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[読書記録] ブライトン・ロック

作者: グレアム・グリーン
訳: 丸谷才一
出版:早川書房

282頁の単行本で2段組みなので、少しボリュームのある小説です。私にとって、グレアム・グリーン作品の一冊目となりました。


イギリス ブライトンで暮らす十七歳の不良少年ピンキー「おれが始めたことには終わりがないのだ」。彼の悪事は、自分の正義を信じて疑わない女アイダによって追い詰められていきます。


あたしはピンキーが悪いということを算術のようにはっきり吟味し、そして知っている。—とすれば、彼が正しいか正しくないかなど、ちっとも構わないではないか。

p.226

残酷なほどに悪を悪と切り捨てる、アイダの思想を言い表した一節です。この言葉からは、「良いこと」と「正しいこと」とは何が違うのかを考えさせれます。

世の中の行為は、例えば宗教の教えや法律といった形式で「良い」と「悪い」に一般的に区分されています。他人に優しくするのは良いこと、暴力は悪いこと、といったように。一方で、「正しさ」の捉え方については、色々の考え方を持つことが許されている気がします。ストーナー(作者: ジョン・ウィリアムズ、出版:作品社)の「すべてが事実ではあるが、どれひとつとして真実ではない。君の言うような意味ではね」という台詞を思い出します。

「自分にとっての正しさ」と「世の中にとっての悪」が合致してしまった人間の心情描写に、引き込まれていく一冊です。

想像力が目をさますことがない―それが彼の強みだった。

p.51

自分自身も多くの痛みを経験したことがあるはずなのに、それでも尚、他人が感じる痛みは想像できない。それが暴力の世界で強いということなのでしょう。

世の中でも、想像力のなさは、暴力性を秘めています。今の戦況をニュースで聞くことはできても、私はその実態を想像しきることができません。自分、あるいは、自分の身近な大切な人たちの幸せだけを考えて生きてしまいます。無関心こそが最大の暴力、というところに行きつくのでしょうか。

一方で、他人が転んだ話を聞くだけで自分の膝が痛いような気がしてしまったり、就職に失敗した人の落胆を自身でも感じてしまったりする私は、自分の周りの小さな世界では、きっと強い方ではないだろうと思います。

ただ音楽だけが、心の底までゆすぶるような弦の音だけが、彼を不安にした。

p.51

これは文学だ。おれもこんなふうな手紙を書きたい。

p.177

不良少年ピンキーの、生来の感じやすさを表していると思う二節です。音楽に不安にさせられる人間が、良い手紙を書きたいという思う人間が、優しさを持ち合わせていないことがあるでしょうか。



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