジンルームも見たい。
内装も見たい。
車体を拭き上げたい。
とにかく、欲が深い職場だった。
好きな作業ばかりのガススタではあったんだが…いかんせん、屋外。
冬場の特に日暮れてからは、制服の防寒コートを着ていても凍える。
動いていたいのに、そういう時に限って閑古鳥が鳴いてんだ。
手隙の間は、窓ガラス拭き用の雑巾を絞って畳む。
バケツの中に たぷたぷ 浮かんだ雑巾。氷水ですよ。
ひいいん、手に感覚がないい(泣)
赤く かじかむ両手を擦りながら、それでも頑張るには訳が有る。
拭き上げに使う雑巾は、水色の濡れ拭き と ピンク色の乾拭き。
敷地内の洗濯機で洗われたピンク色の雑巾は、乾燥機にかけられる。
ほっかほか に湯気立つピンク色の雑巾を ドサッと山にして、
ボスッ と両腕を肘まで突っ込むんだ。
あったか~あいぃ✨
飴と鞭、いや、天国と地獄か?
あの あたたか~いピンク色の雑巾、好きだったなあ…
仕事にも慣れてきた ある日、ベテランスタッフの一人が
「車を買わないか?」
と、持ち掛けてきた。
車を買い換えるので 不要になる、との事。
「そこそこ年季も入ってるし、キッカリ十万円で良いよ」
「買います」
即答した。
その後、一応 外装内装 見せてもらった。
確かに古くはあったけど、走行距離も7万km位だし、アクセサリのステレオアンプも付けてくれる、と言う。
ええー、お買い得なんじゃない✨?
初のマイカーへの道である。
個人間の やり取りなので、自動車の名義変更などの登録関係は、当然 自分達でやらねばならない。
ベテランスタッフが新規の登録ついでに、名義変更の書類を陸運支局に持って行ってくれるという。
書類類は自分で用意せねばならない。
はて?名義変更って、なんぞや?
実家は車無し。親も免許無し。
唯一 車持ちの姉も地方へお嫁に行ってしまったし、第一 ディーラーで購入しているから分かんないと思う。
とりあえず、学校でM先生に聞いてみた。
「ディーラーなら、そういった書類一式 揃ってるから、お願いすれば多分 譲ってくれるよ」
これは良い事を聞いた。
早速、学校帰りに足を伸ばし、実家に一番近いディーラーに入ってみた。
M先生が昔働いていた系列店だ。いや、なんかあったら先生に出てきてもらおうって、こすい考えが…
金髪ツナギの若造に目を白黒されたが、受付カウンターで 事情を話すと、快く書類を用意してくれた上に お菓子とジュースも出してくれた。
なんて良い店✨
自動車の登録には、駐車場が必要だ。
そんなの、頭に無かった。駐車場なんか無い。
実家の管理事務所で駐車場の空きを聞いてみたけれど、残念な事に全部 埋まっていた。
これは、大変だ。
流石に母親に相談した。
母親が仕事帰り際に見かける駐車場が在るから、そこを確認してきてくれる事になった。
運良く空きが有り、そこを契約してきた母親から書類を受け取った。
「はい、車庫証明」
ご存知だろうか、“車庫証明”と言われる書類認識には 二種類ある事を…
あと 印鑑登録証も入用だったな。
近所のハンコ屋さんで、立派なやつを彫ってもらったっけ。
一生物だし、と思い…
これ、失敗だった。
実は地域の成人祝いに実印無料作成が有った。先に知ってれば、あんな高いの作んなかったのに。
現在は ただの記念品として保管されてる、悲しい当時の実印君…
揃えた書類をベテランスタッフに渡して、確認してもらった。
「車庫証明が無いよ」
「え?コレが車庫証明です」
「これ、車庫証明じゃないよ」
何だと!?
私自身、車庫証明がどういうものか知らない。母親から託されたのは、契約した不動産屋さんの、駐車場所に印のされた 間取り図のような書類。
車庫証明が違う、という事しか分からなかった。
ディーラーに尋ねたり、管理事務所に聞いてみたり、母親も不動産屋さんに聞いてくれたけど、皆、この間取り図の書類が 車庫証明 だと言う。
混乱を極めつつ、再びM先生に尋ねた。
「車庫証明って、警察署で発行してもらうんだよ」
あ、そうなんだ。
母親に話すと、仕事の外回りついでに警察署に行ってくれると言う。
良かった良かった、一件落着…
では無い。
母親が契約した駐車場、なんと認定される家からの距離、範囲外だった。
車庫証明が取れなかったんだ。
この時の事 今だに母親にネチネチ言われるのだが、結局 全部やったの私だからね。
納車か自賠責か税金系か忘れてしまったが、ベテランスタッフからは「月末までに引き渡したい」と言われていた。
余裕があったはずの期間も、紆余曲折で残り一週間。
正直、母親はアテにならない。
──自分でやるしかない。
最悪間に合わなくても、自分でやってんなら 他人の所為にはせんで済む。
一箇所、実家から ほど近い高架下に 駐車場が在ったのを思い出し、ロードマップを開いた。
定規で測って距離を計算したら、外れの辺りは範囲外だったが、手前側なら大丈夫そうだった。
致し方無く、学校は休んだ。
まあ、自動車関係だし自主校外学習だ。
早速、バイクで駐車場を見に行くと、「駐車場空きあり」の のぼりが出ていた。
ラッキー!!
駐車場入口まで進んで、管理会社の看板横に乗り付け、ヘルメットを外し バイクに またがったまま、携帯を開く。
「○○の駐車場、まだ空いてますか!?」
「空いてますよ」
「北側ですか!?」
実家側の空きか確認し、そのままバイクを走らせた。
管理会社を訪れ、取り急ぎ事情を説明した。
念の為、担当の方にも実家から駐車場所までの距離を計算してもらうと、ギリ範囲圏だった。
即 契約を済ませ、書類類を受け取る。
「契約書と車庫証明です」
やはり、ここでも間取り図が車庫証明という認識であった。
世間話がてら、違う旨をお伝えした。
この間取り図のような駐車場所に印の付いた書面は「車庫証明を申請するのに必要な、添付書類」であって、車庫証明本体では無い。
基本、ディーラーでは登録手続き全て代行してくれる。購入者が用意するのは書類だけ。
当然、車庫証明の手続きもやってくれるので、駐車場の明示された用紙を出すのみ。
恐らくだが、間取り図は色んな説明が省略されて「車庫証明」として言われるようになり、引き継ぎ引き継ぎで意味合いだけ抜けてしまい、皆、車庫証明だと認識するようになったんだろう(遠い目)
ともあれ、契約書と間取り図を握り、その足で警察署へ行き車庫証明の申請を行った。
交付までは数日待ち。
その頃にはベテランスタッフ側の新車登録は済んでおり、かつ 月末までシフトが入っていた。
陸運支局も自分で行くしか無い…
再び、学校は休んだ。
ベテランスタッフに代わりに委任状を書いてもらい、車庫証明を警察署で受け取って、そのまま陸運支局までバイクを走らせた。
マイカーへの情熱だな。
なんやかんや陸運の窓口で不足の書類を書いたり、書き間違いを訂正したりと、かなり書類関係の勉強になった一件だった。
「ナンバーはどうします?」
え?なんの事?
ナンバープレートの四桁を、好きな数字で作ってくれるらしい。
急に好きな四桁と言われても、暗証番号しか思い付かない阿呆脳。
流石になあ…と思い「なんでもいいです」て答えちゃったんだが、なんかあっただろうに 2222だとか…ねぇ。
その時の適当なナンバー4桁、今だに覚えてんだから 初マイカーの力って凄い。
ナンバープレートが作成され届くまでの間、公道を走る為に 仮ナンバーも 役場に借りに行ったっけな。
任意保険も姉づてに加入して 無事、期日の三日前には全て片付いた。
心躍る車引渡しの日。
仕事終わりの夜、ベテランスタッフの新車に同乗させてもらい、仮停めしてある駐車場まで案内してもらった。
──ヤバ、知らない道入った!
途中、ひょいっと左折した大通りは、今まで通った時が無かった。
帰りは自分で運転しなければならない。
道を覚えるのに必死で 道すがら お喋りなんか出来ず、むっつり黙り込んでいた気がする。
無愛想だったろうな…スンマセン。
真っ暗な広い駐車場の一番奥に停車されていた、古いスポーツセダン。
キーの引き渡しをして、ベテランスタッフの新車を見送った。
運転席に乗り込み、真っ暗な車内で手探りでエンジンキーを差し込み、次に探したのは ルームランプだ。
スイッチの場所だとか結構分からないもんでね。
明るくなった車内でハッとした。
うわッ!AT(オートマ)車だ!
シフトレバーは、一直線の溝から生えるゴルフクラブのような大きなフォルム。
私の免許はAT車も運転出来るMT(マニュアル)免許。
もちろん、教習間はMT車を運転していた。
ヤバヤバ!確認して無かった!
