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Love wins all

映画の最後のように


MVを見る私

実はまだ1回しか見れていない私。
それは色んなことが関係していて、単に忙しいとかそういうのでもない。
確かに雑多な私なので、理路整然とした動きができない。
やりたくないことも先延ばしにしてしまう。
そしておいしいものは最後に…と実際はおいしいものは先に食べるのに
こういうことは最後に置いて溜まっていく。

でも、見ておかなきゃ、角砂糖の正体は?
テテとIUちゃんのあのかわいすぎるのは何?

休みが幸いに続いたおかげで、食事の最後に覚悟してみた。
以下、半分は自分語りです。

若いころは愛なんてと思ってた

私は若いころ、愛だなんてと思っていた。
「好き」という感情はすごく持っていて、好きなこと、好きな人、好き
ってなったら好きを貫く人であった。
実際、私の母や妹からは「~ちゃんは本当に一筋だよね」
と言われるほど、好きになるとずっと好きが続く人であった。

でも「好き」と「愛」は違っていて、結婚する時に牧師さんの講義
(を聞かないといけなかった)を聞いても「愛って何」と思っていた位だ。

結婚して子供ができて、ある意味愛ではなくて自分の独りよがりで
子育てをしてきたかもしれないと、今になって反省をしたりする。
子供が将来困らないようにとこの能力を見極めて対応してきた
つもりではあったけど、正解なのかもわからず、それを「愛」
と呼んでいいかも今でも分からない。

我身に置き換えてみる

私は日本の推しの方では堂々と宣言しているけど
バンタンの推しごとの方で、それを口にするのは控えている。
関係ないこともでもあるし、日本の推しでも公言したのは
仕方なくの部分ともう言ってもいいか…と思ったのもある。

仲良くなった友達がいると、一緒にライブに行くことも沢山出てきて
うちの家庭事情を話さなくては、なんで?となってしまうからだ。
個人的に言っとけばいいことでもあったけど、バックボーンが知れてる
とそれは私を知ってもらうためにはいいことではある。

何より、それを議題にTwitter上(現X)において、議論されることも
ままあったからだ。
知っていて欲しい問題でもあったりしたのもある。


面白くもない自分語り

私には子が2人いて、下の子に障害がある。
親元を自立させることを視野に、現時点では20代の若者だ。
親ばか全開で言えば、とてもやさしい青年だ。

思い返せば、未だに涙が出ることが多い。
上の子が結婚となった時に話したこともこのことだ。
幸い理解のある伴侶のおかげで、地元を離れて生活している。

目下私は、彼の自立を模索すると言うか、日々の小さな積み重ねに
何をどう盛り込んでいくか…を課題として持っている。
ただ、他にも自分の仕事や生活、病気etc …と積みあがってるものもあり
なかなかそればかりにかかってられない。

5年ほど前に私は社会復帰をしたけど、それまでは上の子のことも含めて
家庭を回し子供を育てることに必死だった。
結果的に夫の色々が合って、上の子も自立して下の子も自立度が上がり
社会復帰を果たすことになる。
夫にはあなたのおかげで(いい意味ではなく)自立できたと言っている。

そのあたりで自分の病気が2つ重なって、それを持ったまま社会復帰して
無我夢中でやってきた。
子育て中の支えは日本の推しで彼らがいなかったら私は死んでいたと思う。
彼らのライブに行くことが生きがいで、支えだった。


推し変でなく、新たに増えた

バンタンに出会ったのはタイミングってのが働いたみたい。
最初からテテが気になったわけではなく、彼の人間性に興味を持ち
そこからドボンと沼に落っこちた。

推し変をしたように思われるのは、違うと思うので
日本の推しは相変わらず推しているし、ライブにも行く。
基本的に日本の推しはライブ中心の推し方をしているので
バンタンとは推し方が違う。

今の私を救ってくれてる割合はバンタンの方が大きい。
でも、日本の推しを推さない理由にはなっていない。


私の仕事から見たもの

仕事柄色んな人を見る。
特に障害関係に携わってるため、子がそうであったからでもあったが
色んなことに首を突っ込んでいた時期があった。
今は仕事の方が大変で、多方面にはご無沙汰にはなっているけど
同業界の話なので、仕事をしていてもつながりはある。

LGBTQの世界は障害とはまた別の世界だけど
立場や世の中の見る目はある意味似た要素も含んでいる。
そういう意味では、その他大勢で構成された世界の小さな別の世界
に向けられる目は優しいものではない。

大きな世界にいる人が小さな世界にいる人に向ける
差別や偏見は当たり前に経験してきた。
だからこそ、友達になった人に言いづらいこともあった。
ただ、そりよりも同情されるのもいやだった。
来るものは拒まず去る者は追わず。
でも「大変だね、かわいそうに」と言われるのは違うと思っている。

無知だからこその怖さがある。
知らないから怖い、知らないから偏見を持つ。
理解しようとする気持ちはある程度は必要だ。
ただ、小さな世界の中にもまた差別があるもの事実だ。


小さな世界の差別

障害の世界の中にも差別は存在する。
その他大勢の世界にも同じ程度の物も同士でもあるように。
とあるママ友から言われた
「あなたの子は1人でいられるからいいよね」
留守番が少しできるって話なんだけど
友人の子は24時間見張っていないといけない子だったので
大変さの度合いが違う。

でも、1人でいられる子にもそれなりの苦労は存在する。
友達の子は偏食がなく、何でも食べれるがうちは決まった物しか食べない。
人それぞれの大変さが違うことがあるのに、障害程度で
軽いからいいと決められる差別もあった。


MVの世界観で思うこと

テテとIUちゃんは身体障害を抱えた2人で、出てくる。
その前のストーリーもあると思うのだけど、色んな差別や偏見の中で
彼らが追われていく様を、その中で楽しい時間をの対比で
最後に消えてなくなるって切ないストーリーだった。

私個人としては、最後のドレスとタキシードが落ちてきた時に
魂の消化だったのか?と思ったりした。
消化ってより消滅というか。

愛が勝つと言うのは題材として挙がっているけど
MV的には問題的定義の感じが凄くした。
そうでありたいという希望のような。

愛はきれいごとではないって気持ちもする。
きれいな時もあれば、時に醜い時もある気がする。
表裏一体、美しい2人がいたからこそ、美しく見えるけど
あれが悪者がしたらどうなのか。
当たり前だろうってなってしまう。

あの場所にいた2人は人としてではなく、魂としていたのではないかとか。


と熱く語ったけど

正直テテの可愛さが本当に好き好ぎて
こんな風に、愛しい人を見るのかな?と思うと切なくなったり。
やや拗らせ気味で、頭の中に「Film out」がrepeatされることに。

でもって、結論としては「愛」が何なのかやっぱり私には分からない。
人に寄り添うのも愛情かもしれないけど、突き放すことも愛情であったり。
思い思われることが愛情だとしたら、それが一番最高なんだけど
MVの2人のように美しい愛ってそんなにないからこそ
皆それに飲み込まれる気もする。









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