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『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』:全文公開 第3章の4

『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃 』(新潮社)が11月17日に刊行されました。
これは、第3章の4全文公開です。

4 広範に使われている電子マネーはどうなるのか?

中国の電子マネーは、手数料を低く設定できた
 中国では、アリババが提供する「アリペイ」やテンセント(騰訊)が提供する「ウィーチャットペイ」などの電子マネーが広く使われている。これらとデジタル人民元がどのような関係になるのかが注目される。
 中国では、アリペイやウィーチャットペイなど、銀行以外の主体が提供する決済サービスは「第三者決済」と呼ばれる。これらのサービスの提供機関が第三者決済機関である。第三者決済機関は、銀行に預金口座を保有している。個人や企業など第三者決済の利用者は、第三者決済機関に口座を保有する。従来、利用者間の決済は、第三者決済機関のシステムの中で行われてきた。
 このシステムでは、参加者間の資金移動は銀行を経由せずになされ、必要な場合にだけ銀行口座間で資金を移動させる。
 第三者決済機関の銀行口座とそれ以外の口座の間での資金の移動は、利用者が入金・出金する場合や、第三者決済機関自身が別の銀行口座から送金を行う場合などだけに発生する。このため、銀行に支払う送金手数料を節約できる。また、クレジットカード会社のような介在業者が存在しなくても決済が成立するので、手数料が低くなるし、店舗に入金されるまでの時間も短縮できる。
 さらに、銀行を経由する場合においても、アリババやテンセントなどの大手第三者決済機関は、圧倒的な支配力を背景に、有利な手数料を銀行に認めさせることができた。
 このため、中国の第三者決済の加盟店手数料は、0〜0・55%と非常に低かった。それが多くの参加者を集める。すると、第三者決済機関のシステムの中で完了する決済が多くなる。そして、さらに決済コストが低下する。このような好循環が起きていたのだ。

「網聯」を設立して電子マネーを規制

 こうした事情があるため、中国政府は、第三者決済機関の決済業務に対して規制を強化してきた。具体的には、中国人民銀行が「網聯(ワンリェン)」と呼ばれる決済機関を設立し、2018年6月30日から運用を開始した。これは、日本の全銀ネットと同じような仕組みだ。そして、すべての第三者決済機関は網聯と接続し、すべての決済を網聯を経由して行うこととした。
 また、2019年1月からは、第三者決済機関が顧客からの預かり資金の100%を準備金として人民銀行に預けることを義務付けた。
 さらに、第三者決済機関が、銀行と直接決済の交渉をすることを禁止した。
 それまではアリババのような巨大企業が独自に接続銀行と交渉して、有利な条件で決済手数料の契約をしていた。しかし、網聯の登場によって、企業の力関係にかかわらず、手数料は同一になった。
 また、従来は、アリペイやウィーチャットペイが銀行を通じて直接資金移動していたために、政府が資金移動の全容を把握するのが難しかった。しかし、網聯の導入によって、資金移動の監視を強化できるようになった。これによって、不透明な決済や税金逃れなどの監視が強化され、マネーロンダリングなどの不正の摘発が容易になるとされる。
 以上の改革は、第三者決済機関によるサービスを容認しつつ、それらを銀行システムの中に取り込んで、銀行と同様の規制をかけ、決済情報や信用情報などの情報を政府が入手・管理することを目的にしている。

アリペイでは当初は余裕資金を運用

 アリペイの加盟店向けの手数料率は、最大でも決済額の0・55%と、ほぼゼロに近い。こうした低い手数料を実現するために最初に用いられたのは、余裕資金の運用で収益を上げる方式だった。
 このために、「余額宝(ユエバオ)」が設立された。これは、アリペイのプラットフォーム上で販売されるMMF(Money Market Fund公社債や短期の金融商品を中心に運用する安定的な公社債投資信託)だ。2013年6月に始まった余額宝は、小口資金をMMFとして集め、その資金を大口定期預金として運用することによって、魅力的な利回りを提示することができた。
 これができたのは、当時、銀行の預金金利が規制されていたためだ。大口定期預金と小口定期預金の間には、かなりの金利差があった。この差を利用して、有利な利回りを提供できたのだ。一時は、加入者が6億人を超える世界最大のMMFと言われた。
 ただし、その後、規制が強化された。余額宝の増加を制限するための自主規制が要請された。2017年6月には残高の上限が、2017年12月には1日に投資できる金額の上限が設定された。これによって、余額宝の残高は減少した。