AT車は高速教習で2回運転した程度。
焦った。マジで焦った。
シフトレバー溝の表示は PやらDやらNやら、ちんぷんかんぷん。
Nは多分 ニュートラルで…
そんなところから。
車好きでも 英語力1な、私。
Pは パーキング・Rは リバース・Dが ドライブ、だなんて結び付かない。
そおっとアクセルを踏んで、一番上から試してみる他なかった。
深夜に騒音立てて スンマセン…
どうにか発進できたものの、慣れない車で初心者が夜間走行。
捕まったり事故ったり無くて良かった…
ルームランプ点きっぱだったり、サイドブレーキ引きっぱだったり、無灯火だったり、色々ごにょごにょ…はい!スンマセンっした(礼)!
契約した月極駐車場に たどり着いた頃には、もの凄く精神を すり減らしていたのを覚えている。
とぼとぼ と実家まで歩く間、明るい時に運転練習しよう…と思った。
──後日談
登下校で運転慣れしてきた私と、車を譲ってくれたベテランスタッフと世間話。
「車の調子、どう?」
「元気ッスよ♪」
「ブレーキ、効いてる?」
ん?と 思った。
「大丈夫ッスよ?」
うっすらサイドブレーキ引きっぱで走行しちゃったのを思い出したが、その話は職場でしてはいない。
店長とも「車の調子どう?」な話になった。
店長にも「ブレーキ効いてる?」と聞かれた。
ほんの僅かにだが、二人とも同じ内容の会話に、引っ掛かりを おぼえた。
ともあれ、色々と勉強になりはしたが、自分で全部やってみて思う。
次、車乗り換える時は、ディーラーで買おう。
③に続く──
ガススタ物語③
師走に入ると ガススタは繁忙期を迎える。
クリスマスや新年に向け、愛車をピカピカにしたいのは 誰しも思うところである。
ついでにメンテやオイル交換、タイヤの履き替えなんかも ちらほら舞い込んでくる。
当然、店長や整備に長けたベテランスタッフ達は 整備場から出られない。
ペーペーの新米スタッフだけで給油を回すことも増え、結構てんやわんやだ。
お客様絡みの一件は、やめておこうかな…
多忙極まる年末の事。
その日は なんとなく、バスに乗りたい気分でバス通勤。
店長から仕事を命じられた。
「釣り銭、両替してきて」
私、両替行った時 無い。
思いはしたが、他に手の空いているスタッフは居ない。
銀行の年末営業、最終日。
この日に お札を細かくしておかないと、正月三が日 乗り切れない。
行くしか…
と思ったんだが、駅前まで出る足が無い。
仕方ない、バスで行くかな。
時間は2時、結構 銀行閉まるまでギリである。
「俺の原付、使って良いよ」
店長が出勤に使っている、50ccの一般的な原付(スクーター)を貸してくれるという。
私、原付苦手…
普段乗り回している 私の愛車は、厳密に言えば125ccの原付分類だが、僅かに軽い程度で普通のバイクと大差ない。
スクーターはクラッチ無し、アクセルを回すだけで発進する。
加えて車体が超軽い。
車に例えれば、MT(マニュアル)車 と AT(オートマ)車。
AT自体に慣れてない上に、スクーターは数える程しか運転した時ない。
弱ったな…バイクで来れば良かった…
思ったところで後の祭り。
万券の入った釣り銭袋を受け取り、店長のメットを被り 原付を押して車道に向かう。
「では、行ってきます」
駅前に出るためには、ガススタから右方向に進まねばいかんのだが、目前の道路は中央分離帯の在る 四車線。
左方向に直進して、交差点でUターンせねばならない。
ウインカーを出し、恐る恐るアクセルを回す。
普段バイク慣れしていると、スクーターは自転車位に軽く感じて怖い。
ブ…ブブーン…
右折のため、右車線に出た。
50m程進行して 右ウインカーを出し、交差点で信号待ち。
あ、良かった。思ったより大丈夫そうだ。
安心したのが、いけなかった。
信号が青になり、対向車をやり過ごし中央分離帯をUターンする。
焦りからか この時、私は自分のバイク感覚であった。
ギアがローな感覚。
完全に、アクセルを回し過ぎた。
うわああッ!?
勢いよく発進した原付。
大きく弧を描き、歩道の縁石に電柱が迫る。
なんかね、電柱って吸い寄せられるんですよね。不思議と。
ぶつかるッ!!!訳には いかんッ!!!
意地で原付の車体をバンク(倒)させ、電柱を回避することに成功した。
助かっ…
てなかった。
バンクから車体を立て直すのに失敗した。
ズザザザーッと、盛大にコケたんだ。
Uターンした反対車線。
ちょうど、職場のガススタの目の前であった。
──やっちまったああぁー!!!
慌てて起き上がり、倒れた原付を引き起こして 路肩に移動した。
「だ、大丈夫かー!!?」
…だいじょばない。
店長の原付が大丈ばない。
私は無傷だ。
だが、原付のマフラーには傷が入り ミラーは割れ、カバーには大きな亀裂が複数入っている。
どどど、どうしよう!!?
駆け寄って来たスタッフにも「あちゃー(汗)」という顔をされた。
人様の、よりによって店長の原付で すっ転んだんだ。
一体どんだけ叱られんだ!
強面の店長の罵声だなんて、考えただけでも恐ろしい。
スタンドを見遣れば、接客中の店長に他スタッフが、チラチラこちらを うかがっている。
めっちゃ恥ずかしい!!!
テンパる私の手に、何かが握らされせた。
「うん。とりあえず時間無いから、俺の車で両替行って」
持たされたのは、ベテランスタッフの新車のエンジンキー。
それはそれで恐いんですけど!!!
私、ガチガチの初心者ですよ。
人様の お車運転するだなんて、恐ろし過ぎる。
店長の原付で すっ転んだばっかしなんすよ。
辞退したいのは山々だったが、差し迫る営業時間に、四の五の言ってる暇などない。
店長の原付をスタッフに託し、私は人様の新車に乗り込んだ。
またATだし(泣)!!
もの凄~く 慎重~に運転して、どうにか駅前まで出てこれた。
いくつか在る銀行は、どこも長蛇の列が建物の外まで続いている。
これ、並んでる間に営業時間来ちゃったらシャットアウトされないかな…
心配だったので最後尾で列整理をしている銀行員さんに尋ねた。
その銀行では 時間内に並んでいれば、営業時間過ぎても対応してくれるとの事。
良かったー…
両替機は使った時ないので、窓口の列に並んだ。
外に出ていた列は ほんの一部。窓口の前にはテーマパークを思う、蛇行した人の列。
これ、時間掛かるなあ…
店長になんて詫び入れよう…
なんて考え考え、一歩ずつ進む行列に続いた。
どれくらい並んでただろう。
「○○!居た居た!」
不意に名前を呼ばれ振り返ると、そこには整備スタッフの姿。
──え、なんで??
「帰って来ないから 探してたんだよ。なんだ、ずっと並んでたの?ATMの方が早いのに…」
この銀行のATMは両替対応機だったらしい。
そういうの、知らんし。
「両替 俺がやるから、とりあえずスタンド戻りな」
残り4~5人ではあったが、整備スタッフに お札の入った両替袋を託し、職場に引き返すことになった。
なんで探しに来たんだろう??
──まさか、釣り銭 持ち逃げされたと思われた!?
帰り道、忙しい最中であろうスタンドから、人員を割いてまでペーペーの新米スタッフを探す理由を考えた。
当時の私に「事故ってないか心配された」なんてプラスな思考は無い。
持ち逃げ犯と疑われた、という悶々とした思いのまま、スタンドに帰った。
そんな悪行、微塵も考えなかったのに…
「大変、申し訳ございませんでした!」
今だ盛況しているスタンドで、店長の姿を視認するや開口一番、謝罪した。
「うん。とりあえず、話は後でしようか」
「はい!」
直ぐさに車道に列する お車の誘導に回った。
そのまま、給油に洗車に自分の職務に従事して、気付けば空は真っ暗になっていた。
閉店作業中、店長に呼び出された。怖々バックヤードのテーブルに着く。
「大変、申し訳ございませんでした!修理代、弁償します!」
ガチガチで再び謝罪する私に、店長はひょうひょうと
「体で払ってもらおうかな」
なんて、場を和ませるためセクハラ紛いの冗談を言ったりしたものだけど、
そんな安いもんで済むのなら、今すぐ体で払って解決したい。
と 思ってたのは、内緒だ。
④に続く──
最近ハマっている事
それは 物語を創る事でもなく、絵を描く事でもなく、パソコンに文字入力するでもなく…
脱毛、である。
もちろん、セルフだ。
誰に見せるって 医者にしか診せんのだが、新春に プチプラの おもちゃみたいな IPL脱毛器を買って、ポチポチポチポチ。
ムダ毛が随分と薄くなった。
これ抜いたらもう生えないんじゃね?て くらい、薄くなったもんで、毛抜きで ちまちま抜いてるんだが…
ふた月ぐらい経つのに、根絶出来ん…むむぅ…
毛抜きだと どうにも深追いしちゃって血が出ちゃったり。よろしくないな。
何で こんな無駄な事 頑張ってるかって言うと、恥ずかしいのだよ。
詳しくは追い追い語るだろうが、直近では 三度目のぎっくり腰で救急搬送から入院、て事態が起きている。
ぎっくり腰ってねえ、動けないのだよ 自分では。
当然、下の お世話やら入浴介助やらで、看護師さんやヘルパーさんの お手を煩わせる。
自堕落な生活してるもんで、見せる人間居ないと、ねえ…
職業柄 見慣れてるとは思うんだが、自分が嫌だ。ボーボーなの、見せたくない。
なので、動けてる今のうちに 片付けてしまいたいのだよ。
今頑張れば、半永久的に心配せんで良い。久々 光 当てようかな。
十円ハゲは治したい、ムダ毛は消したい。
毛を生やしたいのか、失くししたいのか、分からんw
ハグ魔
私の父親は、小柄で太っちょ瓶底メガネ。
「お豚だよ、ぶひ ぶひ」
とかいう意味不なメールを しょっちゅう寄越す、おちゃめな人だ。
自他問わず 子供が大好きで、小さい頃はサーカスみたいに ぶんぶん回して遊んでくれた。
離れてからも、実家に居た頃は ちょいちょいで会いに行ってた。
会えば必ず一番最初にハグをする。
「わー、父ちゃーん!」
ぼよ~んっと跳ね返る、大きなビールっ腹が大好きだった。
年々 私の背が伸びて、気付けば父親を見下ろすようになっていたけど、それでも必ずハグをした。
駅前コンコース、周りの通行人の多さなんか 気にしない。
「わー、父ちゃーん」
父親の大きく開かれた両腕に、ぎうっと抱きつくのが大好きだった。
ぶっちゃけ、ファザコンだ。
仕方ない、私は父親に対して反抗期が無かった上に、初めて好きになった人が 父親なんだから…
おかしいな、視界がゆがんできた。
私の近眼も、誰彼構わずハグしたくなるのも、父親からの贈り物だ。
いや、誰彼は語弊があるか。変質者だな…
ええと…なんて言うんだ??
