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『経験なき経済危機』:第3章の1

経験なき経済危機』が、ダイヤモンド社から刊行されます。

10月28日から全国の書店で発売されます。

これは、第3章の1全文公開です。

第3章 迷走を続けた政治の対応

1 高齢者を見捨てる「悪魔の戦略」を取らぬと約束できるか?

理解できない行動
 2020年5月の大型連休の前、沖縄県の玉城デニー知事は、「大型連休に沖縄へ来る予定の方が、(発着を合わせ)6万人余りいる」として、旅行のキャンセルを求めた。4月20日には県独自の緊急事態宣言を発令し、「離島を含め医療体制も非常事態だ」と理解を求めた。
 沖縄県知事の切実な旅行自粛要請にもかかわらず、かなりの人が県外から沖縄に押し寄せたようだ(国土交通省の調べでは約1.5万人)。
 医療崩壊が迫っている島に出かけていって、バカンスを楽しみたいとする人々の心理状態を、私は理解できない。
 同じ頃、各都道府県は、パチンコ店に休業を要請した。従わない店には個別に要請し、要請先の店名や所在地を公表するとした。大阪府は、休業要請に応じない6店の名前と所在地を公表した。しかし、開いているパチンコ店の情報がネットで広がり、堺市のパチンコ店には、開店前から多くの客が詰め掛け、数百人が列を作った。
 わざわざ3密空間に集まってくる人々の心理状態を、私は理解できない。
 連休の前、銀行の窓口に人々が押し寄せた。外出自粛で家の片づけをする人が増えて、「古いお札が見つかったので交換を」とか「古い通帳が見つかったので解約を」などの用件だったという。大型の貯金箱を持ち込んで大量の硬貨を入金した客もいた。あるいは、「長話をしたかった」という人もいたそうだ。
 こうした人たちの心理状態を、私は理解できない。

本当は「よく理解できる」行動?
 どうしてこうした行動を取る人々がいるのだろう? 実は、理由は簡単なことかもしれない。
 それは、コロナウイルスの重症化や死亡リスクは、高齢者と基礎疾患を有している人々に偏っていることだ。それに対して、65歳未満の人々の場合には、新型コロナウイルスによる死亡リスクは、自動車で通勤する場合の死亡リスクとほぼ同じほど低い。
 つまり、高齢者や基礎疾患者を除くと、新型コロナウイルスを恐れる必要性は低いのだ。これらの人々が「自分は大丈夫」と考えるのは、理由がないわけではない。
 前項で述べたことは、そう考えている人が実際に多いことを示している。「心理状態を理解できない」と書いたが、本当は「よく理解できる」行動なのかもしれない。誰もが認めるが、口に出さないだけのことなのかもしれない。

「高齢者は見捨てる」という考え方
 そこで、つぎのような考えが生まれる。
 まず、高齢者や基礎疾患者は、隔離状態に置いて保護する。それら以外の人々については、社会経済活動の制限は最小限にとどめる。具体的には、感染リスクの高いサービス業の営業自粛などに限定する。そして、感染をある程度は許容する。スウェーデンは、実際にこのような政策を取り、都市のロックダウンを行なわなかった。
 感染が拡大して医療崩壊が近づいた場合には、高齢者を見捨てる。
 スウェーデンでは、集中治療室に入れる人々に年齢制限を設けた。後期高齢者は、コロナウイルス感染が疑われるような症状が発生した場合には、救急病棟やICUに行くことはない。なぜなら、高齢者は、集中治療で人工呼吸器などを使っても、延命の可能性は低いからだ。
 スペイン、イタリア、オランダでは、高齢者介護施設が見捨てられるケースが相次いだ。スペイン国防相は、「一部の高齢者介護施設が完全に見捨てられ、ベッドの中で死んでいる人を軍が見つけた」としている。イタリアの高齢者介護施設では、1日数十人がウイルス感染の検査を受けずに死亡したそうだ。
「トリアージュ」(命の選別)が行なわれたわけだ。

「悪魔の戦略」
 右の考えは、もっと進めることができる。「コロナで高齢者が死亡して少なくなるほうが、長期的な経済成長に役立つ」という考えは、ありうる。それは、つぎのようなものだ。
 仮にコロナで高齢者の半数が死亡したとしよう。すると、必要な年金給付総額は半分になる。医療費も激減する。病院での待ち時間は少なくなる。税収は不変だから、一挙に財政再建ができる。労働生産性も上がる。このように、「よいこと」ばかりだ。
 もう少し精密に、「感染症対策の費用に上限を設けるべきかどうか」という考えもある。
 ニュージーランドでは、有力研究機関がこの問題に挑んだ。そのおおよその結論は、つぎのようなものだ。
 3万3600人(感染拡大が放置された場合に予想される死者数)の国民の命を救うのに、GDPの6.1%相当額までなら、政府は支出を経済的に正当化できる。しかし、死者数を1.26万人(感染拡大が抑制された場合の予想死者数)にとどめるのを目的にするなら、GDPの3.7%までの医療関係費しか正当化できない。
 それ以上費やすより、別の目的に充てるほうが、長期的にはより多くの人命を救える。支出額がこれ以上膨らめば、道路や建物の安全性を高めたり、別の医療サービスに充てたりするほうが、長い目で見るとより多くの命を救えるという。
 これは、「悪魔の戦略」と呼ぶしかないものだ。

「悪魔の戦略」は断固拒否したい
 私は、悪魔の戦略には決して与しない。
 ドイツ首相アンゲラ・メルケルも、2020年3月18日にドイツ国民に向けた演説で、つぎのように述べ、悪魔の戦略を拒否する立場を明確に示した。

「私たちはすべての人の命に価値があることを知るコミュニティで生活しているのです」

 そして、そのために何がなされるべきかについて、つぎのように述べた。

「感染拡大を遅らせるために何をするべきか。そのために極めて重要なのは、私たちは公的な生活を中止することなのです。誰もがこのウイルスに感染する可能性があるのですから、すべての人が協力しなければなりません」
「それは私たちがどれほど脆弱であるか、どれほど他者の思いやりのある行動に依存しているかということ、それと同時に、私たちが協力し合うことでいかにお互いを守り、強めることができるか、ということです」
「お年寄りは孫に会ってはいけない」「(これによって)毎日たくさんの病人の看護をしている病院の負担を軽減させている」「これが私たちが人命を救う方法なのです」

 では日本はどうなのか?
 日本の指導者からも、自らの言葉による、こうしたメッセージを聞きたい。ただし、プロンプター(原稿映写機)を見ながら原稿を読むだけ(いわゆる「台本営発表」)ではだめだ。それでは、国民に伝わらない。
 メルケルは国民の信頼を得ており、自分の言葉で語っているから伝わるのだ。わが国でそれと同じことを望むべくもないことは、認めざるをえない。
 だが一方で、本章の最初に述べたような人々がいる。どうしたらよいのか、途方に暮れてしまう。



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