『経験なき経済危機』:第3章の3
『経験なき経済危機』が、ダイヤモンド社から刊行されます。
10月28日から全国の書店で発売されます。
これは、第3章の3 の全文公開です。
3 営業自粛要請と補償はセットか?
「自粛要請だから補償の必要なし」論理はすでに破綻している
都の休業要請協力金に対して、国は直接関与する予定はないとした。都の休業要請は新型インフルエンザ等対策特別措置法45条に基づくものではなく、独自に行なったものだからだという理由だ。
そして、安倍晋三首相は「個別の損失を直接補償するのは現実的ではない」とした。
その理由は、第1に、間接的影響まで含めれば、総額が巨額になってしまうからだろう。また、「自粛は要請であって強制ではないから、補償の義務はない」ということだろう。
しかし、「巨額だからできない」という理由が認められないのは明らかだ。
また、「強制でなく要請だから補償しない」という論理も、この時点ですでに破綻していた。休校要請に伴う親の所得減を補償すると約束したからだ。
営業自粛や休業の要請に伴う補償の問題は、決して終わったとはいえない。むしろ、これから真剣に対処しなければならない問題だ。
営業自粛要請と補償の問題
緊急事態宣言がなされて、収入の道を断たれる人たちが増えた。これについて、「営業自粛要請と補償はセットだ」という考え方が主張されている。他方で政府は、「自粛要請による損失補償はしない」と一貫して明言している。
これは原理原則論の対立だが、この中間が解であることは間違いない。問題は、「誰にどれだけ」ということなのだ。
営業自粛要請と損失補償の問題は、原理原則論だけでなく、数字の議論が必要だ。以下で、この問題について考えることにしよう。
この問題の原理原則論は、つぎのようになるだろう。
まず第1に、「営業の自由」といっても、どんな場合でも無制限の自由が認められているわけではない。憲法第13条は、「公共の福祉に反しない限り」という制約を加えている。
コロナウイルスの感染の抑制が、公共の福祉の観点から要請されるのは明らかだ。もしどんな事業も自由にできるということになれば、感染が拡大し、その事業さえもできなくなってしまうだろう。したがって、営業の自由に一定の制約が課されることは、社会全体の立場からだけでなく、その事業の立場から見ても合理的なことだ。
そして、憲法第29条は、「財産権の内容は法律で定める」としている。いまの場合には、感染症対策の特別措置法がそれを定めていることになる。
原理原則論の限界
以上から、つぎの結論が導かれる。
コロナ感染防止という公共の目的のために、政府や自治体が営業自粛を求めることは正当化される。公共の福祉のために行なうことなのだから、負担を分かち合わなければならないのは当然だ。
ただし、営業自粛要請と補償が完全にセットでなくてはならないという理由もない。つまり、損失額を100パーセント補償しなければならないわけではない。なぜなら、営業の自由は、もともと一定の制約下にあるものだからだ。
他方、公共の福祉のために、私企業の利益機会を奪うのだから、それによって生じる損害に政府がまったく関与しなくてよいはずはない。
政府は、一貫して「自粛要請による損失補償は行なわない」としている。しかし、その論拠は認めがたいものだ。この点は、明らかにすべき点だ。
ただし、政府は何もやっていないわけではない。「損失補償」という名目ではないが、一律給付金や持続化給付金などの政策を行なっている。
問題は、それらが十分かどうかの検討だ。人件費や家賃などの固定費の負担を考えただけでも、協力金では焼け石に水という場合が多い。
問題は定量的判断「どれだけの自粛が必要か?」
法律論でいえるのは、以上までだ。ここまでは、多くの人が認めるだろう。ただし、これだけで実際の政策が行なえるわけではない。なぜなら、以上は、基本的考え方しか明らかにしていないからだ。実際に問題となるのは、定量的な判断だ。
その第1は、「どの範囲の事業について自粛が必要か?」だ。これは、法律論では答えられない問題だ。原理原則論や理念でなく、定量的判断が必要だ。どの程度の自粛を求めればどの程度の効果があるかなどについて、データに基づく計算と評価が必要だ。
国会で行なわれた議論では、このプロセスが抜けている。そして、原則論のぶつけ合いしかなされていない。これは不毛な議論だ。
もちろん、計算だけで、唯一の正しい答えが見いだせるわけではない。立場によって政策の評価は異なるから、民主的な討論の結果としての合意を求めていくことが必要だ。客観的なデータに基づく政策評価の上で、民主的な討論でどこまで合意を形成できるかが問われているのだ。
とくに難しいのは「どの範囲に、どの程度」
定量的判断が必要な第2の問題は、「どの範囲に、どの程度」だ。経済的に損害を受けているのは、直接営業自粛の対象になっている事業者だけではない。それに関連する業者も大きな損害を受けている。また、集会などの規制で、多くの人が損害を被っている。
「関連する業者も大きな損害を受けている」ことは、政府も指摘している。要請の対象となっていない納入業者などの損失もあるとして、「個別の損失に限定して直接補償を行なうことは現実的でない」とした。
しかし、これは、おかしな論理だ。損失を受けている人が広範囲に及ぶなら、それらの人々も対象にする必要がある。「範囲が広いからできない」というのでは、「問題が難しいから対処できません」ということになり、自らの能力のなさを示すだけのことになってしまう。
休業や営業自粛要請は感染防止を最優先して決めるべきだ
2020年4月7日、政府が東京都など7都府県を対象にした緊急事態宣言を発令して東京都などが営業自粛や休業の要請を行なった過程で、東京都と国の間に軋轢があった。
東京都が範囲を広く設定しようとしたのに、国は消極的だったのだ。「営業自粛を徹底すると、補償金の要求が出てくるのが怖い。だから、範囲を広げたくない」という思惑が見え見えだった。
しかし、もし緩やかな自粛の要請にすれば、感染が拡大して、補償金がかえって多くなってしまうことは十分ありうる。どっちつかずは最悪の戦略だ。
問題は、これで終わったわけではない。これからも同じようなことが問題になる。したがって、これまで決まった制度についての点検が必要だ。