いっか、もう誰彼で。
だってハグって幸せじゃない。
言葉を交わさなくても 抱き返してもらうと、その人の気持ちが全身に伝わってきて、あったかくて、心地好いじゃない。
父ちゃん、大好き。ハグっ。
たまには 線香上げるかな。
ガススタ物語④
結構ちょいちょい凡ミスを犯していた、ガススタ時代。
特に多かったのが、クレカ払いの署名忘れ…
実際は署名してもらうのを忘れたのではなく、署名された伝票を お客様にお渡ししていたんだが、控えに署名が無いんだから 同じことだ。
クレカ払いの仕組みを理解出来ていなかった。
これ、結構大変な作業だと思い知るのは、数年後。
末端中間管理職の現役時代の話だ。
いや、マジで大変なんよ、コレ…度重なると、特に。
叱られては同じミスの繰り返し。私は どうも作業の上辺だけを教わっても、覚えられない困った脳だ。
「何故その作業が必要か」まで理解していないと駄目なんだ。
加えて年末の失態に、頭が上がらない。
何度か「弁償します」「修理代おいくらでしたか」と、店長に申し出たものの、その度はぐらかされて 結局なんにも詫びれてない。
マジで体で払ってスッキリしたい…
と 日々悶々としてたのは、内緒だ。
メンタル来ちゃって、楽しかった仕事が楽しくない。
元々 体力も無い、私。
学校とバイトで休日無く動き詰め。
学校を遅刻したり休みがちになっていた。
──このままでは、二の舞になってしまう。
一つ目の高校の終盤に近い気がした。
それでは駄目だ。
私は “何のために” 再び高校生活を始めたんだ。
学生の本分は学業だ。
バイトじゃない。
一度スパッと辞めて、春休みじっくり休もう。
次は接客じゃない仕事しよう。
そう思った。
「店長、話があるんですが」
梅の花開く季節、店長とバックヤードに同行した。
「学校通うのもキツイので、バイト辞めます」
自分の原付で すっ転ばれても怒らなかった店長が、ここで初めて怒った。
「他の奴らを見ろ、学校通って二つ三つバイト掛け持ってる奴だって居るんだぞ!
恥ずかしくないのか!」
私の為を思っての お叱りであったが、私は私で いっぱいいっぱいなんだ。
「何 甘いことぬかしてんだ!父親は そんな事も教えてくれないのか!」
…何で、父親が出てきたんだ??
思いしな、
「父親なんか居ません!!!」
叫んでいた。
自分で吐いた言葉が刃になって、自分に返ってきた。
ボロッと、大粒の涙が零れた。
「…父親なんか、居ません!」
理不尽に父親を侮辱された悔しさも相成り、声を上げて号泣してしまった。
突然の涙に驚いた店長は、私の身の上を聞いてくれた。
自販で あたたかい お飲み物を買ってきてくれて、ドカッと対面に構えて座って、じっくり私の話を聞いてくれた。
私は 缶を両手で握り、尚も止まらぬ涙を袖口で拭い 嗚咽しながら、ほとほとと まるで亡き者の想い出を語るように話たものだけど…
その頃 父は存命である。
ごめんね、父ちゃん。テヘ。
仕事にならないだろう、と早引けさせてくれた、翌日。
家を出る足が、もんの凄うく重い。
だって昨日あんな醜態さらしたんだよ?どんな面して出勤しろって言うの?超恥ずかしいんだけど!!
当時は まだ、羞恥心とか残ってたんですよ…
出勤してみれば なんのことはない。
知ってか知らずか皆普通だ。
店長がバックヤードで個別ミーティングを行っていた。
私は今月いっぱいで辞める事決まってるし、関係ないかな。
なんて思ってたけど、お呼びが掛かった。
なんだろう?
昨日と同じに 難しい顔をしている店長の対面に座る。
「実は、大事な話があります」
店長はパッと顔を上げ、ヘラッと笑った。
「店長、クビになりました!」
──はい???
昨日の今日で何の冗談かと思った。エイプリルフールにはまだ早いのに。
「俺も今日 聞かされたから驚いちゃってさ」
どうも嘘ではないらしい。
一体全体、何でクビ切りに…
話を聞けば、ガススタが撤退して別の業態に変わる、との事。
笑い事じゃない。
「希望するスタッフは続けて新しいところが雇ってくれるんだけど、どうする?」
「いや…私も店長と一緒に辞めますよ…」
「だよね!」
撤退に合わせて少しバイト期間延長したけれど、こうして、私の短いガススタ生活は終幕を迎えた。
ほんの僅かな運命の悪戯に翻弄された 私の涙、返して。
このバイトでは、元気なお客様への声掛けや、クレカ払いに 夜間金庫etc…後の社会人生活に欠かせない大事な仕事を沢山学べた。
今となっては、よき思い出…
いや、店長にとっては原付ですっ転ばれた 上に 泣かれるわ 職を失うわ、踏んだり蹴ったりだったでしょうけど(涙)
ありがとうございました!
母親は、アレ⑤
これねえ、ずうっと喋りたかったんスよね。ただね、タイミングが難しくて…
ちょっぴり父親の話をしたから、うんぬん は置いといて 概要だけ、かいつまもうと思う。
父親が他界したのは数年前。
訃報は母親からの電話だった。
遠方で身元不明で発見され、姉が先に向かったと言う。
一度電話を置いて考えた。
新幹線で5~6時間。
そんな長旅、出来る体力ではなかった。
第一お恥ずかしい話、新幹線代に宿泊費、先立つものが無い。
それでも、骨だけは拾ってあげたいと思っていたから、母親に旅費を相談した。
快諾してくれた母親。
何故か「一緒に行く」と言い出した。
──ん??
既に再婚している母親。
新しい旦那さんが居るのに、なんで?と思いはしたが、旅費を肩代わりしてくれる限り文句は言えない。
長い長い新幹線の車中、横に並んだ母親が、何やら封筒から書面を出した。
母親が個人で契約した、ロッカー墓地の案内だった。
以前、私も加入を勧められ、物凄く丁寧にお断りして「私の骨は海に撒いてくれ」と、お願いした経緯の墓地だった。
「父ちゃん、ここに入れようと思って」
──はい??
なんか、おかしなこと言い出した。
おかしいですよね?
離婚した元旦那と同じ墓に入るって…おかしくないのかな、一般常識が分からない。
私自身、墓を用意出来ないから この申し出を断る術もなく、モヤモヤとしたまま 喫煙ルームに何度も足を運んだ。
助かることに、後日駆けつけてくれた叔母夫婦が、父方の祖父祖母の お墓を管理してくれていた。
叔母は嫁いだ先の お墓があるから、正直 どうしようと思ってた矢先だったらしい。
──天の助け!!
