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『経験なき経済危機』:第5章の1

経験なき経済危機』が、ダイヤモンド社から刊行されます。

10月28日から全国の書店で発売されます。

これは、第5章の1全文公開です。

第5章 財政支出増でインフレにならないか?

1 コロナ関連支出をどのようにファイナンスするか?

財源は国債で調達
 コロナ対策施策の財源は、どのように調達すべきか?
 通常の場合であれば、まず増税が考えられる。
 しかし、コロナ下経済の現状を考えると、増税はとても不可能だ。また、増税をするとマネーを民間から吸い上げてしまうことになるので、2で述べる見地から見ても不適切な方法だ。
 したがって、財政赤字を拡大することによって支出を賄うしか方法はない。これは、政府が国債を発行して資金を調達するということだ。政府は負債を増やすことによって資金を調達し、その資金を支出する。
 国債は市中消化される。つまり、金融機関をはじめとする民間の主体が購入する。国が金融機関から借り入れることで支出をするのだ。
 しかし、こうすると、増税の場合と同じように、マネーを民間から吸い上げてしまうことになる。そして、金利の上昇をもたらす可能性がある。現在のようにマネーの不足が問題である場合には、これは望ましい方法とはいえない(なお、「マネー」の正確な定義は、本章の2で行なう)。

国債発行が急増しているが、中央銀行の購入で長期金利は低下
 第3章の4で見たように、2020年度第1次補正予算における国債発行増は、約26兆円だ。当初予算で予定されていた国債発行額32兆円と合わせると約58兆円だ。
 当初予算と第1次補正、第2次補正を加えた20年度全体では、国債発行額は過去最大の90.2兆円に上り、公債依存度は56.3%になる。
 このように大量の公債発行を放置すれば、金利が上昇する。そこで、長期金利の上昇を抑えるために、中央銀行が国債を購入することとしている。
 アメリカでは、20年3月23日、連邦準備制度理事会(FRB)が、大型経済支援策の第2弾において、国債を無制限で購入するとした。この結果、総資産が、3月の1カ月間に1兆6500億ドル(約176兆円)増え、残高が日本銀行や欧州中央銀行(ECB)のそれを上回った。
 このために、金利は下落した。アメリカ10年国債の利回りは、2月6日には1.655%だったが、その後顕著に下落し、3月9日には0.487%になった。その後も、0.5%程度の水準で推移している。長期金利はインフレ率を下回る。これは、「金融抑圧」と呼ばれる状態だ。
 金利が上昇すると国債発行に支障が生じるのだが、その懸念は取り除かれたわけだ。
 日本銀行も、3月16日の金融政策決定会合で、積極的な国債買い入れを決定した。そして、4月27日の金融政策決定会合で、年80兆円をめどとしている国債購入額の上限を撤廃し、必要な量を制限なく買えるようにした(もっとも、本節の最後で述べるように、つい最近の実際の購入額は80兆円をかなり下回っていた)。
 この結果、日本の10年国債の利回りは、3月19日以降は0%程度となって安定している。

国債で財源調達するメカニズム
 通常の時期において、財政支出の財源調達は、つぎのように行なわれる。
 社会保険などの移転支出を賄う場合を考えると、年金の場合は、保険料を主たる財源として年金を支給する。財源は有限だから、支出もその範囲に抑えられる。生活保護の場合には、税金を財源とする。この場合も財源が有限だから、支出は有限だ。
 では、支出を国債発行で賄うこととすればどうか? この場合のメカニズムを図表5‐1で説明しよう。
 まず、国債を民間銀行が購入する場合を考えよう。図表5‐1の1に示すように、国が発行した国債の代金は、政府が日銀に持つ当座預金に振り込まれる。政府は、それを用いて財政支出を行なう。
 コロナの給付金も、政府当座預金から支払われる。受取者はこれを銀行に預金する。
 預金はマネーなので、マネーが増加することになる。これは、国が銀行から借りて支出するのと同じことだ。
 ところが、国債発行額が増えれば、金利が上がる。だから、無限には借りられない。支出を無限に増やすことはできない。
 しかし、日銀が国債を買い上げれば、長期金利の上昇が抑えられる。つまり、あまり大きな問題を起こすことなく、大量の国債発行が可能となる。事実上、無限に国債を発行し、無限の財政支出を賄えるのだ。

図表5-1

マネーが増加するメカニズム
 では、日銀はなぜ無制限に購入できるのか? そのメカニズムは、つぎのようなものだ。

(1)政府は国債を発行し、銀行が購入する。政府のバランスシートの負債側で国債が増える。代金は、政府が日銀に持つ政府当座預金に振り込まれる。
 金融機関は、他の資産を売却することで、国債を購入する(以上が、図表5‐1の1)。
 特別定額給付金の場合は、受給者が指定した銀行預金に、地方公共団体が振り込む。政府は地方公共団体に政府当座預金から振り込む。ここまでは、前項で説明した。
(2)銀行は国債を日銀に売却する。すると、日銀の負債側で銀行が保有する当座預金が増え、資産側で国債が増える。
 政府と日銀を合わせて考えると、政府の負債である国債と日銀の資産である国債は、相殺される。
 金融機関のバランスシートでは、資産側で国債が減り、同額だけ日銀当座預金が増える(以上が、図表5‐1の2)
 こうして、以上のプロセスの結果は、最終的にはつぎのようになる。
 ・国民の預金(国民の資産)が増える。
 ・銀行が日銀に保有する当座預金(日銀の負債)が増える。
 つまり、中央銀行の負債を増やすことによって、国民が持つ預金を増やしたのだ。
 国民が持つ預金はマネーだから、マネーが増えたことになる。
 このような帳簿上の操作だけで、日銀は民間から国債を買える。だから、いくらでも購入できるのである。こうした方法で国債を購入できるのは日銀だけだ。これは、「マネーの魔術」ともいえる方法だ。

