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きっかけは
こんにちは。
前回の記事で改めてわたしの生い立ちを振り返りました。
大好きな英語が学べる学科に入学できたのに、自分には分不相応なとこにきちゃったな…と感じ専門科目もつまんなくて…
転機になったのは19歳のとき。
授業の一環で2ヶ月🇦🇺シドニーへ✈️
授業の一環ということもあって、良心的な金額だったし、すんなりと親も許可してくれました。
出発の半年前から🇦🇺の文化や歴史について事前にリサーチして発表したり準備を進め、わくわくしかない♡
2ヶ月間ホームステイをしつつ、シドニー大学の敷地内にある語学学校に通いました。
もちろん、学校でもオーストラリアの歴史について英語で学びました!
今、日本語教師として各国の外国語政策の歴史を学んでいますが、「あ、これシドニーでならったやつ!」っていうのでてきます。
わたしがシドニーに行ったのは、2002年ぐらいの話なので、もうすでに多民族国家でアジア系のオーストラリア人がいっぱいいました。
ホストファミリーは、両親ともにポルトガルからの移民。
当時のホストシスターたちは、小5と小1でしたが、
「この子たちがオーストラリアのFirst Generationなのよ~!」
と教えてもらって、当時衝撃を受けたのはおぼえています。
フォストファミリーもとても素敵な方々で(しかも若かった! 当時36歳ぐらい)
ホームシックになることは一度もなく、シドニー謳歌しました。
絶対ここに戻ってくるんだ!(って誓った)
ある程度オーストラリアのことを勉強していったつもりだけど、実体験とはやっぱり全然違いました。
イギリス統治の影響はものすごく残っていて、地名も、スペルもイギリス表記だし…
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もちろん、オージーイングリッシュには苦戦しました。
発音でいうと、
a=e
e=ai
のようにきこえるんですよね。
始めの頃は、宿題をやるにも一苦労。
聴き取りはできても、その単語はどういうスペルなの?
ときかないと書けないという状況でした。
ただの挨拶でも、「Good day, mate!!」すら文字変換ができないw
gudai mait!!→Good day, mate!!!に変換するのに時間がかかって秒で反応できないんですよね。
でもこういう勉強が楽しいというのはあの頃から変わってないのかも。
これまでの英語教育ではきいたことのないような単語を常用していたり。
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ほんとたのしかったな~
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この写真みたらまたショートにしたくなるやつ…
シドニーで20歳を迎え、日本に帰国したら、わたしの迷いは消え、思い切って言語学→英米文学専攻に専攻を変えました!
大学2年→3年に上がるときに、専門科目が一気に増えるから変えるならこのタイミングしかなかった。
このタイミングで買えた子も結構多くて、なんなら別の学科への転科試験にひっそり受かってる子もいたりして、みんな結構ちゃんと考えていたのね…
シドニーに絶対帰ってくるんだ!
って誓った私ですが、もちろん2か月で英語のレベルが爆上がりするわけはないです。
そこには大きな壁がありました…
やっぱり長くなっちゃうなぁ。
ここまで読んでいただきありあとうございます!