私は止まらぬ涙を降りしきり、
「父ちゃんだって、お父さんと お母さんと一緒に居たいはずだ!」
と、懇願した。
こうして、父親は父方の お墓に無事、納まることが出来た訳なんだが…
なんか、ね…アレなんウチの母親。
もし、私が母親より先に死んで何か言い出したら「海に撒いてくれ」と、誰か伝えて下さい(礼)
線維筋痛症と私⑦
国立病院で再び、問診 検査に触診 “線維筋痛症アンケート” なるものを書いた。
専門医が居るとは 今までの病院とは一味違う印象を受けた。
当時の診断は、痛みの度合いや 自力で行える日常生活の状況なんかを印していき、圧痛点と呼ばれる体の各所を押され 幾つ在るかで下される。
先生が親指で押し込みだ 当時の私の痛みの箇所は、10ヶ所。
現行では理解度が進み圧痛点に頼らない診断が下りるらしいが、当時“線維筋痛症”と確定診断されるには、圧痛点が 1ヶ所 足らなかった。
結果、先生に告げられる。
“線維筋痛症に準ずる症状”
これまた随分と薄らぼやんとした病名(?)だな…
それでも 全く病名に触れなかった痛みに、病名っぽいものが付いたのは、私には大きかった。
何故なら 原因不明の病名不明のままでは、ビタミン剤しか処方されないからだ。
この病気に市販の痛み止めなんか効きはしない。
アイスピックでグサグサ刺される様な痛みを“耐える”以外に、手段が無いのだ。
線維筋痛症に有効な痛み止めとして、プレガバリン(リリカ)を始め数種類の薬が処方された。
プレガバリンは、帯状疱疹の疼痛を止めるような、強い作用の薬だ。
副作用も強いらしく、最初に処方されたのは、ほんの僅かに 25mg。
痛みを止める程ではないかもしれないが、体を薬に慣らすための練習量だ。
今でこそ20倍飲んだところで全くなんにも弊害は起きんのだが、飲薬関係に割と強い私でも、当初は副作用が現れた。
ほぼ残っていた有給を使わせてもらい、フルタイムから7時間拘束に時短して貰っていた、当時の職場。
薬を飲み出勤した直後、猛烈な吐き気に襲われる。
我慢出来るレベルではなかった。
出勤間もなくトイレダッシュして、小一時間後に再びダッシュして、とにかく便器と お友達であった。
流石に仕事にならん。
加えて嘔吐の衝撃で、痛みが増悪する始末。
弱ったな…
こればかりは、薬に慣れるまで致し方ない。
だが、僅かでも吐き気を抑える努力をせねば、自分の体力が持たない。
他のお薬にも共通する注意事項に「空腹時の飲用は避けて」と有る。
私は朝食を摂る習慣が失せていた。
自身の習慣を見直す必要が出てきた。
とはいえ、長く失せた習慣はなかなか戻らないし、朝食のために早起きできるはずもなく。
なんでも良い、とりあえず お腹に何か入れないと…
かなり悩んだ。
おにぎり や パンは職場で食べるのには目立つし、何より朝からガッツリ食べる気しないし…
通勤で歩きながら、軽くお腹に入れられるものが良い。
そんな折、コンビニで出会ったのが、当時 種類が増え始めていた“大豆バー”。
コレ、いいんじゃない?
試しに一本買い、翌朝歩きながら食べ薬を飲んだ。
吐き気はあるものの、嘔吐する程ではなくなった。
効果の強い西洋薬を飲むのに“空腹で無い”ことは重要だと思い知らされた。
週に一度通院しては プレガバリンの処方量や、他に効果があるらしいとされる薬が増え、次第に背中の痛みが和らぎ 仰向けでも眠れるようになったのには感動した。
しかし、痛みや疲労感が完全に消えるには至らない。
職場であまりの多忙さに 私を想って助言をくれた上司にブチ切れてしまったり、後が無かったというのに再三の失敗に五回目の始末書を書いた。
仕方ない。
全部、私が悪いのだ。
それでも、始末書を書くボールペンがレポート用紙に突き刺さり、
何度も何度も勝手に動く右手を抑えられず割れたボールペンをぶん投げて、落ちる涙に目を覆った。
即日アポ無しで来訪した上司に喫茶店に呼び出され「部長も居る」と聞いた瞬間、終わった…と思った。
私は、クビを宣告された。
表向きは“一身上の都合”としてくれたし、即日解雇ではなかったけれど。
きちんと腹積もりをして地盤を固めてから 当時の いざこざは語りまするが、ごめんなさい、今じゃない。
『線維筋痛症と私』を語るに、この経緯は どうしても外せないのだ。
住宅ローンに生活費、再就職までの繋ぎの収入が必須であった。
私はハローワークで失業保険の申請をした。
色々説明を経て、私の退職事由が“一身上の都合”である事がネックであった。
自己都合の理由での退職では、失業保険が支給されるまで三ヶ月待たねばならない。
そんなに待てない。
“解雇”であったなら 即月支払われたのだが、再就職するには解雇で無い方が良い。
私の為を想っての、上司の情状酌量なのだから。
私が即月失業保険を受給するのに、ひとつ手立てが有った。
“病気事由の退職”による、申請だ。
これも通れば即月、支給対象となる。
私はダメ元で理由を話し、申請用紙を主治医に託した。
主治医が目の前でペンを走らせ、病名欄に書いたのは “線維筋痛症”。
──あれ?
~に準ずる症状、が無い…
線維筋痛症の確定診断は、主治医の采配で“QOL”や“生活水準”も加味される。
職を失った事により、私は意図せず“線維筋痛症”患者になれたのだ。
余談だが、大豆バーには一時ハマった。
数種類買っといて百均のジッパー袋に並べ収め、毎朝「どれ食べよっかな?」と眺めるのが楽しかった。
⑧に続く──
セカンドハイスクールライフ⑨
学生らしいイベント事もあったが 後に まとめるとして、二年生に進級した。
ある日の授業風景。
理科の時間、教員が教壇に何やら箱を置いた。
「今日の授業は、観察」
嫌な予感しかしない。
理科観察の代名詞と言えば、ヤツだ。
ヤツしかいない。
確定でヤツだろ。
「みんな よく見て、スケッチしてね(♡)」
語尾に♡マークが付いていた様に聞こえ、ゾッとした。
理科教員はルンルンと、一席一席シャーレを置いては“何か”を投下していく。
私、見なくても ハチとか アリとか描けるし…!
見なくても!
コトン、と 私の机の ど真ん中にシャーレが置かれた。
私は咄嗟に片手でシャーレを机の隅に追いやった。
ポトッ…
ぎゃああああぁ!!!
シャーレに投下されたのは、ありんこ だなんて生ぬるいものではなかった。
うごめく筋の入った丸い塊。鎧に覆われた黒いアルマジロ。
だんごむし である。
多足類、無理!!!
描かせるなら足が6本のヤツにしてくれ。
蓋!シャーレの蓋!
蓋もされず置き去られかけた シャーレの縁を そっと指で摘み、スっと理科教員に差し返した。
要らない。
無言で首を振る私に、理科教員は不思議そうな顔をする。
「何で?カワイイのに」
カワイクナイ。
多足類は 脚のつくりだとか良く分からんが、机に置いときたくない。
しばらく無言で突き返し、何とか撤去してもらった。
大方、授業のために裏庭の植え込み辺りで、せっせと捕まえたんだろう。
クラスの人数分だんごむしを捕まえるとか、労力がパない。
それを踏まえると無下には出来んが、この人の場合、めっちゃ楽しそうに ひょいひょい捕まえてる姿が目に浮かぶ。
配布されたコピー用紙に、丸を描き 中央から らせんに線を引き、丸まっている だんごむしっぽいものを描いて 机に突っ伏した。
これで構わん。
「先生ー!こいつ、まるまんないよー?」
中には便所虫も紛れているようだ。
マジで勘弁して欲しい…
私は授業一時限 まるっと、狸寝入りを決め込んだ。
ようやく全ての机から だんごむし が撤去された、休み時間。
ホッと胸をなでおろし、椅子の背に掛けてあった くまさん毛布を膝に乗せた。
ふと、足元の床を“何か”が歩んでいる。
「──うおッ!!?」
思わず、声を上げた。
ゆっくり のんびり はっていたのは、取り残された だんごむしくん…
誰だ!逃がした奴!!
文句を言ってやろうと顔を上げ、戦慄した。
教室の床には、虫・虫・虫…
点々と闊歩する、おびただしい だんごむしたち。
ぎゃいやあああッ!!!!
もう床に足が着けられない。
あの箱、穴でも空いてたんだろうか…
うえーん、教室 嫌だあ(泣)
くまさん毛布を手に持って、床を凝視しながら つま先歩き、職員室に逃げ込んだ。
「次の授業、始まるよ?」
「授業始める前に、虫片付けろ。庭に返せ。生き物を何だと思ってんだ」
とりあえず 理科教員に文句を言って、私はソファーに横になった。
「えー…カワイイのに」
カワイクナイ。
その日は終日職員室で おサボりだ。
運痴な私だけど、この学校の体育の授業は 地味に好きだ。
“体育”とは、思ってなかったけど。
校庭なんか無いので 近くの大きな公園に、先生が運転するマイクロバスに揺られ一学年全員移動。
週一の ちょっとした遠足だ。
また雨の日が少なくてねえ。
陰ってる日もあったが、いい塩梅に お日様が
照ってて、お昼寝には絶好なのだ。
え?もちろん、運動なんか しませんよ。
公園の広場のベンチに陣取り、キャッチボールやサッカーをする学友を横目に、ぽかぽかの日差しの下 横になる。
最高だ。
気分は完全、休日 子守りを任された、お父さん。
うんうん、今日もみんな元気一杯だな。
なんて。
大きな池にスワンボートが浮かんでたっけな。
一度乗ってみたいと思ってて。
あれ?なんか乗った記憶があるな…誰と乗ったんだろう??
まあ、いっか。
売店も在って、しゃぼん玉や簡単な遊具なんかも売ってて。
私が一番ときめいたのは、アレだ。
組立式のプロペラ飛行機。
お父さん、アレ欲しい!
仕方ないなー、お母さんには内緒だぞ?