信用スコアリングのビジネスモデル
 余額宝のつぎにアリペイが採用したのは、利用履歴のデータで信用スコアリングを行うというビジネスモデルだ。これは、利用履歴などから、特定の個人あるいは企業の信用度を推測しようというものだ。2015年1月から、「芝麻(ジーマ)信用」という信用度スコアリングが開始された。
 芝麻信用が信用度を数値化できるのは、電子マネーアリペイの決済履歴、公共料金の支払い履歴、ネットショッピングでの購入履歴などの大量の個人データを持っているからだ。
 さらに、年齢、学歴、職業などの他に、アリババグループのサービスや提携サービスの使用状況、シェアリングエコノミーサービスでの評価、保有金融資産の価値、SNSなどでの交流関係、趣味嗜好や生活での行動などのデータも分析に用いられている。
 これらのデータを用いて信用度を計算し、350点から950点の範囲で評価する。これには、「プロファイリング」の技術を用いる。AIがビッグデータを分析して個人の人物像を描き出す技術だ。
 また、データを渡せばスコアが高くなる傾向があるので、利用者は積極的に個人データを渡していると言われる。また、スコアが高いと、シェア自転車を無料で使えたり、海外旅行時にWi―Fiルータを無料で借りられるなどの特典も与えられる。
 このスコアを用いて、「AIスコア・レンディング」が行われる。融資の判断に必要な信用度をAIが算出し、個人や企業向け融資の審査を人間に代わって行うものだ。
 浙江網商銀行(マイバンク)などのアリペイの傘下銀行が融資事業を行っている。同銀行は、オンライン銀行として主に中小零細企業向けのローンを提供する。2015年5月に設立認可された。
 アリペイを運営するアント・グループが香港、上海の両取引所に株式上場を申請した際の目論見書によると、融資などの収益が、アリペイなど決済関連を上回って成長していることが明らかになった。スマートフォン決済を中心とする事業の売上高が260億元なのに対して、融資、投資商品部門は、前年同期比6割増の459億元だ。
 融資判断が正確であるため、延滞率は低い。また、不良債権比率は1・3%であり、2%近い中国の商業銀行の平均を下回っている。
 アントの2020年1〜6月期の純利益は、日本の3メガバンクの21年3月期見通しを大きく上回る。与信残高は約32兆円で、日本で最大の三菱UFJ銀行の3分の1、横浜銀行の3倍に達する。
 芝麻信用のスコアだけを用いて無担保融資をする業者も出てきている。趣店(クディアン)というスタートアップ企業は、ビッグデータを利用することによって、個人の信用を識別する消費者金融を開発した。17年のフィンテック100で世界第3位になっている。
 テンセントも、信用スコア「微信支付分」(ウィーチャットペイ・ポイント)を19年1月に発表した。

信用スコアリングによる与信業務で急成長したアント
 アントが運営するアリペイは、利用者が10億人を超える電子マネーだ。アリペイの20年6月までの1年間の取引額は、118兆元(約1850兆円)だった。これは、クレジットカード最大手ビザの2倍に相当し、カード会社大手3社(ビザ、マスターカード、アメリカン・エキスプレス)の合計年間決済額をしのぐ規模だ。
 17年12月期においては、アントの営業収益に占める決済業務の比率が5割を超えていた。ところが、20年1〜6月期には、これが約36%に低下した。それに代わって成長したのが、与信業務だ。営業収益は、全体の約4割を占めるにいたっている。
 この基礎にあるのが、前述の「芝麻信用」という信用スコアリングだ。
判断の正確さは、延滞率の低さに表れている。19年末の零細事業者向け融資の延滞率は「30日以上」が2・03%、「90日以上」でも1・57%にとどまっている。
 不良債権比率は1・3%だ。中国の商業銀行の不良債権比率は平均で2%弱だ。1件ずつ手間をかけて審査する従来の方式よりも、AIを駆使した自動融資のほうが与信の精度が高い。なお、融資の大半はアントから情報を提供してもらった銀行が実行する。
 これによって、従来は担保がないために融資を受けられなかった自営業者や零細企業が、融資を受けられるようになった。個人融資も可能になる。
 第2章で述べたように、これまで融資などの金融サービスを受けられなかった人々が、受けられるようになることは、「金融包摂」(Financial Inclusion)と呼ばれる。アントは、それを実現したのだ。
 このように、アントは、「決済サービスの手数料をゼロに近いほど低くし、そこから得られるデータを活用して収益を上げる」というビジネスモデルを確立した。アリペイの加盟店向けの手数料率は、最大でも決済額の0・55%だ。決済サービスから得られるデータを収益化した初めての例と言える。

上場で史上最大の資金調達が予定されていた
 2020年秋、アントは香港証券取引所と、上海の中国版ナスダック「科創板(スター・マーケット)」への重複上場を計画していた。
仮に両市場での上場が実現すれば、調達額は合計345億ドル(約3兆6000億円)になると見られていた。これは、サウジアラビアの国営石油会社サウジアラムコが2019年12月に行ったIPO(新規株式公開)での調達額294億ドルを上回る、史上最大の規模だ。
 アントの企業価値評価は、約3150億ドルとされる。JPモルガン、モルガン・スタンレー、シティグループ、ゴールドマン・サックスの株式時価総額の合計が5480億ドルだから、アントの評価額がいかに大きいかが分かる。
 一部の投資家からは、IPOによってアントの企業価値評価は4000億ドルに達するだろうとの見方もあった。そうなると、評価額は資産規模で世界最大の銀行である中国工商銀行に並ぶ。
 10月19日、中国証券監督管理委員会(CSRC)は、アントの香港上場計画を承認した。ところが、この上場計画は土壇場で延期になってしまったのである。これについては、次節で詳しく説明する。
 なお、アント以外にも、新しい金融サービスで成長している企業がある。
 それは、陸金所(ルーファックス・ホールディング)だ。同社もAIによる与信サービスを行っている。同社は10月30日、ニューヨーク証券取引所に上場した。時価総額は約310億ドル(約3兆2400億円)に達した。これは、みずほフィナンシャルグループの時価総額に並ぶ規模だ。
 中国フィンテック企業がこのように巨額の資金を調達できるのは、今後とも順調に成長するとの投資家の期待があるからだ。
 とりわけ、デジタル人民元が発行されても、アリペイなどの電子マネーが使い続けられ、それによって決済データが入手できると期待されていたからだろう。



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