一人で食べる焼肉
バイト終わり。11時から18時までの長めの労働だ。必死に円を描くように同じことを繰り返し、7時間は経過した。エアコンもあまり効かず、暑さに耐えながら、座ることなく7時間が経過したとき、私は、頭が真っ白になって、少し気持ち悪くなっていた。
今日は焼肉に行こうと決めていた。一応元カノを誘ってみた。もし来てくれるなら、三ノ宮駅でかわいいお花を買って、他人にあげるからとうそをついた後に、花束を渡して、自分と復縁してくれないかと頼む予定だった。しかし彼女は「焼き肉の気分じゃない」ということであった。
したがって私は一人で焼き肉に行くことになった。一人で焼き肉を食べるのなんてここ数年なかった。食べ始めでものすごい虚無感と喪失感に襲われて、つぶされそうになったけれど、時間がたつにつれて、この孤独も少し心地よく感じていた。最初は恐れて、冷たくて痛い水風呂でも、入っているとなぜか心地よくなってくる、そんな感覚に似ていた。
他人と一緒にいないとこんなにも寂しくなるなんて彼女がいないときの自分からすれば考えられなかったと思う。人と一緒にいることに慣れてしまうと人と一緒にいないことがこんなにも虚無感にかられる要因になりうるとは考えつきもしなかった。
焼き肉を焼いて、食べる。焼肉は今日はなぜか焼けるのが遅いと感じるが、スマートフォンを触っても、地下にある店内に携帯電話の電波が届くことはない。私は速攻でスマートフォンをカバンにしまう。
それにしても私の周りはカップルや、友達同士ばかりだ。一人で焼き肉をしているのは私ぐらいのようであった。これが私と世間の人々との違いなのかと思った。
彼女がいなくなってから、私は一緒に遊びに行く人も、普段一緒に話す人もいなくなってしまった。いなくなってしまったというよりは、もともといなかったのだ。それに気づいていなかっただけのことだ。
私には友達がいない。作れないというよりは、作らないのだと思う。自分がそんなに好きでもない人と過ごす時間はもったいないと思う、ただそれだけの理由で私の周りには友達がまったくもっていない。あるいは私が心を開いて何でも話せるような友達は身近にはいない。しかし気が合うようでない友達と一緒にいる時間と、一人でいる時間のどっちが苦痛かでいうと私にとっては前者のほうが苦痛であるから、私は他人といちいち一緒にいようと思わないのである。
彼女は自分が好きだったから彼女と一緒にいてよかったと思う。
しかし彼女が私のことをアマゾン配達員であるからという理由で絶縁したことは彼女にとって愚かなことであったと思うし、むしろ私にとってはそういった理不尽な経験を乗り越えて新しいものを得るチャンスでもあると思い始めていた。
そんなこんなで私が焼き肉を食べている間には頭上にこういったようにつらつらと文章が刻まれていき、最後、食後のカレーは別腹といったようにカレーを食べて店を後にすることとなった。
彼女が私を絶縁したことが彼女にとって愚かなことであったことを私は知らしめたいと思う。
私には友達がいないけれど、人とは違う何かを持っていると信じて前進したいとも思う。
そういった気持ちをもって今日も私は新しいサービスローンチのために作業を進めようと思う。
私が2年半彼女と付き合って、彼女がパソコンを親に取られて泣いていた時に、かわいそうだからと彼女に新品のMac Bookを買ってあげたり、終電に遅れた彼女を迎えに行ってあげたり、いろんなところに連れて行ってあげた挙句、アマゾン配達員は彼氏としては無しといわれて急に別れを告げられたあと、私がアマゾンの仕事で100万円ためて、資本金50万円で会社を作って、とにかく頑張っているという未来を私は作り上げようと思う。全文章の最後から二番目の読点からが未来の話である。お金をためてきているのは事実であって、会社を作る準備はできている。私は彼女に振られたこともエネルギーにしたいし、あとで他人に語れるようなドラマになっていると信じたい。
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