なんて、一人芝居はしてませんが。
早速買って、人気の少ない広場のベンチせっせと組み立てた。
50cm位の大きな羽の飛行機、幅広の輪ゴムを巻けば、なかなかな勢いでプロペラが回る。
おおお✨めっちゃ飛びそう!
立ち上がって腕を伸ばし、胴体を放した。
ぶううん…
思いのほか飛距離が長くて、小走りに追いかけた。
流石、割り箸で作る輪ゴム飛行機とは訳が違う!
楽しくなって、何度もプロペラを巻いては独り追いかけっこした。
「あ!○ちゃん、何それ!どうしたの!?」
独り大はしゃぎを学友に見つかってしまった。ちょっと恥ずかしい。
「公園の売店で売ってた」
と伝えたら、翌週にはプロペラ飛行機持った金髪の奴らが公園にひしめいて、かなり異様な光景になったっけな。
一度くらいは M先生とK君と、キャッチボールくらいはした気がする。
確か草野球やってたM先生の投球は、バシッと胸の中央に構えたグローブに吸い込まれてくる。
返す私の暴投を跳ねたり走ったりして、落とさないから凄いんだよなあ。
私は ほぼ その場から動いてないけど、M先生ばっかし動き回ってた。
父親と公園で遊ぶって、こんな感じなのかな。
擬似体験出来て嬉しかったのは、内緒だ。
駐車場でマイクロバスも運転させてもらった。えへへ♪
⑩に続く──
セカンドハイスクールライフ⑩
この話は高校が舞台ではなく、今は無き実家の 不思議な状態だった時の想い出。
これなー、姉に許可とっとらんからなー…
私が「何してても良い」て言われちゃいるけど、それとこれとは別問題だよな。
姉よ、悪いところあったら直すので、お気軽にお申し付け下さい(礼)
時期的にこの辺りだし、タイトル分けるほどでも無いし、ここに含めてしまおうと思う。
地方に嫁いだ姉、ご主人の仕事の都合で 実家のある地域まで、夫婦で帰ってくる事になった。
当時、母子二人 3LDKの実家は部屋が余っていた。
急遽帰省が決まったこともあり、姉夫婦は実家に仮住まいする運びだ。
実家は ふすまの和室が2部屋、鍵の掛かる洋室が1部屋。
私の部屋は唯一鍵の掛かる部屋であったが、夫婦のプライバシーを守るために、私の部屋を貸し出す事になった。
その話をされた時は、短期間であるし、基本的に絵を描いたり寝る時以外は部屋を使っていなかったので、特に異論は無かった。
家具移動をするほどでも無い。
私の机も本棚も、そのまんま。
私だけ、和室に拠点を移した。
地方で仕事に就いていた姉。引き継ぎが間に合わず、ご主人だけ先に 私の部屋に移住した。
母・子・義兄 の三人暮らしが始まった。
義兄の愛猫が 警戒心のやたらと強い子で、テレビ台の下に入りっぱなし。
また私の愛猫が お転婆だったものだから、追い立てるんだ。
可哀想に…ほとんど姿を見る事も無かったので、今の今まで忘れていた。
バイカーでもあった義兄。
私は車も有るしバイクを貸し出す事になった。
「少し いじっても良い?」
嫌だな。
と 思ったけれど、流石に言えるほどの仲でもない。
仕事が始まるまで、のんびり休暇を満喫してバイクを乗り回していた、義兄。
ある時、義兄が留守の隙に漫画本か何か取りに、自分の部屋に入った。
──何コレ。
本棚に置かれていたのは、10個は在るだろう、箱の空いたスパークプラグ。
こんなに替えて、何がしたいんだ…
数の多さに正直、引いた。
スパークプラグはエンジン周りで一番簡単に交換が利く。
市販されているプラグの種類も多く、プラグによってはエンジン効率が良くなったりするものなんだが…
替え過ぎ。
後日 乗ってみた私の感想。
なんだか、エンジンの調子が悪い気がする…
戻したかったんだが、どれが最初のか分からん始末。
姉はなかなか戻って来れず、不思議な三人暮しが続く。
絵を描きたいけど、義兄が居るから描きにくい。
その上 机の引き出しには、私の描いた漫画やらイラストやらが、そのまんま。
エロい絵とか見られてたら、どうしよう…
義兄は何も言わないけど、見たんなら「見た」とハッキリ言って欲しい(汗)
見られたからと言って 恥入りはせよ、別に怒り出したりしないから…
こういう 有るのか 無いのか ハッキリしない、あやふやな状態が 一番モヤッとするんだ。
事実確認して安心したいだけなんだ(泣)
不思議な三人暮しが続けば続くほど、私のプライバシーは どこいったんだ…と 思ってたのは、内緒だ。
義兄は よく食べる人であったから、飯炊き係である私も毎日大変であった。
仕事(?)で遅くなる母親を待たず、食卓を囲むのは大抵、私と義兄の二人。
寡黙な義兄との会話は あまり弾まない。
食事中は喋らない、そういう育ち方だったのかもしれない。
もそもそと食べ、うんともすんとも喋らない。
別に喋らんなら喋らんで、私はテレビを観てるから良いんだけども。
「美味い」とも「塩足らん」とも言わんから、お口に合っているのか いないのか、感想くらいはないと作り手側としては困る。非常に困る。
地方によって味付けって異なるじゃない。
北方で育った義兄には薄いんじゃないかなぁと思う。
念の為、食卓には毎回 醤油を出しといたっけな。
よく食べるものだから 炊く米量もだけれど、おかず量も おのずと増える。
今まで二人分しか作って無かったのに、五人前オーバーのファミリー量だ。
これねえ、料理する方なら分かるだろうけど、結構 大変な事なのだよ。
切り分ける食材量もだけど、一番は、
鍋が重い…
めっちゃ重いん。
炒める中華鍋が振りたいのに、持ち上がらんのだ。
皿に移すにも、鍋が持ち上がらんのだ。
自然と一度で済む大皿料理が増える。
両手で柄を掴んで「うおりゃあ!」て、よく気合い入れて持ち上げてたな。
料理人の方や、大家族の主婦の方々って、本当に凄い?
なるべく一品にならないよう、パックから出すだけの豆腐なんかは重宝したな。
ずしん と重さが両手に乗る、中華鍋一杯の酢豚を眺める。
──何で好きでもない男の為に料理作ってんだろう、私。
と 思ってたのは、姉には内緒だ。
ごめんね、姉ちゃん。てへ。
だって彼氏にも作った時 無い頃だもん。
不思議な三人暮しは三ヶ月、いや 半年位長期に感じていたけれど、実際は ひと月強 程度だ。
合流した姉とは食卓を囲んだ記憶が無いから、夫婦そろったところでアパートでも借りたかな。
喋りはしなかったけど、人が居るってだけで賑やかしい。
再び、独り飯を食うのは淋しく感じた。
⑪に続く──
セカンドハイスクールライフ⑪
二年生の実習は、板金・塗装。
私は一年のうちに自分のバイクでザックリは教わったものの、きちんと やっておきたい。
凹んだバイクのタンク修理、地味に納得いってなかったからだ。
初挑戦とはいえ、悲しい仕上がり…少し説明すると、思ってた発色でなかったんだ。
叩き出せる箇所でも無いので、円15cm・高さ5cm位かな。
パテという硬く固まる粘土のような補修材を 空気が入らないように盛り、仕上げに紙やすりで研磨して形を整える。
これは上手く出来た。
先生にも褒められたり。
こういう造形系は、得意。えっへん。
なんだが…問題は塗装だ。
白い下地材を吹き目の細かい紙やすりを、水に漬けながら水研ぎして、表面の凹凸を なめらかにしておく。
この処理を行うことで、つるん てろん とした 車やバイク独特の照りになる。
色見本帳から塗りたい色を選択し、記載されている配合量を正確に電子はかりで量り、数種類の塗料をカップに入れていく。
これがね…
お気づきの方もいるかもしれないが、私どうも強めの色に塗る癖が有る。
私は、カーマインレッド(渋めの紅色)のメタリック(キラキラ)を選択した。
赤い塗料に僅かに黒やら黄色やら混ぜ、最後にメタリック材を投入し、ヘラで かくはんする。
塗料は吹いて乾かさないと、仕上がりが分からない。
出来た塗料は僅かにピンクがかっていたが、いい感じにカーマインだった。
なので、そのまま下地材を塗ったバイクのタンクと、合わせてカバー類に吹き付けていった。
乾かしながら2~3回塗り重ね、最後にクリヤー(ニスのような保護材)を吹き、一晩置いて乾かした。
翌日ワクワクで実習場に下りた 私。
仕上がりを確認する為、塗料の乾いたタンクを太陽の下に持っていった。
バイクは屋外で乗るものだから。
oh…
太陽光で てろんと照ったタンクの色は…
海老茶。
海老茶になってしまったんだよ!
綺麗な濃紺が、海老茶色に!
