『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』 全文公開:第1章の4
『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』 (朝日新書)が9月13日に刊行されました。
これは、第1章の4の全文公開です。
4 貿易できるか? 自国生産できるか?
製品や労働力が国境を越えられれば価格が均一化する
前節の議論を複雑にするのは、 貿易可能性と 自国生産可能性の問題だ。
まず、 貿易可能性について考えよう。前節では、製品が貿易されないことを仮定した。仮に貿易が可能なら、日本と外国の価格差は縮小する。
もし、出来上がったビッグマックやラーメンを瞬時にアメリカに運べる技術が開発されたとすれば、日本の安いビッグマックやラーメンがアメリカに輸出されるだろう。そして、価格は、アメリカで下がり、日本で上がる。その結果、 日本の賃金が上がる。しかし、実際にはこうした運搬は不可能なので、日米の価格差と賃金差が残るのだ。
貿易可能性は製品だけでなく、製品の製造と提供に関連する労働力についても起こりうる。仮にビッグマックやラーメンの製造と販売に関わる人々が簡単に外国に移住して働けるとしたら、日本からアメリカ(あるいは、その他の高賃金国)にこうした人々が移住するその結果、日本国内の労働力が減るから、国内で賃金が上がる(これは コストプッシュによる賃金上昇であり、望ましいものとは言えないが)。そして、アメリカでは賃金が下がる。
しかし、実際には、外国に移住するのは大変なことだ。言葉の問題があるし、就労ビザを得られるかどうかという問題もある。したがって、内外で賃金差があっても、なかなか平準化しない。
iPhoneは日本で作れないから、高くても買わざるをえない
もう一つの問題は、自国生産の可能性だ。
ビッグマックもラーメンも、アメリカと同じものを日本で作れる。日本の安い労働力を使って、価格が安い(しかし同じ品質の)製品を作れる。だから、わざわざアメリカまで(あるいは他の国まで)高いビッグマックを買いにいく必要はない。日本で安いビッグマックを買えばよいだけのことだ。
しかし、 iPhoneでは事情が違う。残念ながら、日本では iPhoneと同じ品質のスマートフォンを作ることができない。だから、アメリカで高い労働力を使って作った iPhoneを買わざるをえない。 日本の賃金が低いことは、 iPhoneの価格を引き下げるのに、なにも寄与しない(正確に言うと、アメリカの高い労働力を使っているのは、 iPhoneの設計に関してである。製造は中国の工場で行なっている)。
日本では賃金が低いが、物価も安いから問題ないのか?
日本の賃金が低いことに対して、「賃金は低いが、物やサービスの価格も低いから、生活水準は維持されている」という考えがある。
確かに、そうした面もある。ビッグマックやラーメンがアメリカで高いからといって、心配する必要はない。日本では、安い賃金で、安いビッグマックやラーメンを作れるからだ。
しかし、 iPhoneや外国のオーケストラは違う。これらは日本で生産できない。日本人がその恩恵にあずかろうとすれば、外国の高い賃金で提供されているものを利用するしかない。だから、これからは、こうしたものは、日本人にとっては 高嶺の花になってしまうのだ。
もし日本が、必要とする全ての財やサービスを自国で作れるのであれば、「賃金は低いが物価も安い」という閉鎖経済を維持すればよいだろう。しかしそうはいかないのだ。問題は、 iPhoneやオーケストラに留まらない。クラウドサービスや通信のサービスなど、高度な技術を必要とするサービスが、日本では供給できず、外国に依存せざるを得なくなってきてしまった(この問題は、第2章の6、7で詳しく論じる)。今後は、AIがそうなるだろう。これらのサービスを日本でも提供できるような人材を作ることが大変重要になってきたのだ。
さらに問題は、労働力だ。前々項で労働力の国際間移動は難しいと述べたが、それも変わり始めている。
まず、日本に来ても賃金は安いので、外国の労働者が日本に来なくなる。そして、日本の労働力が外国に流出する。
建設や介護などの業種で「 日本離れ」が始まっていると言われる。日本での仕事をやめて帰国することを考えている労働者が増えているという。フィリピンでは、オーストラリアなどへの人材流出が加速しているそうだ。日本では、要介護人口は増えるが、介護してくれる人は外国にいってしまう。
日本の高度人材の海外流出も目立つようになった。若手の優秀な日本人技術者が、基礎知識を学んだ後に「GAFA」などの海外IT大手企業に転職していく動きが加速しているという。これでは、日本でいくら デジタル人材を養成しても、海外に流出してしまう。だから、デジタル化を進めようとしても、できない。これは、日本の長期的な成長力を著しく低下させるだろう。
高度人材に関しては、大変深刻な問題だ。こうした事態を、どうすれば食い止めることができるだろうか? この問題は、第6、7章で詳しく論じることとする。
インフレが輸入されて、 実質賃金が下がった
「日本では物価が安いから、賃金が低くても心配する必要はない」という考えは、前項で述べたのとは別の意味でも、成立しなくなってきた。
2021年の秋から2022年にかけて、アメリカで発生したインフレが、輸入価格の高騰を通じて、日本に輸入された。さらに、為替レートが急激に円安になった。こうして、日本の物価が高騰した。
すると、「安い賃金で作れるから大丈夫」と言っていた日本のビッグマック価格も、いつまでも安いままに留まってはいられない。なぜなら、ビッグマックを作るためには、牛肉や小麦粉など、輸入に頼らざるを得ない原料が必要だからだ。それらの価格は、高騰している。だから、価格高騰が続けば、いくら 日本の賃金が安いからといって、ビッグマックの価格を引き上げないのは難しくなる。
それにもかかわらず、賃金は物価上昇に追いつかない。このため、 実質賃金が低下した。
2023年の 春闘の賃上げ率は、名目値で見る限り高くなった。しかし、実質値では、これまでと同程度か、低めだ。しかも、いくら 春闘で賃金が上がっても、それは日本経済全体の賃金にはつながらない。なぜなら、春闘の対象となる労働者は、全体からみればごく一部にすぎないからだ。この問題については、第3章の3で詳しく論じることとする。
輸入価格高騰の半分程度は ウクライナ問題などの海外要因によるが、半分程度は円安による。 ウクライナ問題がおさまっても、構造的な円安が続けば、日本は貧しさのスパイラルから脱却することはできない。
このままの事態が続けば、日本人には高くて手が届かないものが続出するだろう。「舶来品」という言葉は、長らく死語となっていたのだが、それがよみがえるかもしれない。
そして、20年後の日本は、信じられないほど貧しい国になるだろう。
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