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『円安が日本を滅ぼす』:全文公開   第3章の1

『円安が日本を滅ぼす』-米韓台に学ぶ日本再生の道 (中央公論新社)が 5月23日に刊行されます。
これは、第3章の1全文公開です。

第3章 円安政策こそが日本経済衰退の基本原因

1 円安で企業利益が増えるメカニズム

円安になると企業利益が増えるが、傾向的に増えるわけではない
 第2章で、労働分配率に傾向的な変化は見られず、時系列的にほぼ一定だと述べた。
 しかし、これは、円安で企業利益が増えることを否定するものではない。実際、国民経済計算のデータを詳しく見ると、「円安期に企業の営業余剰が増える」という傾向が見られる。
 営業余剰の変動に伴って賃金の比率も影響を受けるが、賃金所得は額が大きいため変化率はあまり大きくなく、そのため労働分配率がほぼ一定になるのである。
 具体的には、つぎのとおりだ。
 営業余剰は、1990年代の後半には低水準だったが、2000年代の初め頃から増加した。90年代後半に壊滅状態に陥った製鉄業などが息を吹き返した。2000年代になってから為替市場への積極的な介入が行われ、円安が進んだことの影響と考えられる。
 しかし、1990年代後半から2000年代前半にかけて、国内純生産はほとんど横ばいであったため(第2章の図表2‐1参照)、営業余剰増加とは対照的に、賃金・報酬は減少した。
 ところが、2000年代後半に円高が進んで、営業余剰が減少した。2008年から09年にかけては、リーマンショックの影響で大きく落ち込んだ。この状態が、2012年頃まで続いた。
 2010年頃には、為替レートが1ドル=100円を超える円高になり、円高が「日本経済六重苦」の一つだとの声が、産業界で強まった。
 当時の民主党政権は、円安への誘導を試みたのだが、成功しなかった。
 2013年からは、アベノミクスの異次元金融緩和で円安が進み、営業余剰が増加した。しかし、増えたといっても、2016年の水準は、2004年頃の水準とほぼ同じだ。
 以上で見たのとほぼ同じ傾向が、法人企業統計調査のデータでも見られる。

円安になるとなぜ企業利益が増えるのか?
 海外での売上高を一定とすれば、円安になれば円表示での売上高は増加する。
 他方で輸入価格も同一率で上昇する。だから、貿易収支が均衡していれば、国全体としては、円安の効果は相殺されるはずである。
 しかし、企業は、輸入価格上昇による原材料費の上昇を、販売価格に転嫁する。また、国内での賃金は、為替レートにかかわらずほぼ一定だ。このため、企業利益が増えることになる。
 なお、営業余剰は、2014年以降も高水準を続けた。しかし、16年以降は為替レートが円高になっているので、この時の営業余剰の増加は、原油価格の低下によると考えられる。
 原油価格は2015年に急落。17年まで1バレル=50ドル程度、2019年まで70ドル程度という低い水準だった。これが交易条件を好転させ、国内純生産を増加させたのだ。この期間には、営業余剰だけでなく、賃金・報酬も増加した(賃金は上昇していないので、賃金・報酬の増加は、雇用者数の増加によると考えられる)。
 原油価格の下落が消費者物価に十分に反映されなかったために、営業余剰が増えたのだ。法人企業統計でも、この期間に営業利益が急増している。
 なお、生産拠点が海外に移転した結果、円安に対して利益が反応しなくなったと言われることがある。しかし、海外移転は、2010年頃には進んだが、その後はあまり進展していない。
 法人企業統計調査を見ると、売上は2018年でピークとなり、その後は減少している。2015年に落ち込んだ原油価格が、2017、2018年に60ドルを超える水準にまで上昇したのが原因と考えられる。
 2022年には、輸入価格の上昇による原材料価格の上昇を企業が転嫁できるかどうかが問題とされている。
 以上をまとめればつぎのようになる。
  ・円安は営業余剰を増やすが、国内純生産を増やすことにはならない。
  ・円高になれば営業余剰が減るので、長期的に営業余剰が増えることにはならない。

 円安は古い産業を温存し、技術開発の妨げになる
 円安依存が望ましくないのは、企業が技術開発をしたり産業構造を改革したりしなくとも利益が増えるため、変革が実現しないで済んでしまうからである。
 日本は、1990年代の後半以降、円安政策をとるようになり、2000年以降は顕著な介入政策をとった。このため、1990年代頃までの産業構造が温存されることとなった。これこそが、日本経済衰退の基本的な原因である。
 円安は、一見したところ企業の利益に寄与するように見えるが、長期的に見れば技術力を奪い、そして経済の活力を奪ってしまうのである。これは、実際に起こったことだ。それを、本章の3、4と第4章の2で見る。

 経済に活力があれば円高を克服できる
 2010年頃に円高が進んだ時、この状況では日本経済は壊滅するという声が産業界から湧き上がった。
 しかし、この時の為替レートは、最も円高になった時でも1ドル=80円程度だった。
 この数字だけを見れば、歴史的な円高と言える。しかし、円の実質的な購買力を示すのは、内外物価上昇率の差を調整した実質実効レートだ。この指数で見ると、この時が歴史的な円高であったわけではない。
 2010年の指数は100だが、1978年にはすでに100を超えていた(指数の値が高いほど円高)。そして、1986年からは、4年間にわたって100を超えた。
 円高に向かうスピードを見ても、1ドル=360円という固定レートに縛られていた円がフロートを始めたのは1973年のことであるが、1978年末には180円近くまで円高になった。
 それでも、日本の産業は壊滅するどころか、むしろ力強く成長した。それは日本の産業に活力があり、円高を克服していく実力があったからだ。そして、円高は、輸入物価を安くすることによって企業の原価を低下させ、付加価値を増大させたのだ。経済に活力があれば、円高が経済活動を阻害することにはならないのである。
 本章の3で述べるように、22年になって、円安に対する評価が変わりつつある。原材料価格高騰の製品価格への転嫁が難しい環境下で、企業にとっても円安が望ましくないことが認識されるようになってきたからだ。これは、大きな変化だ。この変化をうまく使うことによって、日本経済の構造改革を進めることができないだろうか。


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