黒だかメタリックだか何が多かったんだか分からんが、打ちひしがれた。
いや、海老茶色 自体は深みがあって良い色なんだけども。
今の年齢ならまだしも、十代だからねえ…
しかも、そんな色 使われてるバイクなんて見た時 無いし…
無くはない。無くはないんだけど。
赤が好きなんだよ。赤 というか“紅”。
りんごの様な深い紅。紅玉の紅とか理想だな。
充分渋いか。てへ。
こんなことなら妙な調色せんで、赤い塗料そのまま吹いてソリッドにすれば良かった…と 真夏の太陽の下、バイクに乗る度 思ってた。
持ち前の「ま、なんとかなるだろ」な 面倒臭がり精神 が災いし、工程をひとつ すっ飛ばしたんだ。
話は実習に戻る。
最初に習うのは「叩き出し」、板金側の作業だ。
飛び石なんかで車のボディーに ちょこっと出来た凹み、あれを再現する。
使うのは金槌。
自分で何ともない車に傷を付けるのは、物凄く気が引けた。実習車ではあるんだが。
「──えい!」
コツン、と 小さく くぼんだ車のドア。
必ず、綺麗にしてやるからな(涙)!
叩き出し とは、表を叩く。
私は教わるまで てっきり凸の裏側から叩くんだと思ってたが、違った。
凸側には流線型の金属の土台を押し当て、凹側の表面、傷を避け周囲を金槌で叩く。
金属を叩いて伸ばして凹みを埋めるイメージ。
誰が始めたんだか知らんが、金属の性質を踏まえた 凄い事 思いつくもんだな、と感心した。
叩き出しで浅くなった凹み。まだ若干 凹み感は有る。金槌の叩いた跡も残っている。
薄くパテを盛り、紙やすりで削って 滑らかに平らにする。
この作業、地味に得意。
削り出されたパテの粉塵は、鋭利な形状をしていて 肺に刺さるらしい。
工業用マスクを装着する。
…んだが、マスク慣れしてない
時代な上、夏場の実習場で汗を だらだら流しながらだから、マスクなんかやってられん。
後半は殆ど着けてなかったな。※マネしちゃダメですよ。
パテで整えた後、何度も触ってみたり横から見たりして仕上がりを確認し、滑らかだったら下地剤を吹く。
そして、塗料の調合。
経年などで色は変化する。色見本帳から車種の色を選択し調合する。
これは、新車時の色。
10cm四方程の柄の付いた金属板に、まず吹き着けて乾かす。
ボディーに当ててみると、黄身がかってたり黒ずんでいたり、特にホワイト系は如実に違う。
私が自分のバイクで怠ったのが、この辺り。
乾いた塗料を確認してれば海老茶には…
正確に軽量した新車時の塗料を再現し、黒や黄色を滴下 僅かに混ぜ経年劣化で変色したボディーカラーに近づける。
1cm程の小さな凹みなんかは、例えばドア一枚塗る、だなんて仰々しいことはしない。
幅広のテープに薄紙が付いたマスキングを施し、塗料を吹き付けるスプレーガンを軽くサッサッと凪ぐ。
均一にベタ塗りすると、塗料の厚みが残ってしまうからだ。
色付く位に周囲は薄塗り。
仕上げにクリヤーを吹いて、完成☆
うん うん、凹みが分からんくらい綺麗に直ったんでない?自分的には納得の仕上がりであった。
私って、新たに創り出すより 補修保全の方が向いてんのか…?
⑬に続く──
(誤記) ⑬ × → ⑫ ○
ヤッバ、一個 飛ばしちゃった(汗)
記憶だけに頼ってると、こういうケアレスミス起こすからなあ…確認大事。意識しなきゃ。
○○の母
昔から良く、道を歩いてたり 喫煙所で煙草を吹かしていると、全く知らない人に話し掛けられる。
これ、不思議なんだよな。
確かに現役時代なら小綺麗にしていたし、道を訪ねたりナンパしたり声を掛けやすいと思うんだが。
現在、帽子にマスクに眼鏡だよ。下手したらパッと見 不審者だよ。
私だったら絶対、声掛けねえな。怪し過ぎるもん。
まあ、話し掛けられると嬉しいもんで、私もテンションアゲアゲな お喋りスイッチが入るんだが。
友人に これ系の話をしたら「“○○の母”だね」と言われた。
私が占いを かじっていることもあり、地域の相談役的 在り方の示唆だ。
満更でもない。
私が かじっているのは、占星術。
古くから伝わる統計学だ。
私に運は無い。
神頼み もしない。
数多の先人から引き継がれた、人生の統計だから、信じられる。
恋に悩むと、どうしても占いに走ってしまうんだな。昔から。
毎日 星座占い見ては杞憂、久々にJ先生の占いを買ってしまったよ。たははw
最近はホロスコープという、占星術に欠かせない星の配置表が無理アプリで見れるんだから、良い時代になったもんだ。
お高いソフト買わんで良かった。
ただなあ、よくよく考えると 私の人生って、一般的な人生から外れている気がする。
こういう“外れ”の場合も、統計にのっとって良いものだろうか…
当たるも八卦当たらぬも八卦、とは よく言ったものだな。
どうか、占い結果が当たりますように。
星に願う(^-人-)☆彡
今、真昼間なんだがなw
ものすご~く どうでもいい夢(夜見る方)
久々、夢の中身を覚えてた。
マネキンの腕持って走り回り、マシンガンみたいので めっちゃBB弾 撃たれて「痛たたたたッ!」てなる夢と、
ドライヤーで温風吹き付けられて「熱っつう!」て夢の二本立て。
どっちも顔面。
折角 覚えてたのに…なんだかなあ。
セカンドハイスクールライフ⑫
当時の愛車 古い型式のスポーツセダン。
通学に使い、少し離れた学校の敷地外駐車場に置いていた。
月一くらいで曇天の就学時間後、学校に乗り入れ 洗車させてもらってた。
ピーカン時は避ける。
ホワイトソリッドのボディーは、直ぐに汚れが目立ってしまうんだな。
「○○!もう見てらんない!」
突然、発狂したのは実習場から洗車を眺めていた、M先生。
何事!?
「ここ、おしめ みたいじゃん!」
どんなに洗車しても、どうしても取れない経年の汚れがあった。
リアバンパーだけが黄黒ずみ、雨筋模様。
言われると確かに、用を足された おしめ の様だ。
M先生がバタバタと実習場から出したのは、車を磨くポリッシャー。
電動で回転するスポンジの付いた道具だ。
そんな良いもん、学校に在ったのか。
もっと早く言って。
研磨剤をスポンジに付け、おしめにポリッシャーを当てる、M先生。
「ほら!めっちゃ綺麗になるじゃん!」
おおお?おしめ取れた!
通販のビフォーアフターさながらに、汚れと磨かれた部位の境は くっきり違う。
わくわくと、M先生がポリッシャーを掛けるのを眺めた。
私もやりたい。
M先生の事だから、ある程度のところで ポリッシャーを渡してくれるだろう、と待ちわびた。
みるみるホワイトが広がって、生まれ変わった車体。
私の手にポリッシャーが やってくることは無かった。
M先生…(涙)
ピカピカのボディーにご満悦のM先生。
どうにもテンション上がり少年に戻ってしまい、先生であることを忘れてしまったらしい。
こういうパターンも有るのか…
次から やりたいことは「やりたい」て、ちゃんと言おう。
心に誓った。
研磨剤を付けてのポリッシャーは難しい。電動の力は強い。
表面の色付いたクリヤーを剥がす程度に出来ないと、塗装の層を通過して 下手すると金属が見えてしまうからだ。
プロにやってもらえたんだから、まあ いっか✨
「ワックス結構詰まってるなあ、元の持ち主下手な人だ」
ブチブチ言いながら、エンブレムやら細い隙間をボールペン先で ほじくりだした、M先生。
お掃除スイッチが入ってしまったらしい。
ワックスは薄く、エンブレムなどは避けるのが鉄則。
細かい凸凹に詰まると白く固まってしまうのだ。
え、私がかけたやつかもしらん…
ちょっと思った。
そんな愛車の物語、四季折々。
─春─
基本 修業時間後、ダラダラと居残り先生方と帰宅時間が同じであった私だが、時には定時で帰路に着く。
多方、描きたい話や絵でも浮かんだんだろう。
そういう時は電車通学の学友達を、駅まで乗せてったりもする。
早い者勝ち、限定4人。
学生らしく、ファミレスでダラダラ軽食摂って談笑。
そんな時間も良いものだ。
会計済まし車に移っても、お喋りは途絶えず。
意識は道路に集中しきれない。
いつも通り、国道に出ようと三叉路を直進しかけて、ハッとした。
──ヤバ!ここ右折しないと駅に出らんない!
国道まで出てしまうと駅までは かなりな遠回り。
ブレーキ踏んで、えいや!とハンドルを切った。
だが、直進するため加速していた、車。
急には止まらない。
いかん!曲がり切らん!
大慌てでサイドブレーキを引き、ギュキキキッと 大きく弧を描いた遠心力で 車体が深く傾く。
横転するッ!!?
肝を冷やした。
ギリギリ横転せず、電柱にもぶつからず、なんとか枝道に入れた。
いやもう、心臓バクバクの冷や汗もん。
「──○ちゃん、カッケェ!ドリフト出来んだ!」
ドリフト違う。ただの急ブレーキ。
事故らんで良かった…
まあ、学友達は やんややんやと喜んでくれたから、いいか。
※危険運転、ダメ!絶対!
真似しちゃダメですよ!下手したら死んじゃうから!
─夏─
国道も続く枝道も結構 大型トラックが走っている。
まだ、黒い排気が吹き出すトラックも多く残っていて、窓を締め切って走る事が多かった。
…暑い。
物凄く暑い。
エアコンを“冷強”にしたとて、出るのは温風。
くうう、エアコンまでは確認してなかった!