コロナ期の資源配分:需要超過にはならない
 以上のような財政運営を行なう場合に誰もが心配するのは、そんなことをしたら、インフレになるのではないかということだ。
 平常時には、そうなる危険がある。例えば、公共事業を増やせば、それだけ需要が増える。
 しかし、コロナ関連支出の場合には、そうはならないのである。
 なぜか? 給付金が支払われれば、消費が著しく落ち込むのを防ぐことができるだろう。ただし、それができても、消費は、供給能力に比べて依然過小だろう。したがってインフレが起こることはないだろう。
 ネットの需要を増やさない点で、コロナ給付金のケースは特殊だ。この点が最も重要なのだ。
 なお、マネーが増えたのに物価が上がらないのだから、貨幣数量説でいえば、流通速度が変化することになる。これについては、本章の2で説明する。

MMTと違う
 右のプロセスは、「財政ファイナンス」と呼ばれる。
 また、見かけ上は、「ヘリコプターマネー」といわれる政策や、MMT(現代貨幣理論)の論者が主張しているのと同じものだ。
 しかし、その実態は、MMTが主張するものとは違う。MMTは財政赤字を常態化させる政策だが、いまは臨時の財政支出だからだ。
「ヘリコプターマネー」やMMTの論者が主張するのは、平時において、需要喚起などを目的としてこの操作を行なう。しかし、コロナ関係の財政支出は、需要が激減する異常時に行なわれるものだ。しかも、継続的な政策ではなく、臨時的なものだ。
 財政ファイナンスは、通常の経済では望ましいものではない。しかし、いまは緊急なので、こうした運営が認められる。需要が落ち込んでいる状態での1回限りの施策だからだ。

首を斬られるとき、ヒゲの心配をする政府
 以上で見てきたのが、新型コロナウイルスの感染拡大が続く局面の金融財政の基本的な形だ。
 コロナ期においては、財政金融政策に平時の硬直的思考法を延長してはならない。従来とはまったく異なる発想が要求される。
 日本政府は、これまで中長期的な財政バランスを実現するとしてきた。そこで指標としたのは、「プライマリーバランス(基礎的財政収支)」だ。これは、収入から国債収入を除いた金額と、支出から国債費を除いた金額のバランスを見たものだ。
 しかし、いま問題になっているのは、財政赤字をどこまで拡大できるか、それが金利にどう影響するか、国債費がどうなるか、ということだ。これは、プライマリーバランスの問題ではない。それには含まれない、国債発行額と国債費が問題だ。コロナ期の急激な財政赤字拡大で問題となるのは、プライマリーバランスには含まれない、国債発行額と国債費なのだ。
 ところが、麻生太郎財務相は、「コロナ期でもプライマリーバランスを考えなければならない」とした。これは、平時の財政健全化にとらわれた考えといわざるをえない。
 財政健全化は、平時において重要な目標だ。これと緊急時の対応を混同してはならない。
 財政の健全性は、中長期的な観点から必要とされることだ。現在のような異常時にそれにこだわり、納税猶予や休業補償を中途半端なものにすれば、経済が立ちいかなくなる。
 黒澤明監督の映画「七人の侍」で、野武士の襲撃から村を守るため、侍を雇おうとする提案を村人たちで協議する場面がある。「娘が心配だ」という声があがる。長老は一喝した。
「野伏せり来るだぞ! 首が飛ぶつうのに、ヒゲの心配してどうするだ!」
 いまの日本政府の指導者たちは、ぜひ、この言葉を思い出してほしい。

日銀は長期国債でなく短期国債を購入している
 すでに述べたように、日銀は2020年4月27日の金融政策決定会合で、国債を制限なく必要な量を購入するとした。
 では、その実情はどうだろうか?
 日銀が保有する国債残高の対前年同月増減額を見ると、図表5‐2のとおりだ。長期国債は15~16年頃には80兆円程度にまで増加したが、16年秋から減少し始め、19年11月からは20兆円を割り込む水準にまで低下していた。
「量的緩和政策」といわれていたものの、その実態は大きく変化していたのだ。20年3月から下げ止まったが、対前年比増では12兆~15兆円の水準で推移している。
 コロナ下の財政支出増に対応して増えたのは、短期国債である。
 17年から19年までは対前年同月比で短期国債は減少が続いていたが、20年になってから急増し、6月からは長期国債の増加額を上回るようになっている。7月では31.7兆円であり、長期国債の15.0兆円の倍以上になっている。
 これによって、短期国債の残高は、3月の12.4兆円から7月の42.2兆円へと約30兆円増加した。
 つまり、これまでのところ、コロナ関係の財政支出は短期国債の日銀購入によって賄われてきたといえる。

図表5-2

 このように、日本の場合には長期国債市場に影響を与えない形でファイナンスが行なわれてきた。
 だから、長期金利が上昇することもないし、中央銀行の政策で下落することもなかった。
 日本の10年国債金利は、16年1月29日にマイナス金利政策が導入されて以降、ほぼゼロ%の近傍なので、これ以上に低下させることは難しい(20年8月7日で0.011%)。
 イールドカーブの形状からいって、もしこれよりさらに引き下げようとすれば、短期金利のマイナス幅をさらに大きくする必要があり、それは金融機関の収益をさらに悪化させるので、不可能だろう。

(注1)ただし、トランプ大統領が3000億ドル分の中国製品に19年9月1日から10%の追加関税を課すとツイートしたことなどを契機に、マイナス0.2%を下回ったことがある。



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