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『83歳、いま何より勉強が楽しい』  全文公開:第1章の1

『83歳、いま何より勉強が楽しい』(サンマーク出版)が4月5日に刊行されました。
これは、第1章の1全文公開です。

第1章 勉強こそ最高の贅沢 

1.シニアの勉強は最高の贅沢

  老後を「何もせず、気楽に」では無駄

 本書は、シニアになって勉強することの重要性を強調しています。
「シニアになってまで勉強するなんて、まっぴらごめん」という人がいるかもしれません。
「いまさら勉強したって、それが役に立つなんてことは考えられない。これまで一所懸命仕事をしてきたのだから、これからは何もせず気楽に、毎日を過ごしたい」という考えです。
 しかし、これはまったく間違っています。「何もせずに過ごす」のでは、人生の最も実り多い時期を、無駄に過ごすことになります。
 シニアの勉強は、学生時代の勉強とは全く異なるものです。勉強は学生時代の勉強しかないと考えてはいけません。確かに、学生時代の勉強は、辛いものだったかもしれません。期末試験のために、あるいは入学試験のために、いやいやながらやったという人も多いかもしれません。
 しかし、それとは全く異なる勉強、楽しい勉強が可能なのです。シニアの勉強とは、そのようなものです。その可能性を信じ、追求しましょう。
 勉強が楽しいものだと分かれば、毎日勉強を続けるようになります。そして、興味が広がり、一日一日が味わい深い毎日に変わります。「いまさら勉強なんて」などと言うなかれ。高齢だからこそ、勉強しましょう。

  シニアになって勉強した人々

「勉強が楽しい」というのが嘘でない証拠に、退職後も勉強を続けた人たちがたくさんいます。これは、成果を期待して行う「投資としての勉強」ではなく、楽しいから行う「消費としての勉強」です(この言葉については、第2章の3で詳しく述べます)。
 実は、日本人は昔からこうしたことを行ってきました。「シニアの勉強」という点で、日本人は世界のトップグループに属するのです。
 例えば、江戸時代に、「算額」というものがありました。これは、数学の難問を競い合って解き、成果を額に入れて神社に奉納するものです。全国各地の神社に算額が残っています。
 これに精を出したのは、武士というよりは、商人でした。「商家を繁盛させて引退し、あとは息子(あるいは養子)にまかせる。そして、自分は一日中、数学の問題に取り組んでいる」というのは、想像するだけで楽しい光景です。
 数学を趣味にしたのは、江戸時代の日本人に限ったことではありません。トルストイの小説『戦争と平和』に登場するニコライ・ボルコンスキイ公爵(主人公の一人であるアンドレイ・ボルコンスキイの父親)は、モスクワから離れた自分の領地「禿山」にこもって、高等数学の勉強に没頭しています。
 そして、令嬢マリアに数学の勉強を強制します。学生時代にこれを読んだとき、「なんたる変人!」と思いました。しかし、いまでは公爵の気持ちはよく分かります。
 彼は政府の高官だったので、さまざまな人間の争いに巻き込まれたことと思います。そうした仕事をやっと終えて、 自分が最もやりたいことに集中する時間を初めて得、 そして、思う存分、 数学の研究に熱中したのでしょう。
 トルストイ自身が晩年になっても勉強を続けたと言われます。彼は、70代でイタリア語を勉強したそうです。
 ゲーテは、死ぬ直前まで劇詩『ファウスト』を書き続けました。松尾芭蕉は、水道技師として働いていたのですが、それを終えて、「俳句」という自分が最もやりたいことに集中する時間を見出しました。

  多くの人が、退職後を無駄に使っている

 多くの人が、「退職後」をネガティブな意味に捉えています。そして、この貴重な期間を無駄に使っています。テレビ、ゴルフ、雑談、犬をつれて散歩等々。
 これらは、決して悪いことではありません。しかし、これだけというのでは、いかにも残念です。やりようによって実り多い時期にすることができるのに、それを行わないでいます。
 自分のための勉強(勉強のための勉強)をすることで、この期間を、人生の黄金時代とすることができるのです。
 暇な時間が多いと、人間はいろいろと余計なことを考えてしまいます。心配する必要がないことを心配することになりかねません。
 勉強が面白く、それに熱中するようになると、時間が足りなくなります。余計なことを考えている時間などなくなり、時間が貴重なものになります。

 


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