車を譲り受けたのは冬口である。
汗をダラダラ流しながらの運転は、夏場のバイクを優に超える。
故障では修理費が かさむが、背に腹はかえられん。
こういう時、この学校で良かったと本当に思う。
実習場前に乗り入れ、M先生の指導の元 点検を行った。
「冷媒、空っぽだよ」
なんと。
車のエアコンはレシーバーというボトルに冷却効果の有るクーラーガスが入っており、空気を循環させることで冷風が発生する。
逆に暖房はラジエターというエンジンの放熱装置を通し、空気を暖める。
暖房が利くからといって、冷房も利くかといったら間違いだ。
暖房と冷房で方向性が違うのだ。
中古車 買う時は要確認ですよ、これ。
クーラーガスは そうそう抜けるものではない。配管の どこかに隙間が出来てしまっている可能性が有る。
ええー…エアコン交換とか、めっちゃ かかりそう…
夏は耐えるしかないかな、と思われた。
「応急処置でクーラーガス充填して、様子見たらどうかな。亀裂が有るなら抜けちゃうとは思うけど」
それに賭けるしか無い。
とりあえずエアコンフィルターをエアガンで吹いて、ラジエターを掃除した。
如何せん温室効果ガスの冷媒、クーラーがす交換作業用の専用機器は学校には無かった。
帰路、フルサービスのガススタで 世間話的にエアコンが利かない旨を伝え、クーラーガスを補充してもらった。
ドキドキでエアコンを冷にしてみる。
そよそよ~と出てきたのは、つめた~い冷風。
おおお、生き返る✨媒は抜け、翌年再び補充。地球に優しくない。
─秋─
毎日通学 往復80km、休日 親友達乗っけてドライブしまくってれば、バイクで すっ転んだ記憶など 何処吹く風。
「私、運転 上手いんじゃね?」と過信するのが、若気の至り。
全く、学びませんね、私。
学校の敷地外駐車場から公道への出入口は、民家と畑に挟まれた 車幅ギリギリの一方通行。
定時で上がれば 他の車通学の学友らと当たり、渋滞する細い道。
ブロック塀に囲まれた民家側に左折するのが帰宅ルート。
この道から出るのも慣れたもの。
安全確認し徐行、ハンドルを左に切った。
コツッ…
何かがドアに当たった気がして、ブレーキを踏んだ。
左側の窓には特に何も確認出来ない。
石でも蹴ったかな?
楽観的にブレーキを離した。
アクセルを踏まずとも進行する車。
現行は知らんが、当時のAT車はブレーキを踏まねば勝手に動く。
ギッ…
やはり何かがドアに当たった感触がした。先刻より深い。
何事!?
慌ててブレーキを踏み、民家側のサイドミラーを見た。
映るブロック塀。
助手席側のドアに接触していた。
うわ!ぶつけちった(汗)!
ただ ぶつかって終わりではない。
テンパりつつも後方を振り返れば、公道に出ようとする学友らの車列。
あわわ、急いで退かなきゃ!
右側には一段低い、畑。追い越しは不可能だ。
焦った頭で考えた。
ええと、軽く接触しただけだから
進めば抜けるはず…
テンパった頭なんて、安直に愚考である。
公道に左折するため、ハンドルを左に切ったまま、アクセルを緩く踏んだ。
ギ・ギ・ギッ!
──ぎゃあああああ!!?
ドアに深くめり込んでいく、ブロック塀の角。
馬鹿確定案件。
常識であるが、右左折する四輪には“内輪差”が発生する。
着いてくる後輪は 前輪のカーブ角度より内側になる、アレだ。
ガッツリ食い込み、にっちもさっちも進めない。
ヤバヤバヤバ!
民家側を直接 見に車から降りた。
目の当たりにした、現実。
ブロック塀ってね、車に刺さるんですよ…
ひいい!
どっと吹き出る汗。
後続の渋滞。
めっちゃ恥ずい!!!
急ぎ運転席に駆け込み、ハンドルを握った。
ええと…え?どうやったらブロック塀って車から抜けるの??
混乱を極めた頭。
答えに たどり着くまで時間を要した。
バックミラー越しに後続車が後進したのが見える。
──あ!バックすれば良いのか!
いやもう、阿呆ですね。
ハンドルを正し、シフトをRに入れ、畑に落ちるだなんて二次災害 起さんよう気をつけながら、何度も切り返しを試みた。
ようやく右折して公道に出れた車、路肩に停車して状況を再確認した。
oh…
無惨にも 助手席側のドアには 50cm四方強の大きな擦り傷、後部に向かって深く えぐられていた。
「○ちゃーん、大丈夫!?」
だいじょばない。
全く持って大丈ばない。
「だ…大丈夫 大丈夫!あはははは!」
車を停めて声を掛けてくれたY君に見せたのは、空元気である。
ああ…こんな酷いの、直せるかなあ…
こういう時、あの学校で本当に良かったと思う。
とりあえず、家に帰る事にした。
翌日からは毎度ながら実習時間に
自分の車の板金だ。
「うわー…酷えな。ぶつかって すぐ直進すれば良かったのに」
ですよね。
国語教員の おっしゃる通りである。
整備科の先生方も実習そっちのけで様子見に来て下さって、あれやこれや相談。
それだけ厄介な傷なんだ。
叩き出せる範囲ではない。
パテで埋めるにも広範囲過ぎる。
K先生の指導の元、引っ張り出してみる事になった。
溝の傷にワイヤーを付け、引っ張り出す機械が有る。
機械の名前は分からん。
実習には使わんのに、よく有ったな そんな機械。別の用途が有るのかな。
特殊なアーク溶接だ。
五円玉のような円形の溶剤にワイヤーを結び、機械から出る電気で溶かす。
何個かK先生の お手本を見て、プライヤーと革手袋が私に回って来た。
「この溶剤を垂直に溶接しないと、引っ張る時に取れちゃうから」
え、なんかサラッと めっちゃムズいこと言われた…
五円玉の厚みは2mm程。
革手袋をした手にプライヤーを握り、五円玉を挟んで凸凹の定まらない傷に押し付ける。
通電させれば バチバチッ、と 火花が飛び、車のドアに触れた五円玉溶剤が溶け、ダマが出来くっつく。
おおお?面白ーい!
調子こいて残りの五円玉も溶接した。しっかり付きビクともしない。
7~8個 固定したところで、五円玉に結ばっているワイヤーを、機械で巻き上げる。
スイッチを押したK先生。
「ぎゃんッ!!?」
ばつーんッ と五円玉が数個飛び散り、K先生に被弾した。
うわっ、痛そ…
金属の板を引っ張るだけの力が働いているワイヤーと五円玉だ。
単純に投げつけられた つぶてより、遥かに痛かったろうと思う。
因みに、外れたのはK先生の お手本の五円玉。私の分は取れてない。えっへん。
ちょっと照れながら五円玉を再溶接するK先生は可愛い。
傷を引っ張った状態で、ドアを叩いて伸ばし原型に近づける…だったと思う。
溝状に凹むことで金属が薄くなっているドア、下手に叩くと穴が空く。
流石にプロの出番だ。K先生におまかせである。
自分でやっとらんから工程が いまいち思い出せん。
ある程度 復元したところで、溶接された五円玉を金槌で叩いて、コンコン と落とす。
こういう地味な作業好き。
残りの凹みは自分で叩き出し、パテによる整形だ。
車のドアには緩衝用の凸凹が流線的にデザインされている。
その流線を、盛ったパテを紙やすり で削り再現せねばならない。
加えてブロック塀が刺さって出来た、角なんかは隣のドアより若干高い。
100%の復元は出来ない。
流線を残しつつ、分からないレベルに新たな流線を足さねばならんのだ。
何度も何度も触ってみたり見比べたり、もの凄く神経を使った。
多分、自分史上 最高の造形に仕上がったと思う✨
色見本帳から新車時の色を調色する。
太陽の下で試し塗りとボディとを比べると、随分と変色が進んでいた。
今回はドア一枚塗る。
僅かにでも色が違えば、修繕したのがバレバレなバイカラーになってしまう。
いっそ車全体を別色に塗り直す、という荒技も出来るが、私は意地でも同じ色味にしたかった。
2~3層塗り重ねれば調色だけ再現出来ていても、やはり色味は変わる。
いやもう、私史上最大の注意力で黄色い塗料を滴下しましたよ。
変な汗かいた。
こうして ほぼほぼ復元出来た愛車は、あんなに酷い傷が入っただなんて嘘のよう…は、流石に言い過ぎか。
それなりにパッと見分かりませんでしたよ✨
─冬─
譲り受けたのが7万km、そこから走って9万kmに届いていた。
そろそろ10万km。次の車検ではタイミングベルトの交換時期だ。
車検まで残り数ヶ月、この車では いくら掛かることやら…なんて内心冷や汗かきながら、寒風吹きすさぶ通学途中の早朝。
ギコギコギコギコッ!!!
突然、怪音が轟いた。
うるッッッせえ!!!
耳を覆いたい程の轟音なのに、ハンドルを持ってるせいで塞げない。
何!?この爆音!!
