小言幸兵衛の日記:タクシーの広告パネルは何とかならないか?
暫く前から、東京のタクシーに広告用の動画パネルが登場していた。それが増えてきて、最近ではほとんどのタクシーにある。
短い距離であれば我慢できなくもないが、長時間乗るときには、毎回これと悪戦苦闘してきた。
画面をオフにするスイッチはついているのだが、押しても数秒間消えるだけで、すぐに戻ってしまう。
暫く前には、元の接続を切ってほしいとドライバーに頼んでいた。ただ、一度切断してしまうと後で修復できなくなるようで、応じて貰えない場合もある。
そこで、画面を隠すための紙袋や布を持参して乗り込むようにした。音はあまり大きくないので、これである程度の効果はある。
しかし、布を忘れて乗ってしまった場合には、押しつけ広告から逃れるすべはない。大げさに言えば、拷問状態になる。
この広告用パネルを邪魔だと思ってるのは、私だけではない。
ドライバーに聞いたところ、夜は画面が明るいので迷惑だという客が多いそうだ。
またあるドライバーは、同じメッセージを何度 も聞かされるので、大変つらいと言っていた。客だけでなく、ドライバーも迷惑だと思っているのだ。
電車の中にも、広告用の動画パネルがある。しかしこれは、離れれば気にならない。タクシーの広告パネルは、狭い客席の中、しかも文字通り目の前にあるので、逃れようがない。
タクシーの客席には、昔から宣伝用の印刷物のチラシが置いてあった。しかし、こうしたものは、見なければ、それで済んだ。
それに対して、明るい画面の動画は、拒否することができない。狭い空間での動画は、「光の暴力」以外のなにものでもない。
私は長時間タクシーに乗る時には、運転手と会話して情報を仕入れたり、ぼんやりと物事を考えている。これは貴重な時間帯だ。
ところが、広告パネルが登場してから、ぼんやり考えることはできなくなった。
広告パネルと格闘を続けているうちに、「何でこんなことをしなければならないのか」と馬鹿らしくなってきた。
そこで、最近では、重い荷物を持っているような場合を別として、できる限りタクシーを使わないで、電車に乗るようにしている。このように考えるようになったのは、私だけではあるまい。
タクシー会社は、パネルを導入して広告料収入が増えたと思っているかもしれない。しかし、客離れをもたらしていることに気がつくべきだ。
広告を出している企業も、その効果を再検討すべきだ。「このパネルで宣伝している商品は、絶対に買うまい」と思う人は、私以外にも多いだろう。
タクシーの広告パネルについては、いくつかのことができるはずだ。
少なくとも、画面のスイッチは、自動復帰しないような設定にすべきだ。つまり、いったんオフにしたら、その客が乗車している限りはオンに戻らないような設定にすべきだ。
あるいは、広告パネルをつけていない車両が、「広告パネルなし」という表示を外に表示することも考えられる。これは「優良タクシー」だということになるので、客が増えるだろう。
携帯電話が普及し始めたときにも、似た状況があった。それを電車やバスなどで使う人が出てきたので、「これが一般化したら大変」と危機感をいだいた。公共の乗り物の中での利用を禁止するべきだと、雑誌などに何度も書いた。
そうしたことを言ったところで蟷螂の斧かもしれないと思っていたのだが、乗り物内での携帯電話禁止は定着した。携帯電話公害を、日本社会は何とか克服したのだ。
タクシーの広告パネルについても、望みを捨ててはいけないのかもしれない。タクシーを再び庶民の足として取り戻すための社会運動を起こせないものだろうか?
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日本郵政、平成十一年 笑門来福 落語切手