鈴木ユキオの思考 「ダンスの現在地」
ダンスはどこにあるのか?
私は、大人になってから踊りを始めたので「ダンス」というものに触れたことがなく、さらに初めて触れたものが「舞踏」であった。アングラ芝居を少しかじっていたが、舞踏というものがあると教えられ、見に行ったのが最初であった。
身体だけで圧倒する表現というものに強く惹かれ、アスベスト館に通うことになるのだが、それが「ダンス」などとは微塵も思ってもいなかった。ダンスというものがあり、芝居というものがあり、舞踏というものがある、、、当時はそんな認識だったと思う。
何年か続けていくうちに舞踏の歴史を知ることになり、「これもダンスだ」と頭では理解できたが、むしろダンスからはみ出した、追い出された表現だという心持ちで、舞踏をとにかく愚直に信じていた。
2000年あたりは、いわゆる今までの「ダンス」という枠にとらわれない作風やダンサーが次々とでてきた時期でもあった。そして「コンテンポラリーダンス」という言葉も少しずつ認知されていく。そのような場所で、舞踏を背景に持つダンサーたちが次々と作品を発表している時期でもあった。その影響もあっただろう、舞踏というものに心酔していた私もジャンルにこだわる必要などないのだなと、純粋に表現に向き合えばそれでよいのだ、という考えが支配していった。
しかし、そう単純な話ではない。
「自分の表現だ」と踊ってみるものの、同時に、自分が舞踏を真似ていることに気がついていく。どこかで見た動き、写真、映像、それらを真似てなんとなくできる気がしていた。もちろん真似から入るのは間違っていないだろう。しかし、土方巽、大野一雄など舞踏を作り上げたアーティストたちが、自分たちの表現を求めて行き着いた形が「舞踏」であって、それと同じように自分自身も何かを生み出さなければいけないと感じていた。
そこから本当の意味で、舞踏とかダンスとかそういうことではなく、純粋に自分のカラダの探究に向かっていったのだと思う。
仲間と共に過ごす「新しいカラダの発見」の日々
舞踏を学んだことで「自分でも表現をしてもよいのだ」と感じさせてもらった、そして素晴らしい先輩達にも出会い、室伏鴻と共に10年の瞬間を過ごすことができた。心の中では舞踏の精神は受け継いでいるつもりである。若さもあっただろう、そして何も知らないからこそ、新しい試みを試していけたのだとも思う。
新しいカラダの発見、作風の発見の日々であった。いつの間にか、メンバーはダンスをバックグラウンドに持つ人が集まりだし、自分が舞踏で得たもの、自分で発見したものを、クラシックバレエを習ってきたダンサーのカラダで試していくようになっていく。私のカラダが持つ癖やノイズを、バレエのようにノイズのないカラダにどうやって食い込ませていくか。少しずつ言語化もできるようになり、今では、彼ら彼女たちに合った言葉で伝えることもかなりできるようになっている。
それでも、ある程度の時間を一緒に過ごさないと越えられない壁があるのも事実である。長く一緒に活動してくれるダンサーたちとの積み重ねた時間のおかげで、新しいダンサーに伝えることも可能になっていく。
意味や技術を超えた「何か」
ダンスはどこにあるのか?
時々、襲ってくるこの問いかけに明確な答えを出せたことはないが、私は、舞踏らしい身体に惹かれる部分があり、それはそのカラダがつかみ来れないものを持っているかどうかということなのかもしれない。
意味やコンセプトがあったとしても、それを超えてしまう何かを持っているカラダ。意味を超えている、、、それは個人を感じさせてくれるということなのかもしれない。
上手なダンサーはいくらでもいるし、次々と出てくる。若いダンサーは特になんでもできるし技術も高い。しかし自分が何を見ているのかというと、やはりそこではなく、そこを超えた「何か」を感じさせてくれるかどうか? なのだと感じる。
それは、キヲテラウということでもなく、ヘタウマということでもなく、そんなものを超えた次元の話である。
個人で圧倒できる舞踏家が少なくなったこともあるだろう、時代も変わっていっているのもあるだろう、そういう意味では、そんなワクワクさせてくれるダンサーは減ってきた感覚がある。どの作品、どのダンサーを見ても上手いのである。
そのような身体が求められなくなったのだろうか?作品として上手くまわせるようなものが、この世界で幅を利かせていく。
そこではない場所に居続けていたい。そこではないやり方で存在していきたい。より深く潜るために。より鋭く生きるために。
いま一度、向き合わなければならない時が来ている。
また踊るために
鈴木ユキオ 2024.3.7
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