最初は工事か何かの音かと思った。
だが、走行しても音量は下がらない。
前を走ってるトラックの荷台で揺れてる鉄筋の音だろうか…
なんて疲弊しながら車を走らせ、はた、と気付いた。
──あれ?ひょっとして、この車から音がしてる???
試しにブレーキを踏んで速度を落とした後、加速してみた。
ギイーコ、ギイーコ…ギコギコギコギコ!
何たること!
愛車の速度に相成り、怪音が着いてくるではないか。
どこから発生してんだ!? ていうか、何の音!!?
学校までは、まだ距離が有る。
住宅地を早朝に騒音発生させつつも走行するのは誠に申し訳無かったが、私もテンパってたんだ。
とにかく、学校まで行けば先生方が居るから…
よくよく思えば、いくつかディーラーの前を通り過ぎたんですがね。
駐車場には入れず、そのまま学校に車を乗り付け、職員室に駆け込んだ。
「先生ー!」
半泣きで事情を話し、M先生に車のキーを託した。
怪音の発生元が、私の耳では特定出来なかったからだ。
ここはやはり、プロの耳に頼るしかない。
ギイーコギイーコ…ギコギコ…
怪音を轟かせ、学校を発車した愛車を見送った。
車の外から聞いても酷い音だな…
数分後、学校周囲を ぐるっと回り車から降りたM先生。
「ボンネットの中からしてるね」
言いしなボンネットのロックを外し、ペンライト片手にエンジンルームの点検を始めた。
あちらこちら確認しても、プロでも原因が分からない。
H社出身のM先生、T社出身のK先生を呼びに行った。
メーカーにより、パーツの乗り方や仕様は違う。
私の愛車はT社の古いスポーツセダン。
一層 専門的な見聞を要した。
しかし、K先生でも原因が見つけられない。
「上からじゃ見えないとこか」
整備場に乗り入れ、リフトアップし車の下から点検する事になった。
なんか、大事だな…
プロ同士相談しながら点検する様を、私は見守る事しか出来ない。
めいっぱい上げた車を見上げ ペンライトを振り振り点検する様は、ある種 異様である。
いつの間にやら実習そっちのけで野次馬に来たT先生も加わってた。
本当仲良し、三馬鹿トリオ。
見下してる訳では無いんだが、私は整備科の先生方を心の中でそう呼んでいた。
だって お馬鹿に仲良しなんだもん。
メインのエンジンルーム下はK先生、他の可能性も排除する為 M先生は足回り、T先生はマフラー関連に分担された。
「うおッ!?」
突然、M先生が奇声を上げた。
「○○!動脈瘤みたいになってんぞ!」
──え?車で動脈瘤って、どういう事??
M先生の慌てようは尋常ではない。私も覗きに立ち上がった。
「おッッまえ!よく生きてたな!!!」
なんか、力いっぱい感嘆された。
M先生がペンライトで指し示す先には、ブレーキのホース。
見れば 1cm強 の太さのホースに、同じ位のポコッと球体のコブが出来ている。
え?何コレ???
異変は分かれど、見ただけでは 私には何が大変なのか分からない。
「走行中に弾けてみろ、ブレーキ利かなくなるんだぞ!
スピード出てたらクラッシュして、お陀仏だぞ!」
マジか。
油圧式のディスクブレーキ四輪。
ブレーキを踏むと、ブレーキフルードと言う液体に圧力がかかる。
一箇所にでも穴が空いてブレーキフルードが漏れれば、正常にブレーキは利かない。
怪音が発生した お陰で、私は地味に九死に一生を得ていたのである。
いやあ、本当に悪運だけは強かったですね…(過去形)しみじみ。
薄らサイドブレーキ引きっぱで走行しちゃったのを思い出したが、そっちは作動環境が異なる。
となると、ガススタ時代「ブレーキ利いてる?」て やたら聞かれたのが…
まあ、今となっては いつ出来たものだか分からんし、別段 事故ってもない訳だから、構わん。
「あ、あったコレだ!コレだ!」
エンジン下を見上げていたK先生が声を上げた。
「ほら、亀裂が入ってる」
ペンライトで照らされた先を見れば、エンジンを支える支柱の大きなパッキンに裂け目が在った。
エンジンの振動を緩衝させる役割のパッキン。
亀裂が入ったことにより、エンジンの揺れが金属のボディパーツに触れ、怪音が発生していたのだ。
「でも、これなあ…」
見つけたK先生は かんばしくない顔をしている。
「エンジン降ろさないといけないんだけど、専用工具が要るんだよ」
マジか。
基本的な仕組みは同じだが、エンジンはメーカーにより取り付け方が異なる。
私の愛車はT社専用工具が無ければ、エンジンを降ろせない。
残念ながら、学校に専用工具は無い。
ディーラーに持っていくしかないのだが…
「この車、乗っちゃダメ」
ですよね。
M先生よりドクターストップが掛かった。
まずはブレーキを直さんことには、ただの鉄塊だ。
帰りの足も無いので、方向が同じM先生が車で送ってくれた。
助手席ツーリングで毎回実家に送ってもらってるので道案内も不要、楽ちんぷいである。
ついでにラーメンも奢ってくれた。ラーメンライスにハマりそう…
至れり尽くせり、ご馳走様っした!
こういう時、バイクも持ってて本当に良かった。
ディーラーに確認したら、ブレーキホースは取り寄せになり数日掛かる、という。
T社のパーツショップが工場地帯に在るから、急ぎなら そっちに行ったらどうか。と ご助言頂いた。
公共交通機関では辿り着きにくい場所だが、バイクなブンブンである。
工場の一角のようなパーツショップ。
中に入れば、部品を求めに来た 作業着姿の強面の おじさま方が ひしめいている。
なんか、場違い感がパない…
ヤンキーかぶれの金髪若造は浮きまくり。
正直、おじさま方の視線が怖かった。
一概にブレーキホースと くくれど、場所により細かに分かれている。
カウンターで車名・年式など詳細に注文する。
「前輪左の、キャリパーに直接繋がってる30cm長位のブレーキホースなんですけど…」
係の方がパソコンを いじると、パッとモニターに車の全体絵が表示され、透過してパーツが赤く点滅した。
「これですね?」
──すげぇ!!
ピタリとパーツが当たった。
現在では よく有る案内表示システムだが、当時は まだ珍しかった。
猛烈に感動したのを覚えている。
パソコンにも興味を持ち始めたのが、この辺かな。
ビニールにパウチされたブレーキホースが、ベルトコンベアで流れてきた。
ちょっとT○L感がして、ときめいた。
あわわ、何ココ。めっちゃ楽しい✨
初めての経験に有意義な時間を過ごし、ホクホクでブレーキホースの会計を行った。
翌日、登校したらばブレーキホースの交換である。
まずは今ホース内に満ちているブレーキフルードを抜かねばならない。
少しリフトアップした車のタイヤを4つ全て外し、右前輪からブレーキフルードを抜く。
油圧は四輪均等に掛かる仕組み。一箇所の入口から、四箇所の出口が在るイメージ。
左前輪の動脈瘤ブレーキホースを交換したら、ブレーキフルードを注入しつつ、ブレーキを踏んで排出させる。
ホース内に空気が残らない様にせねばならん。
流石に独りでは手が足りず、K君ら学友に手伝ってもらった。
ブレーキフルードは学校の教材を頂いた。
慎重に作業を進め、ついでなんで ブレーキパッドの清掃やタイヤのローテーションを行い、気になったホイールカバーの擦り傷をパテ埋めしシルバーに塗装した。
エンジでも可愛かったかなあ。と 思うのだが、どうにもバイクの海老茶がトラウマで冒険出来ない。
ていうか、ホイールカバーを ご存知の方って居るのかな?
最近ではホイール自体のデザイン性が上がって着いてない車が多いんだが…
昔、交差点の隅っこに よく転がってた、大判のフリスビーのような謎の円盤。アレだ。
カーブする時の車が斜めに たわむ力で、ポコッと取れてしまうんだな。
外した動脈瘤ホースは、コブの部分が風船のようにプクッと膨れている。
ブレーキホースの厚みは2mmは在る。
指で摘んで ぎゅぎゅう、と力を入れても凹まない。
一体、どうやったら この屈強なゴムが、風船みたく膨らむんだろう…
記念に動脈瘤ホースは清掃して持ち帰り、実家の居間に吊して飾った。
母姉は「何コレ??」と、思っていた事だろう(遠い目)
ブレーキが直った車を ギコギコ音を発生させつつ、実家に一番近いディーラーまで運転する。
スピード出さないよう注意せども轟音が発生。
途中何度も手前のディーラーに入っちゃおうかと思ったが、車を取りに行く手間を考えると、実家近隣が良い。
ディーラーで整備師さんに、交換して欲しい部品の場所を説明する。
両手で掴む位の大きさの、極厚いエンジンを支えるゴムパッキン。
珍しい事象らしく、目を丸くされた。
ついでなので、10万km手前であるが タイミングベルトの交換もお願いした。
エンジン降ろすし、手間が減るかな? と、思い。
とにかく手のかかる子であったが、その分 愛着も湧くというもの。
自分で直せたり誤魔化した部分が多かったとはいえ、維持費は結構な額だ。
乗り換えるまでの三年弱、トータルで安価な新車が買える位 飛んでいる。
安物買いの銭失いとは、まさにこの事。
中古車買う時は、注意ですよ。
⑬に続く──